コダマの核心
2019年05月29日 13:51

九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(6)

  長谷川常雄氏の青汁との出会いを前述したが、本音を推測すると、「いやー凄い儲け口に出会った。この青汁でバシバシ稼ぐぞ!」であり、「日本人同胞の健康を守るための使命感に燃えねば」という...

2019年05月28日 17:00

九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(5)

  500億円を手に入れた方のお別れ会に370名参集、多いか少ないか  結論!少ない。長谷川氏は福岡、日本から去って15年になる。「忘れられて当然」と知ったかぶりをする愚か...

2019年05月28日 13:32

九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(4)

  関係者しか認識していなかったことであるが、一時、福岡の業者が日本の業界を牽引した業種がある。それは「通販=健食業」で、明太子の勢いがピークを過ぎた時期と同じくして福岡で勃興しはじめた。

2019年05月27日 10:54

九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(3)

  平成の30年間を振り返るに筆者も記者として反省することが数多くある。その筆頭が福岡空港を埋立新空港にするという動きが強まる時期に反対キャンペーンを繰り広げたことである。

2019年05月23日 07:00

九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(2)

  博多にはかつて繊維卸の名門企業が多数存在していた。現在は津田産業(株)のほかは数少なくなった。博多区店屋町にはそれらの繊維問屋が群生していたことで有名だが、現在問屋街は東区多の津流...

2019年05月22日 18:15

九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(1)

  「大都市・福岡」が九州の牽引力を固めたのは平成初頭 九州企業の最大の躍進は、ソフトバンク・孫正義氏の例である。まさしく世界に通用する数少ない企業にまでなった。ただ...

2019年05月16日 16:09

九州最大のM&Aで最大の金を握った 長谷川常雄氏(キューサイ創業者)逝去する

  500億円を握る  若い方々はもう知らないであろう。「まずい!もう一杯!」というキャッチコピーのCMで一世を風靡したキューサイの創業者・長谷川常雄氏のこと...

2019年05月15日 08:00

「ふふ河口湖」で知る、富士山の偉大さ(2)

    前回 紹介した通り、1月の取材のなかでカトープレジャー・加藤代表は「リッチ層を満足させるホテルが無かったので、この市場に絞った『ふふシリーズ』を提供していきたい」と抱負を語...

2019年05月10日 17:51

「ふふ河口湖」で知る、富士山の偉大さ(1)

   NetIBNewsで 既報(同じ成功体験を続けない 進化を続けるホスピタリティ(前)) のカトープレジャー・加藤友康代表の取材を通じ、昨年10月にオープンした「ふふ河口湖」に宿...

2019年05月09日 15:32

社長.tvを解任され東京で再起!3年で「12億円調達」「顧客1000社獲得」のベンチャー企業をつくった男~中島一明氏

  4年で再生した中島社長33歳 中島 一明 氏  中島一明氏は2007年、若干22歳で中小企業PRを支援する福岡発のウエブ動画メディア「社長.tv...

2019年02月19日 14:02

アダル・武野重美会長の成功の秘訣~ピンチにこそ閃きが湧く

  福岡市で家具製造販売を展開するアダルが中国・上海に進出したのは1996年のこと。アダル・武野会長のこれまでの歩みを振り返る。 1990年までは大躍進 ...

2019年02月08日 10:39

カトープレジャーグループ加藤代表の凄まじい気配りに感服

  加藤友康社長  1月16日、東京のカトープレジャーグループ本社で加藤友康社長を取材した( 既報 )。この取材を通じて経営者としての大胆さと細やかな気配りを...

2019年01月29日 12:15

シリーズ・地球は何処に向かう、日本人はどうなる(12)~『現世・極楽往生の経営』とは~進興設備工業(福岡市南区)

  福岡地区は建設受注環境が恵まれすぎてこの3年間、ゼネコンだけではなく、どの建設関連企業も莫大な蓄財に励むことができた。筆者は名付けて『別次元への成長企業』と命名した。ところ...

2019年01月28日 10:55

シリーズ・地球は何処に向かう、日本人はどうなる(11)~中国人の決断から学ぶ(後)

  両親の遺伝子を受け継ぐ  平成が終わろうとしている。約30年という月日は外国人の子どもたちが日本に溶け込むのには十分な時間である。  全豪オープンテニスで優勝...

2019年01月09日 13:31

シリーズ・地球は何処に向かう、日本人はどうなる(11)~中国人の決断から学ぶ(前)

  中国人留学生が福岡に  筆者と中国との関係は1987年前後のこと。さまざまな面白い体験をさせてもらった白岩洋二氏(故人)が中国コンサルに携わっていたのがきっかけである。...

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