2024年12月11日( 水 )

30周年を迎え、また超えて(24)ついに立つ(1)経営永続化の要諦

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独立の背景

 池田氏の退社以降、業務はたしかに多忙になった。だが、社内の雰囲気が大きく様変わりし始めた。当時の九州支社長は越智氏、オーナーの長男として後に3代目社長に就任することになる。雰囲気が変わったというのは、「二・三軍級社員」が越智氏に媚を売り始めたことである。

 これまで池田氏が育成係として頭を押さえていた時期があったが、「押さえ蓋」から解放されたから、越智氏は自ずと「地が出る」ようになってきた(我が権勢を露にする)。雇われの身などは嗅覚が鋭いので、次の権力者へと擦り寄っていく。これは世の必然である。「二軍」は要領良く立ち回って出世する。ところが、おべっかを使うのが下手な「三軍」は彼ら(二軍)に対して不満を抱くようになる。非常にややこしい、“拗ねた社内ムード”が充満するようになってきたのだ。

 また、全国支店長会議においても、古参連中がぐだぐだと愚痴をこぼすようになってきた。身内が事業継承する際は、必ずクリアしなければならないハードルである。これまで2回ほど触れたが、筆者は福岡支店長であった宮本氏とオーナー・越智氏には強い恩義を抱いていた。しかし、オーナーの長男である3代目に対する感謝の念は薄かった。逆に3代目も父親の代からの幹部に対して「鬱陶しい」という気持ちが高まっていたと思われる。

 雇われの身である筆者も鋭敏に感じ取る。「これは決断の時期が迫ってきたか――事業を起こすには派手に見せつけないといけないな。不満をもつ若手社員たちも救ってやるかな」と考え出したのは、1993年の秋を過ぎたころであったと記憶している。

世の中、物好きな世話役がいる

 「いらないことだ、そんな物好きな恩の売り方をするな」と怒りたい気持ちを、ほんの一瞬抱くことになるが、結果的には、素直な姿勢で相手に話を聞かせる、説得できる奇特なオジサンがこの世の中には、たまにいる。

 筆者よりも6歳年上で広告代理店幹部の飯塚(仮名)氏がいた。「コダマさん!貴方は独立して世の中の為に尽くしなさい」と厚かましく説教するのだ。しかし、たびたび、話を聞かされると人間、不思議なもので、その気になるものである。

 なぜ飯塚氏は、しつこく説き伏せてくるのか?その動機が後日、判明した。会社立ち上げに参画した大任(仮名)が「ぜひ、コダマさんが独立するように洗脳してください。私は一緒に新会社へ参画したいのです」と吹き込んでいたという。お人好しの飯塚氏は、必死になって筆者を口説いたのである。残念ながら大任氏は新会社に参画したが、大きな仕事はできず、わずかな期間で退社してしまった。こちらを利用する思惑をもった「先行者」であったのだ。

経営持続の要諦は資金力

イメージ    94年になって真剣に事業計画を練りあげるようになった。(1)人材面においては、不満を持つ若手が俺に付いてくるという自信が十分にあった。それだけの面倒をみてきたし、俺に託す気持ちが真実であることは確信していた。(2)引き連れる数は半端ではない。それには相当の資金がいる。「さぁ、いくら捻出すべきか」と計算を始めた。

 (3)95年1月から事業(営業)を開始して入金が始まるのは3月からであろう。(4)だとするといくら必要か!「1億円調達すれば存続できるな」という結論に達した。「どうやって30周年を迎えられましたか?」と問われれば「資本金1億円でスタートしたからこそ無事、生きられてきた」と明快に回答できる。「企業存続の要諦は資金力」であることは企業調査の積み上げで頭に叩き込んでいたものである。もちろん、「資本金1億円」でのスタートは話題に事欠かないという計算もしていた。30年前のことだ、事業立ち上げに資本金1億円は珍しかったからである。当然、びっくり仰天した方々が多かった(こちらは情報屋であるから話題づくりに関しては、多少長けていたと思う)。

 (5)「じゃあ、どう捻出するか」と自問自答を続けた。「まず悦子(経営パートナー・連れ添い)と貯めた金と不動産を売却すれば5,000万円は優に調達できる。あとはオーナー企業10社から500万円の出資を仰がせていただこう。「『身内資本5:他人資本5』で緊迫した経営を持続しよう」という意気込みを固めたのである。

情報屋、企業調査マンはみな「評論家」

 この業界に入って最も嫌悪感を抱いたのは、どの調査マン(一般マスコミ記者も含む)も「己のことを棚に上げて他人事について講釈する」行動パターンが体に染みついていることだ。腹のなかから「貴様に偉そうなことがいえるのか」と叱りあげたい気持ちがいつもわき上がってくるのだ。新聞記者・企業調査マンで事業を起こし、成功した例は稀である(コンサル業で飯を食っている例はたまにあるが)。
 取材時の一コマ。「どうして黒字にできないのですか?」と偉そうに問い詰める調査マンがいた。それを耳にしながら、「貴様のビジネススタイルは効率が良いのか!」と追及したい衝動に駆られることがしばしばあった。筆者も取材の際には偉そうに追及したことがあった。だが常に己に言い聞かせてきた。「俺がこの会社の経営者であったら、どういう判断・行動をするかな」と。

 この原点を発展させて「事業を起こし、会社を潰したならば己の経歴はすべて“パー”となる」という強い危機感を抱き続けてきたのだ。もし、事業が失敗したとしよう。「コダマは知ったかぶりをして講釈ばかりを垂れていたが、経営についてまったく無知であったな」と物笑いの種になる。この光景を頭に描きながら、必死に資本金づくりに奔走したのである。

(つづく)

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