2024年05月20日( 月 )

コダマの核心

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西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(5)
西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(5)
柴田社長殿、筆者は西広・荻原社長の挨拶文を読んで感動して涙がでてきました(関連記事:「西日本新聞の未来を読む(1)~2020年に創立70周年・岐路に立つ西広」)。西広社長のポストは西日本新聞社(以降、N社)専務クラスの「天下り」指定ポストだった。20年前ほどだろうか、貴方の大先輩である花田氏が同社の社長に就任されていた時には懇意にさせていただいていました。
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西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(4)
西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(4)
いまから10年前、柴田社長が記者として楽しい時間を過ごされていたかどうかは定かではないが、ここで深刻な事実をお伝えしましょう。10年前、地元のある有力デベロッパーの専務を取材したときのことである。
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西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(3)~資産売却に終始する
西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(3)~資産売却に終始する
いまのところ西日本新聞社東京支店総務部(以降、N社)の所在地は中央区八重洲2-8-7となっている。東京駅八重洲口を正面にして道路に面したエリアが東から八重洲1丁目、西が銀座に接するところまでが八重洲2丁目である。
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西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(2)
西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(2)
弊社発刊のI・B2019夏季特集号のタイトルを要約すると「激変時代・生滅の分かれ目は?」というものになる。「時代にどう適応する組織が発展していくのか、どのような判断ミスをしたものが消滅するのか」というテーマに沿って記事をそろえた。
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西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(1)
西日本新聞の柴田建哉社長殿、貴方は社を復活させる覚悟がありますか?(1)
まずは弊社が発刊するI・Bの2019夏季特集号の巻頭文「『人口減』の先に待ち受ける、激変時代 企業の命運は朽ちるのか、あるいはいかに発展させるのか」を参照されたし。
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華南経済圏視察を振り返って(4)~習近平中国共産党総書記殿・香港を「泳がす」寛容さが大切よ
華南経済圏視察を振り返って(4)~習近平中国共産党総書記殿・香港を「泳がす」寛容さが大切よ
トランプ大統領の中国・華為技術への不当な弾圧は許されたものではない。しかし、習近平総書記も香港の扱いに関して、もう少し余裕をもって対応すべきではないだろうか。要するに自由度を与えるということである。
「人口減」の先に待ち受ける、激変時代(3)~身内の死の接近に己の寿命を予感する(後)
「人口減」の先に待ち受ける、激変時代(3)~身内の死の接近に己の寿命を予感する(後)
子どもが一人前の人間としての生命機能を身につけるには、長い時間がかかる。そのため両親は必死で育児を行う。ようやく、ひと安心という段階に至るまでには約10年の歳月(小学4年生くらいまで)を要するだろう。老化から死に至るまでと子どもの成長は真逆だが、時間に換算するとだいたい同じぐらいの期間ではある。
「人口減」の先に待ち受ける、激変時代(2)~身内の死の接近に己の寿命を予感する(前)
「人口減」の先に待ち受ける、激変時代(2)~身内の死の接近に己の寿命を予感する(前)
筆者夫婦の兄弟たちが、死の手前で悪戦苦闘している。その様子に触れ、「私たちも死を迎える年齢に近づいた」と実感する。それを実感すれば焦って「自分の生きた証を残したい」という思いが高まる。同時に「今日、この1週間、いやこの1カ月、はたして生きた証を残しただろうか」と焦りつつ自問自答する。大半は「たいしたことをしていない」と悔いるばかりである。
「人口減」の先に待ち受ける、激変時代(1)~企業の命運は朽ちるのか、あるいはいかに発展させるのか
「人口減」の先に待ち受ける、激変時代(1)~企業の命運は朽ちるのか、あるいはいかに発展させるのか
「言葉のあや」ではない。まさしく激変時代に突入した。油断すれば淘汰される、いや消滅するのである。まずは地球環境の激変。地球温暖化傾向が加速することは間違いない。今年の日本は冷夏のきざしがあるが、突如として40度を超える激暑になることもある。あるいは、毎年のように襲われる集中豪雨などの自然災害。大地震の発生も油断できない。
華南経済圏視察を振り返って~トランプ大統領の恫喝に屈せず(3)長期戦になれば華為技術(HUAWEI)の勝ち
華南経済圏視察を振り返って~トランプ大統領の恫喝に屈せず(3)長期戦になれば華為技術(HUAWEI)の勝ち
6月24日夕方、船で深圳(しんせん)に入る。時間は1時間弱要した。香港では蒸し暑さに閉口したが、夕方スコールが降る。定期的に降ってくれれば、多少の気分転換にはなる。
華南経済圏視察を振り返って~トランプ大統領の恫喝に屈せず(2)
華南経済圏視察を振り返って~トランプ大統領の恫喝に屈せず(2)
昨年、マカオに入国手続きをしたのは3580万人。そのうち、約70%は中国人(下記資料参照)である。マカオは陸続きで中国とつながっている珠海市とタイパ島とで分けることができる。珠海市はポルトガル植民地時代の中心地帯。
華南経済圏視察を振り返って~トランプ大統領の恫喝に屈せず(1)
華南経済圏視察を振り返って~トランプ大統領の恫喝に屈せず(1)
6月23日(日)から26日(水)まで、華南経済圏視察団を組織して14名で香港―マカオ―深圳―香港を廻った。香港に着くとあまりの蒸し暑さに驚いた。マカオも同様である。福岡が毎年のように暑ければ、すぐに順応できるのだが、今年は異常に涼しいので慣れるのに一苦労した。
 九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(15)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(15)
汗を拭き拭きようやくヤフオク!ドーム6階にあるスーパーボックスに辿りついた。観戦にはテレビ局の取締役であるDも参加していた。Dは「コダマさん!よく安比に行きましたね」と言い、昔話を始めた。
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(14)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(14)
6日の夕方、筆者は福岡ヤフオク!ドームに向かっていた。福岡市商工会議所情報文化サービス部会主催で恒例のスーパーボックスでの観戦のために汗を拭き拭き歩いて向かっていたのである。今年3試合目の観戦だ。
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(13)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(13)
ベルフェイスは、SaaS(Software as a Service、以下、サース)と呼ばれる業界に属します。サースとは、以前ASP(application service provider)サービスと呼ばれていたものとほぼ同様のサービスで、インターネットを通じてソフトウェアを提供することで、月額の利用料金を固定で徴収し、ストック収益することができます。
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(12)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(12)
私は、兵庫県の尼崎市で生まれ、福岡県の太宰府市で育ちました。太宰府西中学校を卒業後、春日高等学校に入学しましたが、1年で中退しました。15歳の時に、そのまま筑紫野市二日市の測量会社に正社員で入社しました。今、33歳ですが、社会人歴でいえば、19年目となります。
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(11)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(11)
福岡で培ったノウハウをもって東京に上る。東京で上場して躍進した企業が数多くあるが、その成功の実例がアパマングループ、シノケングループであろう。アパマン大村浩次代表は郷里への恩返しとしてアビスパ福岡の再生に踏み込んだ。
株式会社シノケングループ 九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(10)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(10)
長崎県の人口は急減している。地域経済活動が縮小する。そうなると銀行業の成立が困難になる。よって銀行が合併・統合される。かつて長崎県で十八銀行、親和銀行、九州銀行が血まみれの激闘を展開していたことを知る人たちにとって隔世の感を抱く。誰1人金融業が成立不能になるとは想像していなかった。それだけ時代の激変で、金融機関が振るいにかけられているのだ。
西鉄グループ 九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(9)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(9)
宮崎市の目抜き通りに「大蔵住宅」の看板が残っている。看板が残っている場所にある古いビルに大蔵住宅宮崎支店があった。同社は平成4年2月に倒産している。バブルが弾けて1年半(弾けたのが平成2年9月)後のことだった。大蔵住宅は福岡における建売住宅の草分け的な存在で当時、地元でトップクラスのテレビコマーシャルを打っていた。
福岡地所株式会社 九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(8)
九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る(8)
 昭和60年までは松本組を頂点とした秩序が形成され、福岡建設協力会所属のゼネコンたちが地元業界を牽引してきた。
株式会社松本組 九州企業の衰退・勃興 平成を振り返る