コダマの核心

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織田信長の天下統一は濃尾平野の豊かさのおかげ
織田信長の天下統一は濃尾平野の豊かさのおかげ
10月19、20日名古屋へビジネス出張。その際、清州城(清須市)、金華山・岐阜城、犬山城(犬山市)を4時間半の短い時間であったがタクシーで駆け巡った。この地域に戦国時代後期の歴史遺跡がいかに山積しているかよく理解できた...
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(5)
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(5)
前述した通り、60年から41年かけて2001年4月期に純資産を3億円強貯めた。20年後の20年3月期には純資産28億8,851万円と9倍に膨らんだ...
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(4)
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(4)
内藤工務店の20年間の業績推移を詳しく見ていくが、まずは触れるべき時代背景から説明していこう。建設業界は長期にわたる屈辱を受け、バブル期には翻弄され続けた。結果...
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(3)
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(3)
受注量はある程度確保できたが、国、地方自治体は入札制度を推し進めた。従来の「疑惑の談合」が糾弾され。世の中の悪の見本にされていたからだ。官需の赤字入札さえも当然という風潮がはびこった...
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(2)
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(2)
この時代は内藤工務店=内藤建三氏を含めた建設業界全体にとって、屈辱の日々だった。毎月のように建設業者が倒産し、その下請業者が連鎖倒産していった...
株式会社松本組
生死の境界線(6)定期検診と生への執着の持続こそが境目
生死の境界線(6)定期検診と生への執着の持続こそが境目
各自が「生死の分岐点」を超えないためには、定期検診を積み重ねることがやはり大切であろう。少なくとも50歳前後から定期検診を始めるべきであろう...
生死の境界線(5)早期退院には注意が必要
生死の境界線(5)早期退院には注意が必要
9月27日(日)は、運動の代わりとして病棟内をまわった。手術では、図のように左脇腹の後ろを18ミリほど切った上に、肺の4分の1を摘出したのである。本人にとって大手術である...
生死の境界線(4)不便な入院生活と予想より早い退院許可
生死の境界線(4)不便な入院生活と予想より早い退院許可
病院側がもっとも神経を使うのは、血管障害である。手術を含めて1日中、動きが取れない状態でいると患者の血管が詰まり、最悪の場合には脳梗塞や心筋梗塞が発生する危険性があるため心配するのだ...
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(1)誰もが驚愕
内藤工務店の内藤建三社長を偲ぶ~企業価値40億円を積み上げた経営者(1)誰もが驚愕
内藤建三社長が10月1日に逝去した。75歳だった。葬儀は3日、しめやかに執り行われた。故人・建三氏は1978年3月に初代・内藤正治社長の後を受け継ぎ、陣頭指揮を執ってきた。32歳から75歳まで最前線を走ってきたのである...
生死の境界線(3)手術は麻酔で何もわからず
生死の境界線(3)手術は麻酔で何もわからず
手術前の9月22日の夜は正直なところよく眠れず入院ベッドで夜を明かした。初めての手術を控えて熟睡できる者は心を鍛錬した豪傑、と評する人もいるかもしれないが、実際のところ、本質的に無神経なのだろうと思う...
生死の境界線(2)我が身に降りかからないと身につかず
生死の境界線(2)我が身に降りかからないと身につかず
8月17日の再検査結果を基に、9月23日に手術するというスケジュールが確定した。前回の記事で報告した通り、「転移の可能性が低く、摘出で肺癌がほぼ撲滅できるのであれば手術する」ことを決断した...
生死の境界線(1)肺癌宣告
生死の境界線(1)肺癌宣告
筆者は毎年4月、適正健康検査(1日ドック)を受けてきた。かれこれ20年になるであろう。これまで致命的な勧告を受けたことはなかった。今年は新型コロナウイルスのため定期検査が例年より遅くなり、7月に行った。7月16日のことである...
清々しい現役引退の1コマ(2)
清々しい現役引退の1コマ(2)
A社を引退した会長に電話取材した。「出社もせず、社員の方々にも会わず、指示もせずに過ごしていたら、ストレスが溜まりませんか」と尋ねると、会長は「いえ、夫婦で長期間の議論をして到りついた結論です...
博多座
瓦屋さんの高笑い 職人さんがいない 修理まで2年は辛抱を!!
瓦屋さんの高笑い 職人さんがいない 修理まで2年は辛抱を!!
台風9号の吹き返しは強力であった。昨夜11時から今朝3時までかなり強烈な風が吹き返していた。仮にこの台風の進路が東に50kmずれていたならば福岡市周辺ではかなりの被害を出していたであろう...
清々しい現役引退の1コマ(1)
清々しい現役引退の1コマ(1)
何気なくA社の法人登記を見て、創業者オーナー夫婦が取締役を辞任したことを知った。すかさずご夫人に電話してみると...
ハーツ社代表の戸島匡宣氏は、どうして儲けられなかったのか。
ハーツ社代表の戸島匡宣氏は、どうして儲けられなかったのか。
インバウンド・バブルで黄金をザクザクと貯め込んだ連中は数多い。とくに中国から乗り込んできた方々に目立つ。一例を紹介する...
不動産で蓄財した在日中国人の価値観は多様化なり
不動産で蓄財した在日中国人の価値観は多様化なり
福岡在住のAとBという中国人がいる。Aは来福前、北京でサラリーマンをしていた。同市中心部にマンションを構えていたが、排気ガスに悩まされ...
お仏壇のはせがわ中興の祖・長谷川裕一氏の経営者としての最終的総括(5)経営と社会貢献を両立した傑物経営者2人
お仏壇のはせがわ中興の祖・長谷川裕一氏の経営者としての最終的総括(5)経営と社会貢献を両立した傑物経営者2人
長谷川裕一氏にとっての2000年は、経営者として、また財界の指導者としての「信用バブル」が弾けた年だったことは、すでに指摘した通りである...
福岡地所株式会社
お仏壇のはせがわ中興の祖・長谷川裕一氏の経営者としての最終的総括(4)2000年公的経営活動においても信用失墜
お仏壇のはせがわ中興の祖・長谷川裕一氏の経営者としての最終的総括(4)2000年公的経営活動においても信用失墜
経営者として2000年3月期において特別損失14.8億円計上することで長谷川裕一氏の責任が浮上した。ここから社長辞任へのスタートが始まった。同じことが同時に進行した...
お仏壇のはせがわ中興の祖・長谷川裕一氏の経営者としての最終的総括(3)多角化のツケが露呈、その結果負の処理は人任せに
お仏壇のはせがわ中興の祖・長谷川裕一氏の経営者としての最終的総括(3)多角化のツケが露呈、その結果負の処理は人任せに
(株)はせがわの業績を、参照してほしい。多角化経営の辻褄が合わなくなり、当時、赤字決算が続出していたことがわかる...