2024年04月19日( 金 )

【熊本地震】M7.3強襲!!記者が体験した被災地の真実(3)

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情報と支援の格差

全壊したジェーンズ邸<

全壊したジェーンズ邸

 2度の大地震によって被害は拡大した。当初、メディアが象徴的に報じていた益城町の倒壊した家屋の光景が市内各所で見られるようになった。二本木では塀が崩れ、屋根が破損し、壁にヒビが入る家が増えていた。実家近くの寺院では一部の建物が全壊。西南戦争の熊本城攻防戦で、西郷隆盛が本陣を置いたとされる二本木神社は鳥居の上部が真っ二つに割れ、石碑が倒れていた。熊本のシンボルである熊本城、県下最古の西洋建築物「ジェーンズ邸」、地震の影響で水が引いてしまった水前寺公園、阿蘇神社などの無残な姿に多くの人々が心を痛めた。

 一方、広域で甚大な被害が発生し、手厚い支援が行われている避難所がある一方で、避難支援をまったく受けていない避難所が続出した。『支援格差』である。インターネットで話題となり、ニュースにもなったパイプ椅子で作られた「SOS」の場所は、熊本国府高校(熊本市中央区)のグラウンドだ。場所は、水前寺公園の近くで、熊本市の中心部といっても過言ではない。この『支援格差』は、被災地の状況を知らせる報道によって作り出されるという危機管理の専門家の指摘がある。今回の場合だと、前震で被害が大きかった益城町の様子が報じられ、「熊本地震=益城町」というイメージが視聴者に生まれた。すると、全国各地からの支援物資は益城町に集中する。過度の一極集中を防ぐためには、一度、支援物資の集積を行い、各避難所の情報に応じて必要とする場所に配送する仕組みが必要だ。

 しかし、18日朝、泣きながら「我慢してください」と、市民に辛抱を求める大西一史熊本市長の姿がテレビに映し出された。14日の前震の後、すぐに準備を始めたが、本震によって混乱が生じたという。『公助』が全体的に機能不全に陥っていることが周知された。「地震発生後、熊本県、熊本市ともに機能していなかった」と、地震発生直後から現地の地方議員とともに作業服に身を包み、支援活動を行った福岡県議会議員・松尾嘉三氏は行政組織の混乱を指摘する。「地震発生から最初の3日間は人命優先。交通規制を行い、震源地付近や救急病院などに車や人を集中させないようにするべきだった」(松尾県議)。情報格差と被災自治体の混乱が支援格差につながった。

実家近くで倒壊した寺院の一部<

実家近くで倒壊した寺院の一部

 混乱が生じた最大の要因は、やはり大地震が立て続けに発生したことが大きい。前震の翌日(15日)、被害が大きく報道が集中した益城町には、警察、消防、自衛隊、支援物資、ボランティア、報道機関などが集中した。町役場付近の道では大渋滞が発生。中心部まで数時間かかった。本震の後も、地震に関する報道の中心に益城町があり、そのことが支援の一極集中を招いていたと被災地にいた筆者は感じた。たしかに、益城町の被害は甚大なものであったが、本震後は広範囲で建物の倒壊が起き、生活に困窮する避難者が続出していた。

 2,000台を超える避難者の自家用車が集まった展示場「グランメッセ熊本」(益城町)は、4月16日の昼ご飯が、パンの欠片におにぎり1つ、水500mlという状況だったという。「大人はもちろん、地元の中高生も手伝っていたが、仕分けと配送をする人員が圧倒的に不足し、物資を取りに行く人がいなかった」(松尾県議)。刻々と変わる状況のなか、適切に支援が行われるためには、「被災地に今何が必要か」という情報が不可欠だ。不足しているのはヒト、モノ、カネのどれなのか。それは局面で変わる。

(つづく)
【山下 康太】

 
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