2024年04月23日( 火 )

明治以来の名門・スリーダイヤの凋落、三菱自を買収した日産自動車の思惑とは(後)

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三菱自は三菱グループが丸抱え

f2 三菱自動車工業は1970年4月に三菱重工の自動車部門が分離・独立してスタートした。三菱財閥の創業100年事業としてグループ内に自動車会社をつくったのである。

 三菱自動車は三菱グループが丸抱えした。御三家である三菱重工は研究・開発、(株)三菱銀行(現・(株)三菱東京UFJ銀行)は資金、三菱商事(株)は海外展開を担った。顧客はオール三菱である。
 三菱グループ企業の社員は「バイ三菱」と称して三菱車を優先的に購入した。「バイ三菱」とは、三菱各社が率先して三菱グループの製品を買うことだ。三菱グループ企業のパーティでは、キリンビール以外のビールは絶対に出されない。
 三菱グループの社長会である金曜会だけで29社。その関連会社や取引先まで含めれば約10万社。これらの企業と社員が、三菱自のユーザーである。
 最高級車「デボネア」(1999年まで生産)は、三菱グループ企業の本社が集中する東京・丸の内の三菱村でしか走っていない重役専用車だった。三菱自から新型車が発売される際には、グループ社員限定の事前発表会が行なわれた。一昔前までは、スリーダイヤ企業の社宅の駐車場には、三菱車以外の車は駐車できないという暗黙の約束があった。
 トラックの主なユーザーは三菱グループの工場や取引先。乗用車はグループの社員が買ってくれる。営業努力しなくても、毎年一定の売上が確保できた。三菱グループにおんぶにだっこだから、グループ企業にだけ顔を向けていれば何とかなるという内向きの経営体質になってしまった。三菱自は大衆車に進出するまで一般ユーザー向けの商売をやったことがなかった。ユーザー軽視は三菱自のDNAなのだ。

三菱自を買収した狙いは三菱商事の海外販売網

 それでは、なぜゴーン社長は三菱自を買収するのか。共同開発の軽自動車は、日産の国内販売の4分の1を占める。水島製作所は日産への供給分が大半だ。三菱自が破綻する事態になれば、日産のダメージは深刻なものになる。そのため、三菱自からOEM供給を受けていた軽自動車を獲得することを狙って救済に乗り出したという見方が一般的だ。

 狙いは、別にある。軽自動車を海外に売ってきた三菱商事のなかでも東南アジアの販売網に、日産の車を乗せて、売ってもらうことだ。世界販売1,000万台を目標にするゴーン社長にとって、三菱商事の販売網は喉から手が出るほど欲しい。

 「将を射んと欲すれば馬を射よ」。ゴーン社長は、三菱商事とのパイプをつなぐために、三菱自を買収したのである。

(了)
【森村 和男】

 
(前)

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