2024年05月05日( 日 )

九州古代史を思う~「倭奴国」から「日本国」へ(1)

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「倭奴国」から「日本国」へ

book 歴史に興味をお持ちの方々は、世界史や日本史、また各時代年代と細部に分かれ、自分がとくに好む時代考証には自然と力が入るものです。

 私が、日本の古代史に興味をもったのは、疑問からでした。
 小学校で初めて歴史に出会います。紀元前・後・西暦、何年の時代には、どの様なことが行われたと、それぞれ歴史が存在するのに、日本の歴史には神々が国を創造したという、神話伝説が語られてきました。しかし日本の古代史には空白の時代が存在し、学校でも当たり前のことのように教えられている。
 当然、私も学生の間は、疑いもなしに試験問題には対応していました。

 もう30年程前になりますが、福岡に“郷土文化会”の呼称で、学校の先生や役所を退職された方々で組織された会があり、月に1回、会員さんが調査された遺跡・神社などの現地を巡っての勉強会が開催されていました。
 私にはバス運転を兼ねての会員のお誘いがあり、マイクロバスのレンタカーで各所を日帰りで一緒に回り、バスのなかでそれぞれの起源由緒の講義が行われ、皆さんが質問・意見で勉強をするという小旅行でした。
 そのなかで、此処の神社の由来は、神話伝説でいわれている、何々神・命・姫、 例えば、「アマツヒコヒコホノニニギノミコト」など、日本書紀・古事記に出てくる個称での説明がなされていました。
日本には、仏陀のお寺と神様の神社があります。私は無神論者ではありますが、どちらの前でも手を合せます。それがごく自然ですね、何故、日本には仏様と神様が同居されているのだろうと思います。
 もし、それが古代の政権のせいだとしたら。
 何も無い空白時代と、~の命・姫の呼称“なぜ・どうしてだろう?”です。

 その様なとき、吉野ケ里が発掘され公開され、私どもも見学に行きました。
 吉野ヶ里は昭和の初めごろから、文化財の存在を語られていたそうで、昭和20年代に一部分発掘調査され、おびただしい土器・甕棺などが発掘。1986年(昭和61年)から始まった、工業団地造成にともない大々的な発掘調査が行われ、国としての遺構・墳墓・土器などが出土し、一躍古代国家として注目されました。

 が、しかし、日本の学会において、一時的に賑わいはしましたが、一地方の出来事として、いつの間にか忘れ去られようとしているのが現状ではないでしょうか。

 そこで私が感じたのが、徐福伝説と邪馬台国論争です。「歴史を論じるには源流まで遡り、人類の感性を見つめ、その時代の背景を考証しながら下がって行く」ことがもっとも必要と思います。

(つづく)
【古代九州史家 黒木 善弘】

 

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