2024年04月24日( 水 )

非上場化する真珠のTASAKI、マネーゲームに翻弄される(後)

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真珠の量産化に成功して日本一の真珠会社に

 田崎真珠の創業者、(故)田崎俊作氏は、長崎県出身経済人の立志伝中の人物。実家は養殖業者。俊作氏は5年制の旧制大村中学(現・県立大村高校)を4年で卒業、海軍兵学校に進学したが敗戦。長崎経済専門学校(現・長崎大学経済学部)を卒業。真珠の街、神戸で修業し、1956年に田崎真珠を始めた。
70年代に真珠の量産に成功。真珠の養殖・加工・販売を自社で行い、国内真珠最大手の会社に育った。93年東証1部に上場。94年、日本で唯一となる世界最大のダイヤモンド原石供給元デ・ビアス社のサイトホルダーの指定を受けた。サイトホルダーとは、デ・ビアス社から直接原石を購入できる権利のこと。ダイヤモンド事業に参入した。

 2000年代に入ると赤字経営に転落。その最中に乗っ取りを仕掛けられたのである。

田崎真珠の株式がアングラ世界に流れる

 ゾンビ企業がやっと株式市場から消えた。16年11月1日、ジャスダック上場のサハダイヤモンド(株)が上場廃止になった。とにかく奇々怪々な会社だ。1965年に東京サンゴ(株)として設立。77年(株)宝林、99年(株)ジャパンオークションシステムズ、2004年サハダイヤモンド(株)に商号変更。1990年に日本証券業協会に店頭登録(現ジャスダック上場)。

 この会社は、とてつもない「怪記録」の持ち主。1999年3月期から18期連続の営業赤字。純損失は、1度だけ黒字になったことがあるが、18期間中17期はすべて赤字。無配も18期連続だ。

 2003年にロシア連邦サハ共和国政府とダイヤモンドの貿易経済協力を締結。サハで採掘される原石を買い付けて現地で研磨、香港の子会社で加工して販売する。2004年にサハダイヤモンドに商号変更するとともに、今野康裕氏が社長に就いた。今野氏は中堅コンビニ(株)ニコマートを設立したベンチャー起業家だが、93年に負債450億円を抱えて倒産した。

 今野氏が仕掛けたのが田崎真珠の乗っ取り。2006年から株を買い占め、11.34%の株式を保有して筆頭株主に躍り出た。2007年12月、サハダイヤは自社の取締役を田崎真珠の役員に選任するよう提案したが、田崎真珠は反対する意見を表明した。

 サハダイヤは田崎真珠株を担保に沖縄振興(株)から8億円の融資を受けていた。田崎真珠の株価が半値まで下落。返済期限まで返済できず、沖縄振興に代物弁済した。さらに、田崎真珠の株が(株)神商なる会社に渡った。

 神商のバックは、アングラ世界では有名な山口組系の大物金融マフィア。井上工業(株)の架空増資事件、(株)インデックスの(株)学習研究社株の流出事件、トランスデジタル(株)の株券乱発事件に関与が取り沙汰された人物だ。そんなコワモテの筋に田崎真珠の株が流れた。田崎真珠としてサハダイヤに輪をかけて薄気味悪い存在だ。

 緊急事態に、名誉会長に退いていた創業者の田崎俊作氏は買収防衛策を決断する。2008年10月、独立系投資ファンド、MBKパートナーズに第三者割当増資を実施。MBKが49.55%を保有する筆頭株主になった。MBKへの身売りし、創業家一族は田崎真珠を去った。

 一方、田崎真珠の買収を仕掛けたサハダイヤは、会長になっていた今野康裕氏が暴力団組長との間で資金運用を交わしていたことが14年に発覚して失脚。この間、中国の投資家に経営権が移り、増資や不可解な自社株の売買などやりたい放題。ゾンビ銘柄として悪名を轟かせた。中国人の錬金術に利用されたサハダイヤモンドはやっと上場廃止になった。

 サハダイヤに乗っ取りを仕掛けられた田崎真珠はTASAKIに社名を変更して再出発を期したが、マネーゲームのカードに翻弄されたあげく、非上場化して、証券市場から姿を消すことになった。

(了)
【森村 和男】

 

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