福島自然環境研究室 千葉茂樹
まとめ──福島県立博物館のハラスメント
上記のように、福島県立博物館は私に対し、不当な理由で「磐梯山1888年噴火写真の持ち出し」を妨害、すなわち「ハラスメント(いやがらせ)」を行った。福島県立博物館は、自分たちの勝手な論理で動いている。
なお、本件について福島県立博物館が私に対し反論がある場合は、「文書」でいただきたい。口頭では、「言った」「言わない」になるからである。また、研究者の立場でいえば、このような妨害は許しがたい。論文作成には資料が必要で、それが入手できなければ研究自体が止まる。私は当時、磐梯山1888年噴火直後に撮影された写真を使って、噴火災害の検証を継続的に行い、その論文も継続して出していた。しかし、福島県立博物館の妨害により、この検証作業は2010年で止まった。研究資料が入手できなければ研究そのものができず、研究を別のテーマに切り替えるしかないのである。仮に後日、目的の資料が入手できても、研究は別のテーマに移っており、元の研究の再開とはならないのである。
リンク 論文
某博物館のハラスメント
私の手元には、幕末の『蝦夷・樺太探検記』の電子データがある。山形県鶴岡市を起点とし、宗谷そして樺太までの「絵日記」である(画像9)。幕末期の北海道・樺太が記録された「重要な書物」と私は思う。一例を挙げれば、小樽(探検記ではオタルナイ)は「開港されたばかりであるが、これから発展するであろう」という内容が書かれている。
11年、知人の父親から上記『蝦夷・樺太探検記』について相談があった。概要は「この書物は、母方の祖先(庄内藩士、山形県)が書いたものである。自分は数年前に鶴岡市の某博物館に持参し、寄贈を申し出た。すると、学芸員が“こんなガラクタはいらない”とたたき返された」とのことであった。また、「自分は貴重な資料と思うので、この探検記の寄贈先を探してほしい」とのことでもあった。
私は手始めにこの探検記を高密度スキャンし、電子データ化した。また、複製本をつくって所有者にお渡しし、「原本は厳重に保管し、通常は複製本を見せるように」とお話しした。この際、所有者から「画像データを自由に使ってよい」との許可をいただいた。
私は寄贈先を探すべく、サムネイル画像(低解像度の画像、画像9の左の画像群)を友人知人に配った。このうちのひとりが、上記の某博物館の館長に画像を持参して見せた。すると館長は「本館でぜひ展示したい」との意向を示したという。要するに「学芸員の能力が低く、その貴重さが理解できず、傲慢であった」ということである。さらに複製本を会津若松市史編纂委員にお見せしたところ、極めて重要な資料との見解をいただいた。
しかし、寄贈先を探しているなか、所有者が急死した。そして、ご遺族は「父が侮辱されたので、博物館には絶対に寄贈しない」と、この探検記を蔵の奥にしまい込んでしまった。じつに残念であるが、博物館学芸員の傲慢さが重要な資料が世に出る機会を奪ったということである。なお、私はこの探検記の画像使用の許可を得ているので、学術誌への投稿も考えている。
日本刀の寄贈問題
私も上記と同様の仕打ちを受けている。父の死去後、日本刀が5振り残された。会津の刀が含まれているので、寄贈先として福島県立博物館を考えた。私の考えは、まず刀の銘から寄贈価値の有無を判断していただき、価値があると判断された場合は博物館に持参し現物を見てもらうつもりでいた。
相談先の福島県立博物館から、刀剣担当の学芸員が紹介された。さっそくその学芸員と電話で話し、「刀の銘」を告げた。すると学芸員は「相撲でいえば三段目。価値のない刀で本館では不要」と即答した。その後、日本刀の愛好家に現物をお見せした。その際に「どの刀もそれなりの価値がある。とくに一振りの刀の鞘には螺鈿細工があり、身分の高い武士の所有物ではなかったのか」との見解をいただいた。
上記の経緯で福島県立博物館には寄贈せず、18年に宮城県の登米市歴史博物館に寄贈した。学芸員は大変喜び、「予算をとって研ぎに出し展示する」と話した。ただ、予算が確保できなかったらしく、いまだに展示されていない。
また、私は本当に「相撲の三段目相当の刀」なのかを銘から調べた。一振りは「備前長船秀景」で、伊達政宗が家臣に褒美として下した刀と同じ銘であった(宮城県一迫町史)。一振りは「濃州関住兼則」で、一関藩主の所蔵刀(一関市博物館に展示)とまったく同じ銘であった。一振りは「河内大掾藤原国定」で、会津の刀工の作であった。これはとくに手入れが行きとどき、細身で何度も研磨されたものだった。実戦(おそらく会津戦争)で使用されたものと思う。なお後日談であるが、会津若松市史編纂委員の話では「この銘は、保科正之(三代将軍家光の異母弟)が会津に入った際に連れてきた刀工の作。残存数が少なく会津にとっては貴重な刀」とのことであった。
学術データ窃盗事件
磐梯山周辺の博物館等の職員は、じつに傲慢である。他人の研究データを盗んで自分たちの業績にした。これには有名大学の教授や研究機関の職員も絡んでいる。じつに不愉快である。地質系学会の機関誌に記事『磐梯山、研究データ窃盗事件』(PDF)を書いているので、興味のある方はご覧いただきたい。なお、この事件に関して、私は直接の被害者ではない。ただし、間接の影響はある。
まとめ(その1、その2を通して)
日本各地には、その地域を語る上での重要な資料がたくさん残されている。これらは家制度のなか旧家の蔵に代々守られてきた。しかし、核家族化して人々が郷里を去り、旧家そのものが荒廃し、蔵の資料も風前の灯火である。そのなかでも一関市博物館の職員は精力的に資料の保全に尽くした。じつにすばらしい。これに対し、福島県立博物館および鶴岡市の某博物館の職員は、じつに傲慢である。
なお私は、50年近くにわたる磐梯山の研究で、私しか持っていない資料がたくさんある。人生の残された時間を考えると寄贈も考えねばならない。その選択肢に、福島県立博物館はまったくない。
本稿の最後に書く。
「地域の博物館よ、創立の意義を考え、地域のために貢献せよ」
サムネイル画像は、猪苗代湖畔に建つ天鏡閣(旧・高松宮別邸)。

(了)
追悼
本稿の仕上げをしていた1月26日、福島自然環境研究室の佐藤悦夫さん逝去の報が入った。悦夫さんは「猪苗代学園都市計画」を掲げ、猪苗代町議会議員として活躍された。23年には、この計画を掲げて町長選にも出馬されたが、夢はかなわなかった。
また、郷里の情報にも精通されていた。興味深い例を1つ挙げれば、「会津戊辰戦争で鶴ヶ城落城直前に天守閣から持ち出された摩利支天像(城の守神)が、猪苗代の旧家に祀られている」と話されていた。
その旧家の家長も悦夫さんも亡くなり、摩利支天像の所在は永遠の闇の中に消えてしまった。悦夫さんと猪苗代について語った日々を、私は忘れない。
<プロフィール>
千葉茂樹(ちば・しげき)
福島自然環境研究室代表。1958年生まれ、岩手県一関市出身、福島県猪苗代町在住。専門は火山地質学。2011年の福島原発事故発生により放射性物質汚染の調査を開始。11年、原子力災害現地対策本部アドバイザー。23年、環境放射能除染学会功労賞。論文などは、京都大学名誉教授吉田英生氏のHPに掲載されている。
原発事故関係の論⽂
磐梯⼭関係の論⽂
ほか、「富士山、可視北端の福島県からの姿」など論文多数。









