2024年04月30日( 火 )

元「鉄人」衣笠氏が斬る!~「決まり事」

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 キャンプが始まり20日が過ぎた。2月1日に始まったキャンプ地での練習からチームの紅白戦を終えて、最近では20日を迎えると多くのチームが連日宮崎、沖縄でほかチームとの練習試合、早いところではオープン戦、というところも最近はある時期になってきた。

 私が入団したころのプロ野球のキャンプは20日あたりからやっと紅白戦を始める時期を迎えていたように思うが、今は本当に早い時期から調整が進んでいるのだと思う。

 私にとってこの2月20日は決まり事があったという印象が強い日で、チームは必ずオープン戦をやり、1976年から山本浩二と衣笠が出場するという決まりになっていた。フルイニングではないが、お天気により1打席か2打席、それを終えるとキャンプ地に2人で車で帰るということ決まっていた日である。

 キャンプに入った1日に監督から20日は「行くぞ」という声がかかり、20日に試合でプレーしても怪我をしない体を準備することが決められる。

 いつからかな???と考えるのだが、1975年にジョー・ルーツ監督が誕生した春のオープン戦は行かないところが多かったように記憶している。監督が「まだ少し気温が低いから広島に残りなさい」

 ということで2人とも行かないで広島でいわゆる打撃の「打ち込み」をしていた記憶があるが、5月に新たに監督に就任された古葉監督の初めてのキャンプの時には20日には試合に出ていると思う。

 ここら辺りが外国人監督と日本の監督の違いだったかな?日本の監督からすればオープン戦はお客さんから入場料をいただき、試合をする以上チームの看板である選手を外す訳にいかない。という気持ちが強く、外国人監督にはこれはない、なぜならメジャー・リーグではオープン戦はお金を取らないからチームの事情が優先するという訳である。

 というわけで20日は思い出に残る日になっている。内容はどうでもいいのだが、お客さんに見てもらって恥ずかしくないプレーができる所まで仕上げる。これがキャンプの当初の目的になる事は間違いない、そしてその日の内容を自分で分析して明日からの練習の課題を見つけるということになる。

 そういえば昔のカープのオープン戦の球場は凄かったな~~。多くのチームがなかなか試合を組んでくれず「カープと試合しても人が集まらないから・・・」巨人が松山で1試合、呉でキャンプをしている南海は相手にしてくれず、阪急が3月20、21日に府中と西宮球場で2試合、ロッテも強い時期で、西鉄も強かったから、なかなか組んでくれなかったが、1試合だけ強烈に覚えているのが呉の二河球場で行われた西鉄とのオープン戦、中西選手が兼任監督でプレーされていた。その日の打撃練習での打球を憧れの眼差しで食い入るように見ていた自分を覚えている。「あんな打球を打ちたい」もう中西選手は晩年で、両手首を壊されていたにも関わらず、すばらしい打球が飛んで行ったのを覚えている。

 因島で飯島選手が入団された時に行われた試合も思い出に残っている。前夜の雪でグランドが白い中、球場の係りのほうが「どうしてもやるぞ!」という気合のもと頑張られている姿に驚いた事もあった。あの時の飯島選手の走り方はやはり「陸上選手」だったな~~~。

 今はカープの選手がオープン戦をする球場はシーズンで使うような立派な球場ばかりで、お客さんも多く入り、私が入団したころのように切符を売りに球団のほうが苦労する事もないのだろう。

 強いいいチームになるという事はこんなにも周りの人を幸せにすることにつながるという事だ。今年も監督、コーチ、選手は周りの人を楽しませて、喜ばせて、そして幸せにするために最後の最後まで頑張らなくてはいけない。

2018年2月20日
衣笠 祥雄

 

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