2024年04月20日( 土 )

ドーピング問題で浮き彫りになる統合医療の必要性(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

自民党・統合医療推進議員連盟 会長代行 橋本  聖子 氏

 ――統合医療推進活動を行う背景には、ご自分のアスリート人生が深く関わっていると聞いていますが。

 橋本 私は小学生の時に腎臓病を患い2年間の療養生活を余儀なくされました。そして、スケートに打ち込んでいた高校3年の秋に腎臓病が再発し、練習できない焦りと将来への不安からストレスに押しつぶされてしまいました。胃に穴が開き円形脱毛症になりました。さらにストレス性呼吸筋不全症を発症し、自分の力で呼吸できなくなってしまったのです。
 そのため当時の精神科病院に移されることになったのですが、不運なことに病院内でB型肝炎にも感染し、腎臓病と肝炎と呼吸筋不全症という三重苦に陥ったのです。

 精神的にも追い込まれていましたが、体の不自由な子どもたちとの出会いが悪循環を断ち切るきっかけになりました。リハビリを通しての交流のなかで自分の病気はもう治らないということを受け入れられるようになりました。そうすると心が軽くなって治療も進み、奇跡的に選手として復帰することができたのです。
 以来、病気を受け入れて共存しながら生きることを心がけてきました。今になっては病を経験したからこそ夏冬7回も五輪に出場できたのだと思っています。

 アスリートはドーピング検査があるために、日ごろから薬の服用にはことさら慎重にならざるを得ません。私自身も薬に頼らずに病気や怪我の予防に努め、免疫力を高める体づくりを行ってきました。そのノウハウは広く一般の方々の健康増進にも役立てるはずです。
 我が国の財政は危機的状況にあり、社会保障改革と同時に健康寿命の延伸に取り組まなければならないことは周知の通りです。2020年東京五輪・パラリンピックはより一層、国民にスポーツを習慣づける良い機会だと思います。アスリートも指導を通じて地域に貢献し、生活の質を高め、医療費の削減につながるような好循環を実現したい。これが今も病気と折り合いをつけながら生きている私なりの理想です。

 統合医療プロジェクトチームを発足したのも、病気になりにくい身体をつくり、誰もが心豊かな人生を送れる社会を実現したいとの思いからです。予防医療を強力に推進し、また、極力薬を使わない医療を推進していくことが重要だと考えております。

 ――統合医療を推進するための課題と政策実現の展望をお聞かせください。

 橋本 統合医療は、さまざまな医療技術を統合して病気を治すことだけではなく、病気の予防から最期の看取りまでを考えた医療です。そして、さまざまな医療資源を統合して、WHOが推進する「健康都市づくり」に貢献する医療でもあります。
 こうした大きな意味での統合医療が実現できれば、病人が減って、結果的に医療費を削減することができるのではないでしょうか。私は、アスリートとしてさまざまな方法で自然治癒力を高めることに取り組んできましたが、その経験から、統合医療を推進することが国民の健康増進につながると確信しております。

 もちろん、統合医療を実現するには、いくつもの越えなければならない課題があります。医療制度の問題、医療従事者の意識改革と医学教育の問題、そして医療を受ける国民の意識、いわゆるヘルスリテラシーの問題などです。

 たとえば、心療内科の医師が30分、1時間とじっくり患者と向き合って話を聞いたとしても診療報酬が低いため、時間をかけずに薬を処方する方法を選んでしまう傾向があります。気軽に薬を服用することのできないアスリートの場合は、カウンセリングに時間をかけて、プレッシャーに強くなるトレーニングを行うことができますが、一般の方々にはその手立てが見つかりません。
 ですから、この仕組みを一般の医療にも応用できるような体制を築いていきたいと思います。そのためにも具体的な政策を推進するための「統合医療推進基本法」が必要になるでしょう。

 私たちがとりまとめた提言では、統合医療が目指す方向性としては、(1)生活習慣の改善を支援する医療、(2)治療だけでなく病気の予防や健康増進に寄与する医療、(3)患者の体質、生活環境、生きがいなどに配慮したQOL重視の医療、(4)有意義な人生を送り、穏やかな死を迎えるための包括的な医療、(5)医療経済や環境などにも配慮した永続的な医療―の5点を明記させていただきました。
 これらの仕組みづくりは、相当の力と時間が必要になるでしょう。しかし、何としてもやり遂げたいと思っておりますので、腰を据えてじっくり取り組んでいきたいと考えております。

(了)

【取材・文・構成:吉村 敏】

<プロフィール>
橋本 聖子(はしもと・せいこ)

1964年、北海道生まれ。84年、冬季オリンピック・サラエボ大会出場(スピードスケート)。88年、冬季オリンピック・カルガリー大会出場(スピードスケート)。同年、夏季オリンピック・ソウル大会出場(自転車競技)。90年、世界選手権総合銀メダル(スピードスケート)。92年、冬季オリンピック・アルベールビル大会出場(スピードスケート)、1,500m銅メダル獲得(日本人女子初)。同年、夏季オリンピック・バルセロナ大会出場(自転車競技)。94年、冬季オリンピック・リレハンメル大会出場(スピードスケート)、3,000m6位入賞。95年7月、参議院議員自由民主党比例代表に当選。96年、夏季オリンピック・アトランタ大会出場(自転車競技)。現在、参議院自由民主党議員会長、(公財)東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会理事、(公財)日本オリンピック委員会副会長など。

(中)

関連記事