2024年04月19日( 金 )

日本国民として弾劾する日本相撲協会の違法行為(12)

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青沼隆郎の法律講座 第18回

国民の基本的権利・告発権

 国民は三権の長である各国家権力(以下国権)に対して、権利者としての要求権をもつ(※1)。学者はこれを国務請求権と呼ぶ(※2)

 憲法前文に法的規範性(法源性)、具体的には裁判規範性があるか否かの議論が実際に憲法論争として存在した。法令の通有性として、必ず立法制定の目的や根拠となる精神が記述される。それは当然、第1条に掲げられる。日本国憲法の第1条は象徴天皇制規定である。では憲法制定の目的・基本精神はないのかといえば、それは前文に掲げられている。そうであれば、ただの条文の番号付けの違いだけであって、前文とするか第1条とするかの表記上の違いにすぎないことがわかる。かくして、前文の法源性、裁判規範性の議論は終息した。 

 重要なことは、法律の世界ではこんなある意味馬鹿げたことが学者や専門家によって(ある意図の下)議論されるという事実である。

 具体的には憲法16条(請願権)同17条(国家賠償請求権)、同32条(裁判を受ける権利)、同40条(刑事補償請求権)などが例とされるが、これを各国権に対する国民の基本的要求権という視点で分類すれば、立法権に対するもの(請願権)と司法権に対するもの(裁判を受ける権利)は明らかであるが、行政権に対するものは例にない。これが、法律学のいい加減でデタラメなところである。行政権に対する国民の主権者としての要求権の具体例は存在しないのだろうか。

告発の本質

 行政権だけが特別な国権で、主権者国民にも不可侵なものなのか。実は、この行政権に対する国務請求権の行使として、所轄庁への告発が存在する。その法令上の根拠は所轄庁の立入調査権であり、処分命令権であり、許認可取消権の規定である。これらの権限は法律によって所轄庁に付与されたものであり、その正当性は主権者国民に由来する。所轄庁の法律行為は行政処分と法性決定されている。従って、告発は相当処分を求める国民の権利にほかならず、処分の請求に関する基本法は行政手続法である。

 しかし、行政手続法はあくまで「処分」の申請請求に関する手続の基本法で、外形上は国民の「告発」に関する手続法ではない。ここでも前文の法源性議論と同じ法律議論が戦わされる可能性がある。つまり、国民の行政権に対する基本的な要求権としての告発はその出自自体が不明の状態にされている。所轄庁には強力な国家権力の発動を可能とする法令の規定があるが、明白に、その国家権力の発動について、主権者たる国民の要求権の規定はない。これは明らかな法律の過誤と言ってよく、官僚による故意の過誤立法である。このような現実は、国会議員には具体的な立法能力はなく、具体的な法令作成は官僚に丸投げされている、立法権(国会)の実態がある。

所轄庁による告発の無視の法的効果

 告発の法的性質が明確な法令による定義がないため、所轄庁がこれを無視した場合にはいかなる問題が生じるかは、それこそ、法律専門家の間で激論となる。ここで、すぐに思い浮かぶ関連事実は「陳情」や「上申」である。これらは明らかに単なる「お願い」であって、無視されても、何ら法的責任の問題は生じないとされる。有名な「政治的責任」や「道義的責任」が登場する世界である。

 筆者は所轄庁に対する告発は法令の規定に従った、管理監督権の発動を求めるものであるから、相当処分を求める国務請求権と法律構成する。従って、その無視は行政手続法違反の違法行為であり、不作為の違法として国家賠償の対象となるほか、行政事件訴訟法の規定する義務づけ訴訟として、所轄庁に相当処分を行うよう行政訴訟が可能と考える。実際、このような訴訟をしても、金にならないため、ほとんどの弁護士が関心も知識もないのが現状である。弁護士は国民のため、社会のためにその資格と能力を発揮する前に、自らの生活の維持確保に全力を尽くさなければならない厳しい生活環境がある。しかし、これはある意味、自らが招いた消費者に見放された職場環境であるから、それを改善打破するためにも、目先の収入にこだわらず、社会正義に尽力してほしいものである。

(つづく)

※1 実定法上の根拠 憲法前文第1段落
※2 憲法に規定された国民の権利の通有性を抽象化して表現する法律用語。

<プロフィール>
青沼 隆郎(あおぬま・たかお)

福岡県大牟田市出身。東京大学法学士。長年、医療機関で法務責任者を務め、数多くの医療訴訟を経験。医療関連の法務業務を受託する小六研究所の代表を務める。

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