2024年04月30日( 火 )

カルロス・ゴーン、裏切りの代償~日産に君臨した独裁者はなぜ墓穴を掘ったのか(後)

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ゴーン容疑者は日本的リーダーに必要な条件を備えていなかった

 ゴーン容疑者の“躓きの石”は何だったか。梅原氏は日本的リーダーに必要な条件として、次の5点を挙げる。
・リーダーは神になってはいけない。
・リーダーは怨霊をつくってはいけない。
・リーダーは修羅場に強く危機を予感しなければならない。
・リーダーは自利利他の精神をもたなければならない。
・リーダーは退き際を潔くしなければならない。

 ゴーン容疑者は日本的リーダーとは対極にあり、日本的リーダーの要件を備えていない。
 ゴーン容疑者は日産を再生させたことで、カリスマ経営者として崇められた。権力志向の強い人間が権力の頂点に上ると、そこに独裁的権力社会が生じる。日産は、ピラミッドの頂点に立つゴーン容疑者の意志により物事が決定され、神の命令のように拒むことができない。だが、恐怖による権力は長続きしない。権力の座に就いた19年は、短期決戦型のゴーン容疑者にとってあまりにも長すぎた。

 組織には陽のあたるポストと陽のあたらないポストがある。陽のあたるポストは、出世が保証される。陽の当たらないポストにおいては、怨霊が発生する。強いプライドをもっているのに、陽の当たらないポストに置かれていることで怨霊になってしまうのだ。日本の年功序列による人事は、怨霊になりそうな人物を陽のあたるポストにつけ、怨霊の怨念を発散させていた効果もあったが、ゴーン容疑者には怨霊を防ぐための年功序列という発想はない。

 リーダーは修羅場に強くなければならない。日産で検査データの不正が発覚したとき、ゴーン容疑者は会見で謝罪しなかった。現場で起きたことは現場の責任と考えているからだ。日本ではこれは「逃げ」だと見なされる。不祥事が起きたとき、事件そのものより、“逃げまくるトップ”に対する視線が厳しく、逃げていると「卑怯者」と批判されるのが日本社会なのだ。

 人間は自分のエゴイズムには、あまり気づかないが、他人のエゴイズムには、よく気がつく。それゆえリーダーが私腹を肥やすことを決して許さない。ルノーでは仏政府が「高額報酬」に目を光らせている。そこで、ゴーン容疑者は、かつての植民地の長官が行ったように、“植民地の日産”で荒稼ぎすることにした。2010年に役員報酬の情報が開示される以前、ゴーン容疑者の年俸は20億円だった。高額報酬批判をかわすために年間10億円の上限を設け、残りの10億円をプールして退任後に受け取る仕組みをとったのが、今回の事件の発端である。

 08年、ゴーン容疑者は、ゴーン改革の核心である「コミットメント(必達目標)」の旗印を降ろした。コミットメントを達成できなかったら「辞める」と宣言していたのに、数値目標を達成できなかったので、コミットメント経営をやめたのだ。あの時、コミットメントの未達を理由に辞めていれば、潔い引き際として称讃され、ゴーン容疑者は日産の“中興の祖”になれたかもしれない。

日本社会での最大のけなし言葉は「汚い」

 改めて、ゴーン容疑者は何で躓いたのか。日産は、経営支配を狙う仏政府との対立が先鋭化していたが、ゴーン容疑者は日産側の防波堤となっていた。ところが、今年2月、ゴーン容疑者は国営企業ルノーのCEO続投の見返りに、ルノーによる日産の統合計画を受け入れた。CEOの座と引き替えに、日産を仏政府に売り渡す取引をしたわけだ。
 ゴーン容疑者は日産を裏切った。「汚いヤツだ」という憤怒が、ゴーン容疑者を追い落とすクーデターの動因となった。

 日本社会では「汚い」は最大のけなし言葉である。カネに汚い、やることが汚い、と軽蔑される。ゴーン容疑者は「汚い」という烙印をおされた。これが失脚する躓きの石となる裏切りの代償だった。

(了)

【森村 和男】

(後)

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