2024年03月19日( 火 )

「大学が終わっていく」、立て看掲げた東洋大生(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
取材に応じる船橋さん(2019.2.6筆者撮影)

 東洋大学白山キャンパス(東京都文京区)に立て看板を設置し、ビラをまき始めた学生が「退学を勧告された」事件について、当学生の船橋秀人(ふなばし・しゅうと)さん(23)に2月6日、話を聞いた。創立者、井上円了の思想に憧れて入学した彼は、「大学が終わっていく」現状を憂える。

 4年生の船橋さんは1月21日、同キャンパス南門付近に「竹中平蔵による授業反対!」と書かれた立て看板を設置し、「この大学はこのままでいいのだろうか?」と題するビラをまいた。10分後に大学職員に制止され、学生部の部屋に連行され、2時間半、叱責(しっせき)された。

大学に掲げられた立て看板(船橋さん提供)

 「竹中さんのことは、予備校時代に知った。2003年の労働者派遣法の改正を主導し、非正規雇用の労働者をこれほどまでに増やした。パソナの会長をしながら政府の諮問機関で利益誘導していることより、それ自体が問題。左右を問わず、誰が見てもおかしい」と動機を明かした。

 ビラは「正社員をなくせばいい」「若者には貧しくなる自由がある」などの竹中氏の発言を紹介し、入管法改正や水道法改正などへの同氏の関与にも言及。「皆さまは恥ずかしくないですか、こんな男がいる大学に在籍していることが」とつづり、「今こそ変えよう、この大学を、この国を」と呼び掛ける。

 事後、「授業に出て直接本人に訴えるべきだ」との批判も寄せられた。なぜ、このような手段に訴えたのか。船橋さんは「竹中教授個人の問題ではなく、大学の組織自体の問題。広く知ってもらう必要があった」と吐露する。

配布したビラ(1)(ツイッター
「東洋大立て看同好会」より)

 「インド哲学科や中国哲学文学科を廃止する代わりに国際系や情報系の学部を増やし、実学偏重路線に突き進んでいる。それを私学の先端でやっている。竹中さんがきているのはその象徴であり、このままでは大学が終わっていく」

 もともと「私立哲学館」として創建された同大の変貌に対する嘆きは大きい。「円了は庶民に哲学を広めようと、啓蒙活動に生涯を捧げた。それを受け継いだはずなのに、200年、いや3,000年の蓄積がある思想を捨て、わずか十数年のはやりにすぎないコンピューターや語学教育にすがりついている。そんなのは専門学校でやればいいこと。古典を重んじなければ、新しいものも生まれない」と突き放す。

 船橋さんは特定の党派や組織に属さず、たった1人で今回の行動に出た。そこには哲学的な思索が介在する。カントをドイツ語で読む船橋さんは、サルトルの実存主義の影響も受けていると自認する。

 「先の戦争では、権力があそこまで暴走するまで誰も止められなかった。そんな中、小林多喜二はたった1人で抵抗し、結果を引き受けた。では自分はどうか。同じように時代が一方向に進むとき、何もできなければ、いずれ子孫に『何もしなかったの?』と問いただされるでしょう」

配布したビラ(2)(ツイッター
「東洋大立て看同好会」より)

 管理の厳しい学内であえて意志表示したことにも、意義を見出す。「シールズが頑張っていた時代、国会前に行ったこともあります。でも、自分の場所でやらなければ、世の中は変わらないとの考えがありました。シールズはそれをやらなかった。どこか生徒会みたいで」。

 大学の愚民化策は世界的な動きであり、我が国も例外ではない。運動の激しかった法政や明治も、今や立て看1枚ない。こうした風潮に船橋さんは「大学は自由に思索できる所で、学生には社会の動きに対して真っ先に意見していく責任がある」と疑義を呈す。

 撤去を報告した投稿サイトには、またたく間に4700超のリツイートと5400超の「いいね」の反応がきた。「すぐに弾圧されるのはわかっていた。立て看とビラでやられたら、SNS(ソーシャル・ネットワーク・メディア)で外に伝えようと思った」と打ち明ける。

 しかし、大学は船橋さんにSNSへの投稿も削除するように迫った。「学生部の職員には、『君のためを思って言っている』と責められました。立て看とビラについては、もうやらないと謝りました。でも、学外での発言は憲法21条で認められていて、納得がいきません」。

(つづく)

<プロフィール>
高橋 清隆(たかはし・きよたか)

1964年新潟県生まれ。金沢大学大学院経済学研究科修士課程修了。『週刊金曜日』『ZAITEN』『月刊THEMIS(テーミス)』などに記事を掲載。著書に『偽装報道を見抜け!』(ナビ出版)、『亀井静香が吠える』(K&Kプレス)、『亀井静香—最後の戦いだ。』(同)、『新聞に載らなかったトンデモ投稿』(パブラボ)。ブログ『高橋清隆の文書館』。

(後)

関連記事