2024年04月26日( 金 )

【友利家具の張诘社長に聞く】妹を助けるため 高級官僚から家具会社社長に転身(後)

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家具を積んだ瞬間が「唯一ホッとするとき」

 ―張英さんを助けるために、事前に具体的な計画はあったのですか。
 張诘 具体的な計画はありませんでした。ただ、国営企業の社長経験があったので、何とかなると考えていました。私がこちらにきたときには、友利家具の建物や工場はまだできていませんでしたが、2年間で「友利家具を立派な会社にする」「社員の能力をアップさせる」「家具づくりのノウハウをマスターする」などの目標を立てました。まず、協栄家具、江州工芸品の社員のなかから優秀な社員を選び、友利家具に引っ張ってきました。

 ―仕事のストレスはありますか。
 張诘 ストレスというよりも、今の仕事は長い時間働き、休みも取れないので、体力の限界を感じることがあります。官僚として働いていたころは、毎週土日の休みには、友だちと遊びに行ったり、旅行に行ったりすることばかり考えていました。今は土日も仕事ばかりです。唯一ホッとする瞬間は家具を積んだコンテナが出るときです。

 アダルでは、協栄家具、江州工芸品家具のころから、商品の納期を守れなかったことは一度もなかったのですが、昨年納期を守れなかった事件が発生しました。「大丈夫」という部下の言葉を信じていたら、いろいろな問題が起きて、出荷する船の積み込みが間に合いませんでした。初めて納期を守れなかったことは、非常に悔しかった。二度と納期遅れを起こさないよう、常々自分に言い聞かせています。

 ―今の会社にきたことを後悔していませんか。
 張诘 後悔はありません。政府機関の仕事はのんびりしていますが、それなりに大変です。何も知らない部門に人事異動になって、移動のたびに、すべて一から勉強し直し、適切に処理しなければなりません。最後に所属した社保中心では、揉めごとの解決の仕事が多かったので、仕事は楽しいものではありませんでした。仕事もしないで、「お金をくれ」という人と交渉したり、自殺した人の保険処理をするのは、ストレスでした。今の会社は、体力的には辛いですが、社長として自分で決めることができるので、精神的には自由で楽しいことも少なくありません。将来に希望をもっています。

最終的には自分の会社をつくりたい

 ―今後の目標は?
 張诘 これから3年間で家具づくりに関する技術などを勉強していく考えです。その後の5年間は、武野重美会長の「100年企業」の実現のため、私の後継者を見つけるのが目標です。武野会長が一生懸命つくったこの会社と武野会長の家具づくりの熱意を引き継ぐことができる後継者ですね。最終的には、私個人の会社をつくりたいです。

 ―自分の新しい会社ですか?
 張诘 そうです。この会社で10年間働いて、お金を貯めて、自分の会社をもちたいです。私はこの会社の社長ですが、実質的には武野会長の会社です。自分にとって理想の家具をつくる会社をもちたいと思っています。自分でつくるのではなく、オーナーとして指示を出して、家具をつくるイメージです。

 自分の会社をもちながら、好きな小説を書いて、のんびり過ごすのが夢です。政府機関で働いていたころは、趣味で小説を書いていましたが、今の会社にきてからは、時間がなく、なかなか書けません。大好きな作家は東野圭吾です。日本も大好きです。

武野会長は尊敬すべき人物

 ―武野会長について、どう思っていますか。
 張诘 最初に会ったことは、とくに印象に残っていませんが、武野会長と話をするようになって、尊敬すべき人物だと認識するようになりました。80歳になっても、一生懸命努力する姿は、私も見習うべきだと考えています。中国では、多くの民間会社が数年以内に潰れています。アダルが60年以上続いているのは、本当にすごいことだと思います。武野会長は、自分の好きなことを仕事にしているので、うらやましいと感じています。

 ―武野会長と意見が対立することはありますか。
 張诘 いつも対立します。私も頑固なので(笑)。ただ、お互いの意見が対立しても、揉めないよう、冷静でいるよう心がけています。怒っていても、問題は解決できないし、仕事はうまくいきません。

 ―武野会長に言いたいことはありますか。
 張诘 武野会長はかわいそうと思うことがあります。あの年齢で、慣れない土地にきて、周りに誰も味方がいない状態で1人で、頑張っているからです。ほかの人には真似できないことです。

 「健康には気をつけてください」「仕事以外で、のんびりできる時間をつくってください」ということですね。

(了)
【大石 恭正】

(前)

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