2024年04月19日( 金 )

飯塚をグローバルに~20年超におよぶ留学生支援(前)

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(一社)飯塚友情ネットワーク 縄田 修 理事長

 民間ボランティアとして20年以上にわたり、留学生の支援活動を続けてきた(一社)飯塚友情ネットワークの縄田修理事長。留学生支援とともに、米・サニーベール市との交流支援にも尽力してきた同氏に話を聞いた。

きっかけは寝袋生活のハンガリー留学生

 ――飯塚友情ネットワークの活動について教えてください。

(一社)飯塚友情ネットワーク 縄田 修 理事長

 縄田 飯塚市周辺の大学に通う留学生支援を行っています。主に九州工業大学情報工学部、近畿大学産業理工学部、福岡県立大学の3校の留学生が対象です。
 留学生の住居の支援をはじめ、地域から家具や自転車をリサイクルしての無料の貸し出しなども行っています。さらに日本語教室、地域住民との交流パーティー、文化体験など、20年以上にわたって留学生が飯塚により住みやすく、学びやすくなるための活動をしています。
 また、飯塚市が友好都市となったサニーベール市(米国)との青少年交流支援も行っています。飯塚の学生(小学生から大学生)がサニーベール市の学生と教育・文化・スポーツをはじめとする幅広い交流をし、グローバル人材として成長するためのサポートを行っています。

 ――留学生支援を始めたきっかけは何だったのでしょうか。

 縄田 九工大の教授を経由して知り合ったハンガリーの留学生が、寝袋で生活しているのを知ったことです。教授からの依頼もあって、ベッドや家電などを私の身内から集め、その留学生に提供しました。その後、インドネシアの留学生とも知り合う機会があったのですが、その学生も捨てられている机や椅子などを拾ってきて、使っているという現状を知ったのです。
 せっかく日本、飯塚に来てもらっているのだから何とかしたいと思い、1995年に九工大の山川烈教授、中野利美氏(元・さかえ屋社長)とともに留学生の支援を始めたのがきっかけです。医院を開業して10年くらい経ったころのことでした。医師としてさまざまな団体の役職を経験しましたが、飯塚で困っている留学生を支援できるのは私しかいないと思い、団体活動としては飯塚友情ネットワークに集中することに決めたのです。

 ――これまでの支援内容についてお聞かせください。

 縄田 アフリカへ自転車の寄付を行っていた二瀬公民館の原館長(当時)にもご尽力いただき、公民館の敷地内に倉庫を建て、飯塚市に寄付しました。この倉庫に市民の皆さんから寄付していただいた家具や家電をストックし、必要に応じて留学生に渡せるように整備しました。
 そして、留学生に「困っていること」についてアンケートをとったのです。「日本語」「住むところ」「日用品」などが結果の上位を占めていました。集計後に周囲の協力を仰いだ結果、「日本語」については、日本語教師の方がボランティアで来ていただけるようになりました。「住むところ」については、県や市から市営住宅を提供していただきました。今でも日本語、住居についてはボランティアの方や行政から支援を続けていただいております。
 地域と留学生との交流の場づくりも積極的に行っており、定期的に交流会を開催しています。留学生はもちろん、学校の先生や市職員の方々約180名が毎回参加され、大いに賑わっています。

(つづく)
【永上 隼人】

<プロフィール>
縄田 修(なわた・おさむ)
ナワタ消化器外科医院 院長
九州工業大学 客員教授
1995年に(一社)飯塚友情ネットワークを設立し、飯塚の留学生支援を行う。2006年に飯塚国際交流推進協議会を設立、会長を歴任。現在福岡県内10大学で構成される海外インターンシッププログラム「Breakthrough アジア突破」の支援も行う。

 
(後)

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