• このエントリーをはてなブックマークに追加
2019年04月19日 08:56

中国現地ルポ-広州・杭州・長春・北京-(9)

福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

北京

 首都北京は今回の最終目的地である。朝起きてホテルの周囲を散歩すると、どの建物も巨大で重い。歴史の重みか、それとも権威の重みか。

 この政治の中心では、人は小さくなるしかないのかもしれない。南国広州の自由な雰囲気が懐かしくなる。とはいえ、大通りの裏には昔通りの人間生活もある。フウトン(胡同)と呼ばれる居住地域がまだ残っているのだ。一部は観光化されて俗悪になったとはいえ、その裏道を覗きこめば、まだまだ人が生きている。

 北京ではかつての教え子のQに再会した。今や国の研究機関として名高い社会科学院に務めている。ずいぶん出世したものだ。

 そのQが開口一番こう言った。「この学院には北京大学や精華大学を出た俊才が集まっています。でも、彼らの多くは凡俗な野心家か、小心な役人根性で、本当の実力とは関係ない」

 Qは学院の文学研究科・東洋文学系に属している。「東洋」とは日本・朝鮮・インド・中近東を指す。Qが紹介してくれた同僚にインド古典の専門家がいて、いで立ちからして珍妙だった。いきなり私に向かって、英語でこう言ってくる。「今の中国、国自慢ばかりでしょ?自慢するというのは、これ、悪徳でしょ?」

 返答に窮した私は、前夜ホテルのテレビで見た習近平主席が「自信回復」を強調し、中国人は自らの文化をもっと誇るべきだと強調していたのを思い出す。このインド学者はそれを疑問視しているのであろうか。

 横で聞いていたQが割って入った。「この人は老荘思想で武装する怠け者。真に受けてはいけませんよ。現政府の国風尊重政策に逆らってるふりをしているだけです」

 同僚をこのように一刀両断できるのは並みではない。しかし、言われたほうも黙ってはいなかった。にやにやあごひげをさすりながら、「私は老子ではありません。とはいえ、怠けることが勤勉より悪い、と決めつけるのは危険ですな」と言い返したのだ。

 たびたび思うのだが、中国人どうしの会話はまるで映画を見ている、いや、司馬遷の『史記』列伝を読んでいるような感じを与える。あまりに明白に思想対立が示されるからだ。アメリカなどは私的な場面では論争を避ける傾向があるが、この中国は人間が熟れているのか、何もかもが論争になる。第三者にとって、これほど面白い見世物はない。

 北京にはもう1人教え子がいる。Qと違って漢民族ではなく、朝鮮族である。常に控え目なこの人に会うのは、6年ぶり。現在は市内の某大学で日本文学を教えている。

 久しぶりの「恩師」との再会ということで、ハイヤーを借り切って北京郊外の「十三陵」まで連れて行ってくれた。明時代の国王の陵墓である。それがなぜ大事なのかと尋ねれば、「明朝は漢民族最後の王朝だったから」と答える。朝鮮族でありながら、中国の歴史を熟知している。

 「中国人は歴史に詳しいんだね」と私がいうと、「でないと、大学に入ることは難しいです」と答える。英語や数学よりも、まずは中国古典と中国史なのだそうだ。「最近は英語や数学を重視するのでは?」と聞くと、「そうでもありません」という。今は『自信回復』の時代で、なるほど書店の児童書コーナーには子ども向き『唐詩選』や歴史物語が並び、彼女の娘はまだ6歳なのに、早くも『三国志』に興味をもっているという。

 十三陵見学の後、市内に戻って喫茶店に入った。中国における文学研究の話になって、俄然彼女の眼が輝いた。「中国での研究は国策と結びつき、上からの指令で論文を書かされる。これでは本当の研究が生まれるわけがありません。もっと、自分のやりたいことを実現できる環境でなくてはならないんですが、なかなか状況は変らない」

 おとなしい彼女の口から出てくるこの批判的言辞。「こんな状況では、世界に誇れる学者を輩出することなど無理だ」、とでも言いたげであった。はたして、自然科学の世界においても同じなのだろうか。国家体制と社会の安定を最優先させれば、研究の自由も抑制せざるを得ないということか。

 彼女が言ったことで、印象に残ったことがもう2つある。1つは「だんだん世の中の声が1つになりつつある」ということ。声はいつも複数なければならないけれども、声が多すぎても社会は混乱するとも言った。

 もう1つは、「現代中国の家庭は危機に面している」ということであった。彼女の危惧は、若いカップルが共働きをし、そのために子どもを親にあずけることをためらいもせずにする現代中国の傾向についてのものであった。彼女にすれば、そうして育った子がはたして次代の社会を支えられるか、と不安なのである。

 別れ際に、彼女に尋ねてみた。「共産党に入りたいと思ったことは?」

 これへの答えも明快だった。「ありません。私も夫も、権力の座に興味ないですから」

(つづく)

<プロフィール>
大嶋 仁 (おおしま・ひとし)

 1948年鎌倉市生まれ。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。 75年東京大学文学部倫理学科卒業。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し、名誉教授に。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

     

トップニュース

2020年06月01日 17:48

福岡で人気のお弁当をドライブスルーで提供~医療施設への寄付も

 福岡の外食、食品販売企業の有志で構成する「ドライブスルーふくおか実行委員会」が、5月30~31日、お弁当の提供サービス「ドライブスルーふくおか in PayPayド...

2020年06月01日 17:32

新型コロナウイルスの患者が首都圏で急増(前)

 前回の記事で、梨泰院(イテンウォン)のナイトクラブ発の新型コロナウイルスの感染拡大で、韓国政府が神経を尖らせていることにはすでに触れた。 5月28日、新型コロナウイ...

2020年06月01日 17:07

【福岡県】北九州市以外の外出自粛要請、休業要請を解除

 福岡県は6月1日から北九州市を除く地域での外出自粛要請、休業要請を解除した。しかし、依然として感染リスクがあることから以下の対応を行う...

2020年06月01日 17:02

(株)豊田ほか1社(東京)/寿司店チェーン「寿し常グループ」運営

 同社と関連の益子食品(株)は、6月1日に事業を停止し、事後処理を弁護士に一任。破産手続き申請の準備に入った...

2020年06月01日 16:36

九州地銀の20年3月期決算を検証する(2)

  【表1】を見ていただきたい。九州地銀(18行)の20年3月期の当期純利益順位表である。 ~この表から見えるもの~ <1位~9位> ◆1位は福岡銀行...

2020年06月01日 16:29

【銀座・秋葉原・渋谷・東京など】賑わいを取り戻しつつある東京~エリアごとの違いも

 政府は5月25日、新型コロナウイルス感染拡大にともなう緊急事態宣言を東京など主要都市でも解除した。4月7日の宣言から約7週間、企業、店舗、自治体、教育機関など多くの...

2020年06月01日 15:33

新型コロナウイルスで工事現場は変わるのか(前)

 建設業界に目を向けると、感染拡大の発端となったのが「世界の工場」中国だったこともあり、建築資材の流通が一部で停滞。工事を中断せざるを得ない現場が頻出した...

2020年06月01日 14:30

【政界インサイダー情報】安倍政権急激な支持率低下で内部崩壊の危機

 過去なら支持率回復のターニングポイントになる筈のコロナ"緊急事態宣言の解除会見"と自信満々のそれに対する"二次補正予算"内閣決定会見...

2020年06月01日 14:00

ふくや、アイスキャンデーに大腸菌検出で自主回収

 (株)ふくやは29日、同社が販売する「アルプスアイスキャンデー ミルク味」の一部商品に微量の大腸菌群が検出されたとして、対象商品牡の自主回収を行うと発表した...

2020年06月01日 13:18

福岡の中学校、高校 新型コロナウイルスの影響による修学旅行の見通し

 今年度の修学旅行実施の見通しについて、福岡市立中学、福岡県立高校、県内の私立高校の担当者に聞いた...

pagetop