2024年03月29日( 金 )

【凡学一生のやさしい法律学】憲法改正について(1)

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憲法制定と憲法制定権力論~改正のまえに知っておくべきこと

 憲法制定権力という講学上の概念は歴史的事実から演繹されたものです。

 たとえば、明治憲法は徳川幕府を倒し、王政復古(天皇制)を成し遂げた薩長土肥の下級武士階級が憲法制定権力(者)であり、日本国憲法はその薩長土肥の下級武士階級の流れのなかにあった日本政府を戦争によって倒した外国(米国を中心とする連合国)です。

 ともに戦争という「超法規的事実」といわれている政治的事実によって憲法は生まれています。世界史上も、ほぼ政変によって憲法が誕生する現象は普遍的です。

 以上の歴史的真実は、憲法問題・憲法改正議論は政治論であり、歴史認識論の本質をもつということです。詳細は9条論で説明します。

 外国勢力が講和条約によって日本に主権を返還してからは、日本国は文字どおり、日本国民による統治となりました。現在では憲法制定権力は国民にあります。これが、憲法改正に国民投票が必須な実質的理由です。

現行改正制度は国民にとっては受け身の制度

 日本国憲法は20世紀文明の最先端の民主主義憲法であったことは歴史的事実ですが、すでに半世紀以上の時の経過と文明の進化によって、さまざまな部分に問題があることがわかっています。何も9条だけが問題ではありません。しかし、改正提案者はあくまで国会議員です。国会議員が信頼に足るかどうかはすでに歴史が証明しており、国民はしっかり改正の内容と意味を理解しなければ世界の笑いものとなることは必定です。

 受け身的な憲法改正は、国民が十分に憲法判断力をもっていることが論理的な前提ですが、日本の法学教育・主権者教育が不十分であることは客観的事実です。このような状況で憲法改正が実施されれば、子孫に誇れる憲法を残すことは画餅に等しいでしょう。

 たとえば、有権者の10分の1の提案があれば、国会は改正案を審議しなければならないとする国民の能動的な改正提案権を憲法で定めることもできるのです。改正条項の改正すら議論の価値がある時代になっています。

国民の憲法知識~改正対応無能力の問題

 国民の一般的なライフサイクルをいえば20歳ぐらいまで教育学習を受け、それから生活生存のための賃金の稼働生活に入り、65歳まで一心不乱に労働に専念し、80歳ぐらいで生涯を終えます。このライフサイクルのなかで、本来なら20歳ぐらいまでの教育学習期間に主権者教育として憲法以下、日本の法制度全般・政治制度の実際を学ぶべきですが、ほぼ皆無であることは客観的事実です。

 これは明らかに国民には憲法が何たるや、改正すべきは何であるかの判断力や理解力がまったく存在しないことを意味します。これで、改正案に賛成か反対かだけを投票しろというのですから、これは、何も知らない最高裁判所の裁判官に対する国民審査投票に匹敵するくらいの国民を馬鹿にした投票制度といっても過言ではありません。

 安倍晋三総理大臣以下の憲法改正賛成議員は、国民の投票行為が、国会議員選挙に限らず、「清き一票を」といえば、何もわからなくても投票してくれる日頃の「成功体験」の延長として考えているからに他なりません。ここでも、国会議員は国民を馬鹿にしていると言っても過言ではないでしょう。

 後世の史家は、よくも、国民を法律無知の状態にしておいて、投票のときだけ「主権者」とほめあげ、おだてて投票させることを繰り返した20世紀、21世紀の日本の政治を誰もまともな民主主義と評価する者はいないでしょう。このような政治体制、政治状況を後世に残すことの無念さを現在の高齢者は自覚しなければなりません。その意味で本稿では、憲法の現状、問題点を具体的に指摘していきます。

(つづく)

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