2024年03月19日( 火 )

生活より景観が優先された「鞆の浦」「ポニョ」の舞台も人口減と高齢化、観光も低迷(前)

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 江戸時代に港町として栄えた面影が残る広島県福山市の景勝地「鞆の浦」(とものうら)。慢性的な交通渋滞の対策として県が計画した鞆港の一部埋め立てや架橋が2009年、広島地裁に「景観保護」を理由に差し止められた時は「画期的判決」として大きく報道された。そんな景勝地は現在、人口減と住民の高齢化が進み、観光も低迷している。

交通状況の悪さはイメージ以上

 2月初めの日曜日、徒歩とレンタルサイクルで鞆町を探索した。町の交通状況は報道のイメージ以上に悪かった。

町は道が狭いため、交通渋滞が頻繁に発生する
町は道が狭いため、交通渋滞が頻繁に発生する

 主要な生活道路は車がすれ違うのも難しいほど道幅が狭いため、カーブが続く場所では多数の車が連なる渋滞が頻繁に発生。この町の路線バスは通常のバスより小さいが、道路沿いの家に触れそうなほど車体を近接させて通行していた。これでは有事の際、消防車や救急車が到着するのに通常以上の時間を要するのは確実だ。

 なぜ、こんな状況が放置されているのか。広島県がこの町の交通渋滞の対策として鞆港の一部を埋め立て、架橋をする計画を打ち出したのは1983年のこと。だが、鞆港周辺の「鞆の浦」と呼ばれる地区をはじめ、歴史的な建物や町並みが多く残るこの町は景勝地として名高いため、一部住民が2007年、県の計画に反対して提訴した。

 この訴訟中、08年公開の宮崎駿監督の映画『崖の上のポニョ』の舞台になったことなどから町の知名度は急上昇。広島地裁が09年に「鞆の浦」を“国民の財産”と認め、県の計画を差し止めた時は「画期的判決」として大きく報じられた。

 その後、12年には、湯崎英彦県知事が埋め立てと架橋の計画を撤回し、代わりに山側にトンネルを掘って道路をつくる方針を表明。そして訴訟は16年に終結した。この間もさまざまなドラマや映画のロケ地になり、18年には文化庁の「日本遺産」に認定され、「鞆の浦」の名はさらに高まった。

 だが、山側にトンネルを掘り、道路をつくる新計画は湯崎知事の表明から8年近く経っても実行されていない。そのため、現在も鞆町は慢性的な交通渋滞が続いているわけだ。

 県の担当者は、「トンネルは23年度の完成を目標に、関連事業の工事を20年度中に始める方針です」と説明したが、現状はまだトンネルを掘る用地の買収も済んでいないという。

つえを突く高齢者と空き家が増える町

杖が必要な高齢者を多く見かけた
杖が必要な高齢者を多く見かけた

 交通状況の悪さが続くなか、それに起因する鞆町の人口減と住民の高齢化は進む一方だ。福山市の統計によると、人口は1万3,000人超だった1961年から減少の一途をたどり、「画期的判決」が出た2009年には5,000人を割り込んだ。直近の19年12月の統計では、3,808人まで減少。うち1,795人が65歳以上の高齢者で、老年人口の比率は47%超におよぶ。

 今回、筆者が町を探索した際も道行く人の多くは高齢者だった。なかでも印象的だったのは、野菜の移動販売にきていた農家の軽トラックの周りに複数のつえを突いた高齢女性が集まっていた光景だ。

 「今はスーパーがなくなったんで、こうやって車で売りに来る野菜を買うんよ」。

 そう話す女性に、「不便ですか」と聞いたら、女性は「そりゃそうよ」とだけ言い、左手に買い物用のバッグを下げ、右手のつえで身体を支えながらヨロヨロとした足取りで家に帰って行った。大きな火事や地震があった時、こういうお婆さんが逃げ遅れないかと心配だ。

 一方、民家のガレージで談笑していた別の高齢女性たちによると、今は町に空き家が非常に多いという。

 「若い人は進学や就職で町を出ると、この不便な町に戻って来ないんです。それで、一人暮らしの高齢の人が亡くなったり、老人ホームに入ったりして、空き家が増えているんです」。

 実際、町には、表札が外されていたり、昼間から雨戸が閉まっていたりする空き家らしき住宅が散見された。子どもも減っているため、昨年4月、地元の鞆小、鞆中が統合され、小中一貫の義務教育学校「鞆の浦学園」が設立されたが、生徒は9学年でわずか183人だ。

(つづく)
【ジャーナリスト/片岡 健】

(後)

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