2024年04月29日( 月 )

コロナ蔓延下にみる日本の現状~イタリア在住の日本人から(1)

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 日本ビジネスインテリジェンス協会会長・中川十郎氏のもとにイタリア在住の日本人から見たコロナ蔓延下における日本の状況について投稿が寄せられたので、要約して以下に紹介する。

 今回のコロナの世界的感染伝播における日本の対応を目にし、耳にし、再度、いかに日本が特異であり、あらゆる意味で孤立しているかを実感しています。
 今は国民の血税である比較的豊かな財源にあかせて、金を散らつかせることにより、他国と付き合っていただいていますが、そういう利益のみに裏打ちされた交流が、はたして健全な国交であるといえるのか、再び疑問を抱いています。

 イタリアもまた、日本ほどではないにしろ初期対策に遅れをとり、失敗しています。そして近年、経済政策の一環とばかり、公共医療費を大きく削減、それによって、病院の経済危機を招き、たくさんの病院が機能しなくなりました。よって、医者や看護師、化学者、研究員、検査技師などが激減し、彼らも生計が立たなければ、他国に移住する、もしくは生業を変えるしかなく、その結果、多くの重要な頭脳およびマンパワーが失われました。

 イタリアでは、そのツケが今回大きな痛手となってコロナ対応の足を引っ張りました。安倍政権になってから立ち消えになった、2009年の新型インフルエンザの後に、当時の日本の民主党が行った感染症用備蓄の例とどこか似ています。

 そんなイタリアでありながら、日本と大きく違うところがあります。
 1つは買い占めと価格高騰がない、ということ。都市閉鎖をすると宣言したとき、イタリアのコンテ首相は「日常の食料品の不足は絶対にさせないから安心しろ」と断言しました。その約束通り、いつ、どこのスーパーマーケットに行っても空っぽの棚というのを今まで見たことがありません。

 日本の友人が送ってきてくれたスーパーマーケットの空っぽの棚が並んでいる写真を見ましたが、陳列棚がずらっと「空っぽ」。空っぽの棚は人々の不安感をあおり、不要な買い占めに走らせますから、各商店は商品の補充を必要以上に気をつけて行わないといけないのです。
 小さなことのようですが非常に大事なことで、行政が都市閉鎖告知前にあらかじめ各店舗に申し送りしておくべき事項です。

 ましてやこの時期に値段を上げるなどもってのほかです。こういった時期だからこそ、日々の暮らしに悪影響をおよぼす変化は真っ先に避けないといけません。
 人はとりあえず、物が足りていれば、安心して家にいやすくなるものです。

 次は市民による“行き過ぎ”な相互監視と市民による広義の名のもとに正当化されている「お仕置き」です。強制力のない自主規制という、実に曖昧なレベルの外出制限、休業指令を打ち立て、あとは個人の判断に任せる。そんな状況をつくっておきながら、営業を続ける店舗のリストアップを行政自身が行い、発表し、その店舗に人々が嫌がらせをするという事態が日本で相次いでいると聞きます。

 こういう時期だからこそ、皆で助け合って社会の平穏を保つのが普通の常識を兼ね備えた「大人」のすることであり、「この期に乗じて」と、正当化された(と彼らが信じる)暴力的な嫌がらせをする人が後を絶たない。
 なんと情けない国に成り下がったものかと幻滅を隠せません。

 政府が曖昧にお茶を濁している部分を市民が互いに監視して補う。第二次世界大戦時の隣組を思い出してゾッとします。
 つまり日本の都市閉鎖は宣言の丸投げ。都市閉鎖、外出規制などという国民が今まで味わったことのない規制を要求するのであれば、その規制に国民が従いやすいような環境をつくるのは、政府の役目であり、そのグレーゾーンに乗じて、ある一部の人々が彼らの攻撃性を正当化できるような環境をつくり出すことは断じて避けなければいけないと考えます。

 そして苦肉の策で思いついたのが、「昭和マスクの配布」。福島の事故の時にも思いましたが、日本政府はこういった大事の際に、それぞれの分野の専門家で各々グループを形成し、それぞれにその役割を分担させ、政府が中枢となって、それらの組織のコントロールをしながら全体を指揮するという「組織化」がまったく苦手なようです。

 政府が、とりわけ総理がすべてを把握し、彼の持つ決定権を他の部署に委ねたくないのか、いつでも1人で抱え込む。1人どころか100人でも到底マネジメントできないようなものを抱え込むわけですから、状況は改善どころか立ち行かなくなるのは、むしろ火を見るより明らかです。

 ましてや現政府のような「無能無策無責任」の政府にそんな超人的なことなどできるわけもなく、人間の知恵というのは、自分の限界を知る。ということから始まるとかねてから思っていますが、自らの限界を認める謙虚さに裏打ちされた知恵なくして、緊急事態での適切な判断かつ慎重な行動が行われることはほぼ不可能に近いと考えます。

(つづく)

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