2024年04月20日( 土 )

【香港最前線2】壁と水

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香港人作家 周 慕雲

Be Water(水になれ)

 2019年の香港デモは1つのスローガンを生み出した。「Be Water」である。直訳すると「水になれ」というこの言葉は、元はといえば香港人武道家ブルース・リーがインタビューで語ったものである。ブルース・リーは老子の「上善若水」(上善は水のごとし)(『道徳経』第4章)を念頭に置き、武術の実践をとおして得た哲学をこの言葉で表したという。国際社会でレジェンドとなった彼は、故国香港ではいまなおヒーローである。その彼の言葉が香港人の戦略を表すキーワードになるのは何ら不思議ではない。「水」は決まったかたちをもたず、流動性が高く、硬い「壁」でも突き崩せる。

 デモに参加した者たちは、中国共産党に同調する香港政府に対して「流動」的戦略、すなわち「Be Water」で対抗してきた。これに応じて、民主派の議員たちは親政府派の議員たちに対抗し、一般市民はSNS(Facebook、Twitter)などを通じて、デモの真実を世界に向けて発信した。さらに、「黄色経済圏」、すなわち反政府デモに賛同する店のみに行き、親政府派の店に行かないという戦略もとられた。「Be Water」はこれらの戦略の総称である。

デモ隊は真正の香港人

 周知の通り、香港は自前の軍隊をもたない。中国共産党とまともにぶつかって勝てるわけがない。しかし、文化面で、また香港の優れた経済的地位を利用して、それなりに戦うことはできる。共産党メディアはデモ参加者を「暴徒」と誹謗しているが、これまでデモで盗難に遭った店はないし、デモ隊が暴力を振るう警察以外の人を傷つけたこともない。デモの仲間を「手足」と呼び、逮捕された「手足」を救うために自らを犠牲にすることはあっても、社会秩序を乱したことはないのだ。たとえば機動隊に追われて危険な目に遭っても、地下鉄に逃げ込む際には必ず運賃を払っている。公的秩序を守るという点で、香港人は世界でも指折りの民族であり、デモ隊はその意味で真正の香港人である。

 2019年7月1日、デモ隊が立法院(議事堂)を占拠すると、香港政府はただちに警察が立法院を奪回すると宣言した。占拠者の多くはその場をすぐに離れたが、何人かの「義士」はその場に残ることを決意した。その彼らも結局は残らず、当日にこそ逮捕されなかったものの、今年になって「暴動罪」で起訴された。「暴動罪」は大げさであるが、これが香港の実情である。起訴された者のなかには、芸能人の王宗堯も含まれる。 

香港で急増する不審死

 前回(本稿第1回)で述べたように、「香港政府」は香港人の投票の結果として生まれたものではなく、一部の権力者によって選出された者で成り立っている。そのような政府が香港人の利益を無視し、危害を加えることがあっても少しも不思議ではない。それゆえ、自由と民政を求める香港人がそのような政府に抵抗するのは、決して「暴動」ではない。

 無論、香港政府の背後にいる中国共産党は、これを見て黙っているわけがない。香港警察を後押ししてデモ鎮圧に精を出している。数多くの香港人が逮捕されて監獄に送り込まれており、おとなしく逮捕された者までもが残虐な暴行を受けている。これらの真実はあまり世界に伝えられていない。

 香港ではこの1年で「不審死」が急激に増えている。ビルからの飛び降り、全裸で発見された水死などが後を絶たない。警察はこれらを「不審」なものではなくただの「自殺」であると片づけている。中国ではそのような事件が多くあり、「交通事故」として処理されていると聞くが、香港でも日常茶飯事となりつつある。

 このような状況であれば、デモ現場を取材する記者が警棒で殴られて妨害を受け、世界に真実が伝わらなくなっても不思議ではない。報道の自由は完全に無視されており、田RTHK(公共放送局「香港電台」)の政治番組「頭條新閒」(ヘッドライナー)は、警察の暴行を揶揄したという理由で放送中止になっている。

「壁」に対峙する「卵」、そして「水」

 「一体、どれだけの香港人が反中国なのか」とよく聞かれるが、デモの現場で自由と人権のために勇ましく戦う人がいる反面で、そこから数キロも離れていない隣町では普通の生活が繰り広げられている。これが、悲しいかな、香港の現実である。まるで、パラレル・ワールドのような不条理な世界。個人の利益を優先し、政治に関心をもたず、香港を自分の故郷としてではなく、金儲けの場としか思わない人々。彼らは、一定の財産をかき集めたらすぐにでも海外に移住する。残念ながら、香港にはそのような人が多い。

 それでは、そのなかから、どうしてデモの最前線に向かう者たちが出てきたのか。彼らは決して中国共産党がいうような「CIAの手先」ではない。子どものころから香港の映画文化、食文化、ポップソング文化で育ってきた彼らは、村上春樹の「壁と卵」から学んだ世代である。「民主と自由」のために、「卵」では勝てないと知りながらも「壁」に対峙する。香港の新しい世代は、その「卵」よりもより流動性の高い「水」へと進化した。「水」は「卵」同様に軟らかいが、全方位から「壁」に対抗し、「壁」に浸透し得る力をもつ。「水」の力を信じたい。

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