2024年04月25日( 木 )

【凡学一生の優しい法律学】三権分立論の嘘(2)

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 日本国民の大部分が、日本は三権分立の民主主義国であると信じている。しかし、彼らは政治的制度について論理的にも事実実証的にもまったく確認することなく、「制度の建前=真実」という極めて稚拙な認識をもってはいないか。
 日本が真の意味で民主主義に基づく三権分立国であるかどうかは、憲法の記述と現実に発生した政治事件の顛末を検討・検証すること確認できる。大事なことは、「自分が信じる日本社会が嘘の社会であることを実感するために憲法を読む」という視座で臨むことであり、「難しい」「難解」と思い込む自己の内面がそもそも「誤った認識に毒され、洗脳されている」ことを知るべきである。

従属関係にある行政権と司法権

 まず、天皇制の具体的機能が事実上、国民に隠蔽されている。象徴天皇制であり、天皇自身には政治的権能がないことはよく知られた事実であるが、認証・任命という一見すると形式的儀式のような制度がある。

 天皇の認証行為及び任命行為は国事行為として内閣の助言と承認の下で行われるため、誰が認証官・任命官となるかについては、内閣、つまり総理大臣の胸先三寸のうちにある。高等裁判所長官は認証官、最高裁判所長官は任命官である。ただし、内閣総理大臣も任命官であるが、その任命行為の助言・承認者が内閣総理大臣自身である点は、完全な「儀式」である。

 司法権の執行を担当する下級裁判所の裁判官の就任期間は、憲法上10年間という期限がある。日本の裁判官が最高裁判所事務局、さらに内閣の意向を過度に忖度した判決しか行わないのは、職業としての地位が保障されておらず、政治的紛争に関する裁判の判決には自身の生活がかかっているからである。このことから、いかなる制度があろうとも、司法権が内閣・行政権に従属していると理解できるだろう。明治時代から裁判官の任用制度と内閣による支配関係は、実質的にはまったく変化はないのである。

 裁判官の「10年での自動失職規定」では、「再任することができる」となっているが、どのような判決をしてきたかということが再任可否の判断基準であるから、内閣のご機嫌を損なう裁判官は、絶対に再任されることはない。かつては再任拒否事件として報道されたこともあったが、現在ではそれさえもない。日本の裁判史上でも、憲法の精神と法論理に則った名判決とされる裁判例はあるが、判決後にそれらの裁判官は全員辞職している。当該裁判官は辞表を懐に判決したというのが実情である。骨太の裁判官など国民には夢物語である。

 司法権による行政権のチェック制度である投票価値の平等裁判(1票の価値が不平等である国政選挙の無効を争う裁判)を何度も実施しても、裁判所が選挙無効の判決をしない理由もここにある。

 司法権による立法権のチェック制度である法律の違憲立法審査権も、違憲とされた例は、政治とはほぼ関係のない領域でわずかに存在するのみだ。筆者は、法律初学者の学生時代、司法消極主義としてこれらの現象を学んだが、その理由はまったくわからなかった。

 また、行政訴訟(抗告訴訟)は基本的に司法権による行政権のチェックとなるため、国民が圧倒的に敗訴する。刑事裁判での圧倒的有罪率が異彩を放っており、行政訴訟の異常な国民敗訴率の存在は影が薄いが、国民は日本の司法権の実態をよく理解すべきである。

 以上のように、行政権と司法権の間には従属関係はあっても、対等関係や抑制関係は存在しない。

(つづく)

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