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2020年11月06日 13:30

夢は見るものではなく、叶えるものである!(4)

(一社)日本シニア起業支援機構 代表理事 松井 武久 氏

 コロナ騒動で世界の軌道は確実に一度止まった。「自然が人類のリセットボタンを押した」と言われているが、これから起こる大不況に関しては、IMFや世界銀行が厳しい予測を発表しても、多くの国民は実感として受け止める用意ができていない。今後、私たちはどのように生きて行くべきなのだろうか。

 実務経験の豊富な産・学・官のシニアが、智慧と経験と人脈を最大限に活かすメンター(優れた助言者)として「起業の早期成功発展」を支援し、社会貢献を目指す(一社)日本シニア起業支援機構(J-SCORE)の松井武久 代表理事は、「今ほどシニア世代の活躍が求められるときはない」と語る。

獄中で習字や俳句に秀でた囚人仲間を「師」と仰ぎ、教えを乞う

 ――吉田松陰の影響を強く受けられたと聞いていますが、自身にとって吉田松陰とはどのような存在ですか。

(一社)日本シニア起業支援機構 
代表理事 松井 武久 氏

 松井 私が卒業した萩市立明倫小学校は「萩藩校明倫館の学風」として、「成徳達材:心を育て 才能を伸ばす」「進取の気風:先人の意志を受け継ぎ、自ら困難な課題に果敢に挑戦する」ことや、「松陰教学」として、「立志・至誠・知行合一・師弟同行・個性の伸長・憤悱啓発」を基底に据えていました。

 そのため、幼少のころから吉田松陰は身近な存在であり、先述しましたが、私は松陰神社から奨学金いいただいて、高校、大学生活を送ることができたという思いがあります。

 私は吉田松陰の「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、ゆえに、夢なき者に成功なし」を座右の銘にしております。吉田松陰に関するエピソードで、私が好きなものは以下の通りです。

 吉田松陰は1854年、25歳のとき黒船来航の際、米艦に乗り込み密航を企てますが、拒まれて断念します。そのまま幕府に自首し、江戸獄舎に入れられ、後に萩・野山獄舎に送られます。

 翌年末に自宅謹慎となり、それを機に松下村塾を事実上主宰します。20代という元気があり余る貴重な時期を獄中で過ごすとなると、悔しさや焦り、絶望感で苛まれたとしては不思議ではありませんが、吉田松陰は逆境を逆境とも感じていないのです。

 『野山獄読書記』(吉田松陰著)によれば、2カ月間で106冊の書物を読了、獄中にいた14カ月の間に、計618冊、毎月平均44冊のペースで書物を読み漁っています。

私がもっとも感銘を受けたのは、同じ獄中にいた囚人らを仲間として勉強を始めたことです。それも、自分が先生になるのみでなく、習字や俳句に秀でた囚人仲間を「師」と仰ぎ、教えを乞うこともありました。

人はそれぞれ欠点(短所)を数多く持っていますが、長所も数多くあり、その長所を活かすべきだということに、J-SCOREはもっとも重点を置いています。J-SCOREの約100人の会員の個性は1人ひとり異なりますが、皆がすばらしい長所をもっており、自分にないものをもっている人は皆「師」といえるでしょう。

コロナは社会を正しい方向に導くチャンス           

 松井 今の日本の産・学・官いずれにおいても、残念なことに、吉田松陰が唱えた、「世のため、人のため」という倫理観が失われているように感じます。たとえば、学校教育の本来の目的は、「将来の日本を背負う人材を育てる」ことですが、今の学校は「利益を出さなくてはならない」というお金に力点を置いた評価になっています。コロナはもう一度、社会を正しい方向に導くチャンスだと感じています。

(つづく)

【金木 亮憲】


<INFORAMTION>
(一社)日本シニア起業支援機構(J-SCORE)

 実務経験豊富な産・学・官のシニアが、その智慧と経験と人脈を最大限に活かして、「起業の早期成功発展」をメンター(優れた助言者)として、社会に貢献することを目的に、経産省所管の(社)日本工業技術振興協会(JTTAS)を前身に、2015年に設立された組織。
 日本の人口構成の大部分を占めるシニア層が、年齢に制限なく生涯現役として活躍することで起業が容易になり、新規起業家が増え日本経済が発展すると同時に、シニア自身が生涯現役として生き甲斐をもった人生を送ることを目的としている。起業家に対してさまざまな支援活動を展開している。


<プロフィール>
松井武久
(まつい・たけひさ)
 (一社)日本シニア起業支援機構(J-SCORE)代表理事。技術士・技術経営研究センター 所長。1943年中国・青島生まれ。山口大学工学部を卒業後、66年三菱化成(株)(現 三菱化学(株))入社。機械技術関連の仕事に携わる。
 88年同黒崎工場 エンジニアリング部長、97年三菱樹脂(株)生産技術部長、98年同取締役を歴任後、2000年三菱化学MKV(株)常勤監査役に就任。03年(独)農業生物資源研究所 非常勤監事、05年(独)農業環境技術研究所 常勤監事。09年(社)日本工業技術振興協会(JTTAS)のリスクマネジメント研究会・事務局長、および未来農林事業開発研究会・会長を歴任。職業能力開発総合大学校、桐蔭横浜大学大学院の講師を務めた。

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