2024年05月11日( 土 )

【凡学一生の優しい法律学】真の民主国家を目指して(1)

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1. 惨憺たる現状

 国民の代表として政治を行う総理大臣が公然と違法行為をするという信じられない光景は、前政権の安倍晋三氏の時代でも顕著であったが、菅政権でも早速、日本学術会議の会員の選任において、公然と法令の文言を無視する「推薦無視」が展開された。

 この内閣総理大臣の違法行為・非行を弾劾することが国会・国会議員の制度的役割であるが、議院内閣制という制度ではそもそも不可能であることが今回も証明された。これは紛れもなく、日本が民主国家でないこと、法治主義の国家でないことを証明する明白な事実である。

2. 国会議員の無能と国民への主権者教育の不在

 与党議員は最初から総理大臣の違法行為について批判をする気はないため、無能以前に確信犯的な共犯者である。自分の所属する政党の党首が違法行為を犯しても自己保身のために批判もしないため、議員として失格というより、人間として失格との非難に値する。

 ただし、それらの与党議員のなかにも結局は多数決が民主主義の基本原理だと「錯覚」し、多数が総理大臣の違法行為・不正行為を是認すれば違法・不正ではなくなる、という目に余る「多数決原理」を信奉している可能性がある。このことは国会議員の民主主義の無理解、知性の低さを意味するものであり、日本が法治国家でないことを証明する明白な証左といえる。

3. 多数決原理の誤解・拡大解釈

 政策の選択に際して多数決原理に従うのは当然であるが、政策遂行の名目における違法行為についての違法・適法という判断は、多数決原理で決着する問題ではないため、明らかに不当である。

 法令の文言を無視し、日本学術会議の推薦を無視して、法令上の義務(任命行為が義務であることを論じた学識経験者やジャーナリストはまだ誰もいない)を履行しないことが法令に従った「政策遂行」といえるかと考えれば、中学生にでもわかる理屈である。

 確かに、総理大臣は多数決原理に基づき選出されるが、総理大臣が個々の政策を実行する場合においてまでその多数決原理の効果が持続することはない。

 個々の行政行為・行政処分は、多数決原理で承認された政策の遂行であるか否かということ以前に、適法行為か違法行為かという判断が存在する。通常は今回のように明白な違法行為が先行することがないために顕在化しないのである。

 今回の問題でも政策とそれに基づく行政行為・行政処分がまったく逆の関係にあることが明白である(違法行為の循環論法的弁解)。

 つまり、学術会議の在り方についての政策の変更は、法律の新設や改正というかたちで先行する。推薦の無視という行政行為は、推薦が無視できる、推薦は不要という政策変更が多数決原理で承認される法律改正により初めて適法行為となる。

 この先行すべき法令の改正がないまま、法令の文言に反する行為が先行し、それがあたかも当然かのごとき論法であるため、法令改正の前に、法令を改正すべき理由を掲げて、違法行為を行っていることは誰の目にも明らかである。加えて、日本学術会議法を改正して、推薦の必要がないと改正することは時の政治的支配勢力・政治からの日本学術会議の独立性を否定するものであるため、日本学術会議そのものを廃止する場合は別として、そのような本質的な改正は原理的に不可能である。

 総理大臣はたしかに多数決原理に基づき選出されたが、その多数決原理の効果が、その後の総理大臣のすべての具体的行為・行政処分行為にまでおよぶことはまったくない。

(つづく)

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