2024年04月28日( 日 )

【凡学一生の優しい法律学】真の民主国家を目指して(2)

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4. 野党議員による総理大臣の違法行為の非難

 野党議員は総理大臣の違法行為を声高に非難するが、毎回非難のみであり、具体的行動が何もない。議会で多数決により否定されるに決まっている行動(たとえば内閣不信任案提出など)を毎度のように繰り返すことしかできないため、野党としての存在意義を失っており、与党がどれほど目に余る違法行為をしても、野党の支持率は上がることはない。

 国民の期待を裏切るという点では与党の議員とまったく同列である。これは逆の意味で、多数決原理の誤用を信奉しており、その知性の低さは与党議員と同様というほかない。

 たとえば、内閣不信任決議は議案を多数決で決議するため、野党は多数決で決定すべきでない違法・適法問題を「飛んで火に入る夏の虫」程度の知性で、与党の自由自在の土俵のなかでわざわざ戦う。この野党の馬鹿さ加減に国民が絶望的になるのは極めて自然なことである。

 野党議員は、総理大臣ひいて与党の違法行為に対していかなる争訟を提起すべきか、ということは、法律の初学者でも簡単に理解できるため、後述する。

5. 国民自身の問題

 国民は投票をしながら、投票した相手に何も期待できないという選挙制度そのものの無意義さを毎回、痛感させられている。これでは投票率が低いのは当然である。さらに、国民には必要な主権者教育がなされないため、議員を投票で選出する意味すらも理解できない多数の国民が存在することも、日本の法治国家性を否定する重要な要素である。利益誘導された投票が横行することも、公然の事実となっている。

 国会議員を志す一般国民が主権者教育を受けていない、いわば政治文盲であるため、国会議員の政治的な無知・政治文盲は不可避である。加えて、国会議員の金銭待遇・経済的地位は明らかに不当に高額である。

 このため、国会議員の地位はあこがれの「稼業」となり、「家業」として世襲化が高度に進行している。政治的に何も実績がなくても国会議員として平然と当選を重ねる。西洋では議員活動には「社会奉仕」の精神が必要で、高額な対価・報酬は批判の的になるが、日本は逆である。これらもまた、日本が法治国でないことの証左といえる。

6. 中括

 日本の実質的不法国家の現状を改善するためには、国民が法治国の市民としての基本的政治意識・政治的知性を有することが最善の解決策であることが、上記の議論で理解できる。

 日本の公教育は科学技術に関しては世界の最高水準にあるかもしれないが、人文科学、とくに政治意識、人権意識に関する公教育は存在しないか、もしくは「嘘」の政治教育が存在すると断言できる。

 高校までは教科書検定制度により政治的事項はほぼタブー視されているため、高校生は政治・時事問題に関しては無知である。大学に進学しても理系の学習内容には政治的な科目、法律学的科目は存在せず、極論すれば、理系の大学卒の政治意識は高校生並み、つまりゼロである。一方で、文系の大学卒はしっかりした政治意識・政治的教養と知性をもっているか、といえばその答えも「ノー」である。その理由は、現在の法学教育の方法論と学問体系にあることは明白だ。

東大 イメージ 筆者は、東京大学法学部という日本では法学部としては最高の部類に属する学部を卒業した。そこで今でも忘れることができない衝撃的な訓示を授業の最初に受けた。それは「法律を常識で判断してはいけない」という訓示であった。これは極めて重大な本質的な訓示であるが、同時に国民を重大な誤解の世界に導く「諸刃の剣」でもあった。

 筆者の実感としては、この著明な訓示によって、圧倒的多数の国民が法律を誤解している。ほとんどの国民が「法律文盲」である主な原因となっていることは間違いない。

 この問題を解くカギは、日本語の「常識」の多義性にある。「共有できない客観的でない常識」と「共有できる客観性のある常識」が、個人の認識上では区別ができない状況で存在する。

 たとえば、弁護士はあらゆる法律問題について代理人となるが、弁護士は各学問領域、専門技術領域について専門知識をもっているのか、ということを考えれば答えは明白であろう。

 もっと皮肉な問題を提起すれば、一般の弁護士はお金にならず、敗訴することが一般的である行政事件訴訟法の知識をもっているかと問われれば、その答えもノーである。弁護士の保有する知識についての十分な情報が隠蔽されており、国民に共有されるべき客観的な常識が弁護士については存在しない例である。

 同じ司法試験の合格者にすぎない裁判官についても、日本国民が正しい認識、つまり「常識」をもっていないことはもはや説明の必要がないであろう。

 そのため、医療過誤訴訟においては、患者側弁護士の医学知識の不足が大きく影響して、勝訴率は30%以下となっている。70%の患者は弁護士に訴訟費用まで巻き上げられており、これを避けるために裁判所も加担して、和解が多い訴訟領域となる。

 実は、法律は前述の「共有できる客観的な常識」を根幹としている。このことを丁寧に説明しない前述の訓示は、文系の学生に法律は常識の通用しない難しい学問であると誤解させてしまう。

 この結果、法律学は高度な権威主義的学問体系として国民の上に君臨することになり、司法試験や上級公務員試験の合格者、一部の国立大学法学部出身者が国民に「難解な」法律の専門家と認識され君臨する。こうなれば、国民が法律文盲であることは当然であり、法律専門家による恣意的で自由自在に運用できる世界が実現する。これが、日本における法務官僚による支配の実態である。

(つづく)

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