2024年04月25日( 木 )

ドメスティックバイオレンスで日本マクドナルド元社長・原田泳幸逮捕の衝撃!~日本版カルロス・ゴーンの異名をもつ「壊し屋」(3)

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 「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」(何でも食う犬さえそっぽを向く)ということわざがある。夫婦喧嘩は一時的ですぐに和合するものだから、他人が仲裁に入るのは愚かであるという意味(『広辞苑』より)。夫婦喧嘩の果てに、日本マクドナルドホールディングス(株)の原田泳幸(えいこう)元会長兼社長が逮捕された。「プロ経営者」として一世を風靡したスーパースターが、ドメスティックバイオレンス(DV、家庭内暴力)によって失脚の時を迎えようとしている。原田氏の「プロ経営者」の足跡をたどってみよう。

最大の抵抗勢力は、藤田氏子飼いのFC店オーナーら

 藤田マクドナルドは「青い目をした日本企業」と言われた。商品や意匠は米国流だが、その経営スタイルは古き良き時代の日本企業そのもの。大家族主義を貫き、なまじの日本企業よりも日本型経営を行った。

 藤田氏は、社員をビジネスパートナーとみなした。社員が将来、生活していけるように「独立支援制度」を取り入れた。現代版のれん分けである。その制度を活用して店長らは独立して、マックのFC(フランチャイズ)加盟店を経営するオーナーになった。社員の独立をマックの販路拡大→増収につなげるという、一石二鳥のアイデアだ。

 マックは1991年から2003年にかけて、店舗数を900店から3,900店に急拡大した。店舗数の7割が直営店で、残り3割のうちほとんどの店舗は元社員がオーナーのFC店だった。彼らは、一国一城の主に引き上げてくれた藤田氏の信奉者になった。

 原田氏が脱藤田路線を打ち出したとき、最大の抵抗勢力となったのが藤田氏の子飼いであるFC店オーナーらであった。彼らは藤田氏の直参旗本と呼ばれた。「米国の手先、原田の横暴を許すな」。怪文書が乱れ飛び、凄まじい内部抗争が繰り広げられた。

 原田氏は、こう檄を飛ばした。「この会社は米国籍の会社だ。嫌なら、日本のうどん屋に行け」と言い放った。抵抗勢力との対決というビジネスの修羅場に立ち向かうため、強靭な意志と肉体を鍛えた。高校時代は水泳部で鍛えた体育会の人間だ。週2回のウェートトレーニング、毎朝10kmのランニングを日課としてきた。東京マラソンは11年から8回連続で参加し、ベストタイムは12年の4時間2分だ。

十八番の代理店戦略を自由自在に駆使

 原田氏はどういう手法で、藤田マクドナルドをぶっ壊したか。原田氏の日本マクドナルドでの快刀乱麻を断つ「壊し屋」ぶりは、有森隆著『プロ経営者の時代』(千倉書房刊)に詳しい。2段階方式による解体作戦だ。風船を膨らませて、針の一刺しで破裂させるようなものだ。こんなやり方があるのかと、舌を巻いた。そのくだりを要約する。

 原田氏が外資系で磨いてきたのはマーケティングで、もっとも得意としたのが代理店戦略だ。原田は十八番の代理店戦略を提げてマクドナルドに切り込んだ。

 07年3月、全国に3,800店ある店舗の運営形態を見直し、直営店7割、FC店3割の比率を、5年後をメドに直営店3割、FC店7割に逆転させる方針を打ち出した。直営店だと人件費(残業手当もそうだ)やもろもろの出店コストは、すべて会社の出費となる。FC化することができれば、これらの諸経費はFC店のオーナーが負担することになる。それどころかFC店のオーナーに、営業権や固定資産の買い取りを求めた。ロイヤリティや広告費も、売上高に応じて自動的に上納させる方式に改めた。

 既存の直営店をFCに転換させるスキームは利益を膨らませる妙案だった。コストをすべてFCに押し付けることができるからだ。その分、経営努力なしで利益が出る。原田流の経営合理化策である。

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 荒療治の成果はすぐに出た。日本マクドナルドHDの09年12月期決算は、営業利益242億円、経常利益232億円、当期利益128億円と、ともに過去最高を更新した。直営店のFC化が利益の急増を演出した。

(つづく)

【森村 和男】

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