ドメスティックバイオレンスで日本マクドナルド元社長・原田泳幸逮捕の衝撃!~日本版カルロス・ゴーンの異名をもつ「壊し屋」(4)
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「夫婦喧嘩は犬も食わぬ」(何でも食う犬さえそっぽを向く)ということわざがある。夫婦喧嘩は一時的ですぐに和合するものだから、他人が仲裁に入るのは愚かであるという意味(『広辞苑』より)。夫婦喧嘩の果てに、日本マクドナルドホールディングス(株)の原田泳幸(えいこう)元会長兼社長が逮捕された。「プロ経営者」として一世を風靡したスーパースターが、ドメスティックバイオレンス(DV、家庭内暴力)によって失脚の時を迎えようとしている。原田氏の「プロ経営者」の足跡をたどってみよう。
原田氏の子飼いのFC店オーナーを一掃
原田泳幸氏はこの瞬間を待っていた。2010年2月9日、09年12月期の決算発表の席上、大規模閉店を発表した。向こう1年で全店舗の1割以上、433店を閉鎖する。閉店にともなう費用として営業利益の46%に相当する特別損失120億円を計上するという大出血を決断した。当期利益が大幅な減益になることもいとわなかった。
意外な発表に会場はどよめいた。09年12月期決算では、上場以来最高利益を記録しているため、大規模閉店は業績低迷が理由ではない。大量閉鎖の真の狙いは、日本マクドナルドHD創業者の藤田田氏の子飼いのFC店を一掃することにあった。
原田氏は閉鎖の対象になる店を「負の資産」と名付けた。厨房が狭く全メニューを提供できない小型店舗である。藤田の子飼いのFC店は脱サラ組なので、どうしても小型店の零細経営者が多かった。
直営店のFC化は、彼らを切り捨てるのが目的だった。直営店のFC化の過程で、経営体力のある地方の会社を、一定のエリア内のすべての店舗を運営する「エリアFC」のオーナーにした。大量閉鎖しても、エリアの営業に支障が出ないようにするためだ。
原田氏は社長に就任して以来、6年間にわたり直参旗本との暗闘が続いたが、433店という大規模閉店という大ナタを振るって、最大の抵抗勢力だった直参旗本を一気に淘汰したのである。抵抗勢力を完膚なきまでに打ち砕く剛腕が「壊し屋」原田氏の真骨頂であった。
大粛清で、マックには現場に通じている幹部がいなくなった
抵抗勢力を叩き潰した原田氏は、日本マクドナルドの絶対君主の独裁者となった。藤田時代の経営幹部は次々とバスから降ろされた。原田時代には役員は「3回転」した。藤田時代の役員はすべて去り、原田氏がアップルから連れてきたメンバーも、まったく残っていない。藤田氏の流儀に慣れた役員、社員、FCオーナーはことごとく粛清された。
原田氏の流儀は、生き馬の目を射抜くような、切った張ったの勝負を陣頭に立って遂行する経営スタイルが身上だ。勇猛果敢な侍大将である。しかし、外食企業の仕事は初めてで、現場に精通しているわけではない。現場に立って消費者の動向をキャッチする感度はゼロだ。すべて粛清したため、現場に通じている幹部は誰もおらず、マックはぺんぺん草も生えない荒地になった。
失速するまでにはさほど時間はかからなかった。日本マクドナルドHDの業績は11年期をピークに2期連続の減収減益となった。13年8月に年度の途中にもかかわらず、事業会社の社長兼CEOをサラ・カサノバ氏に譲った。14年3月、カサノバがHD社長に就任して、原田は代表権のない会長になり、マックの経営の第一線を退いた。米国本社は、原田独裁体制に見切りをつけ、現場の経営が豊富のカサノバ氏を社長に送り込んだ。
日本マクドナルドの底なし沼に沈むような業績悪化に、原田氏を「プロ経営者」ではなく、「疫病神」と呼ぶ声が高まった。その批判に応えたのが、先に挙げた「プロ経営者ではなく、一番熱心な雇われ社長」という自己規定だ。
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原田泳幸 関連記事一覧原田氏は、藤田流経営システムを解体するという目標を達成した時点で、原田氏の「一番熱心な雇われ社長」の任務は終わったといえる。それを機に退いていれば、マクドナルドでの名声に傷がつくことはなかったろう。再生までやろうとして晩節を汚した。原田氏は「壊し屋」のプロであって、立て直しを仕事とする「リフォーム」のプロではないからだ。
(つづく)
【森村 和男】
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