2024年03月29日( 金 )

【八ッ場ダムを考える】完成まで68年八ッ場ダムにおける「闘争」とは(1)

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 「八ッ場(やんば)ダム」は、2009年9月、民主党政権下でダム建設中止が宣言されたことから、一躍全国的に有名となったダムだ。その完成には、1952年の調査開始から2020年の運用開始まで、68年の年月を要した。その原因は、地元住民との合意形成に手間取ったということに尽きる。「東京圏の住民のために、なぜ我々が犠牲にならなければならないのか」という長野原町住民の悲痛な訴えにちゃんと応えることは、それだけ重く、難しいものだったわけだ。ダム建設68年間の歴史では、どのような「闘争」が繰り広げられてきたのか。ダム完成から1年が経とうとしている現在、ダム周辺の住民の暮らしはどうなっているのか。関係者に取材した。

強酸性の河川と住民反対運動

 八ッ場ダムは、利根川水系の治水、利水など目的に、利根川支川の吾妻川(群馬県長野原町)に建設が計画された。ダム建設の契機は、1947年に発生したカスリーン台風にともなう利根川決壊だった。この決壊により、流域都県で死者1,100人、家屋浸水30万戸に上る被害が発生。これを受け、国は49年、利根川河川改修改訂計画を策定し、利根川の抜本的な治水対策に乗り出した。

 利根川上流域は、本川流域、烏・神流川流域、吾妻川流域の3つの流域に分かれる。本川流域には矢木沢ダム、奈良俣ダム、藤原ダム、烏・神流川流域には下久保ダム、そして吾妻川流域に八ッ場ダムというかたちで、3流域ごとに計7ダム建設が計画された。八ッ場ダムを除く6ダムは90年までにすべて完成、供用を開始している。

 国は52年、八ッ場ダム建設の調査に着手(調査事務所設置)した。だが、初手からつまずいた。吾妻川の水質が、コンクリートをも溶かすほどの強い酸性であることが判明。水質を改善したうえでなければ、技術的に建設が困難だった。

 そして何より、地元住民からの強い反対にあった。ダム建設予定地には、川原湯温泉を中心とする340戸ほどのまちなみがあったが、ダム建設にともなう立ち退きに対して、多くの住民が断固反対の声を挙げたわけだ。60年代に入っても、地元説明に入った国の職員が住民から石を投げられたり、訪ねて行っても家に上げてもらえなかったらしい。住民に「国から一方的にダム建設を押し付けられた」ことに対する強い反発、不信感があったことがうかがえる。

 この点、八ッ場ダムを管理する利根川ダム統合管理事務所(国土交通省関東地方整備局)の職員は、「ダム建設を一方的に押し付けるようなかたちで地元に入ってしまった。完全にボタンをかけ違えてしまった」と振り返る。

ダム反対が最重要施策へ

 強酸性水の中和のため、61年、群馬県は河川水と石灰を混合する草津中和工場の建設に着手。64年に運転を開始した。翌年には中和生成物を貯留する品木ダムも完成した。中和事業の管理運営は、後に県から国に移管されている。中和事業により、強酸性水をめぐる技術的な課題はひとまずクリアされた。これを受け、国は67年にダム実施計画調査に着手、さらに70年に建設事業に移行した(工事事務所設置)。地元住民の生活再建案も示した。

 だが、住民によるダム反対運動は、衰えを見せるどころか、むしろ激化の一途をたどっていった。65年には、ダムに反対する長野原町民が反対期成同盟を結成。翌年、町議会がダム反対を全会一致で決議。さらに翌年にはダム反対の総決起大会が開催された。74年には、それまでダム賛成を掲げて5選していた町長に替わり、川原湯温泉旅館の経営者で、ダム反対期成同盟委員長を務めていた樋田富次郎氏が町長選で当選をはたす。ダム反対は、町の最重要施策へと発展した。

ダム反対町長、話し合いに応じる

 国も手をこまねいていたわけではない。73年に水源地域対策特別措置法(水特法)が成立。75年、新たな生活再建案を提示する。ただ、国(建設省)は地元住民から激しい反感をもたれており、国が住民と直接交渉するのは現実的ではなかった。そこで国は、住民との交渉窓口を群馬県に依頼。県は国に代わり、長野原町との交渉を始めた。ただ、当時の町長はダム反対派の頭目である樋田氏。交渉は難航が予想された。

 ところが、意外にも樋田町長は「白紙」での話し合いを条件に、県との交渉に応じる姿勢を見せ、これを契機に、徐々に潮目が変わり始める。数年間にわたって続いた話し合いでは、具体的な生活再建策について、すり合わせが行われた。

 地元とのすり合わせを経て、群馬県は80年、長野原町に対して3度目となる生活再建案を提示。これを受けるかたちで、長野原町は翌年、ダム対策課を設置。85年、県知事と町長は生活再建案に関する覚書を締結する。86年になって、八ッ場ダムが水特法に基づく国のダム指定を受けたほか、ダム建設に関する基本計画もまとまった。

(つづく)

【大石 恭正】

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