2024年05月04日( 土 )

社長請負・玉塚元一氏がロッテHD社長に~骨肉の争いの真っただ中に飛び込んで大丈夫か!?(中)

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「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングやローソンの社長を務めた玉塚元一氏(59)は、6月にロッテホールディングス(HD)の社長に就任した。菓子業界3位のロッテをはじめ、ファストフードのロッテリア、プロ野球球団の千葉ロッテマリーンズなどを抱えるロッテHDの「顏」となる。ロッテはお家騒動の渦中にある。創業家で会長の重光昭夫氏は、兄で元副会長の重光宏之氏との間で経営権をめぐって係争中だ。玉塚氏は「火中の栗を拾う」ことにならないだろうか。

40歳で就いた「ユニクロ」のファーストリテイリング社長

 社長業を職業にしたのが玉塚氏である。社長業の出発は、2002年11月に40歳の若さで、カジュアル衣料「ユニクロ」を展開する(株)ファーストリテイリング社長に大抜擢されたことだった。

 玉塚氏は1962年5月23日、東京生まれ。東京証券取引所理事長・玉塚栄次郎氏を祖父にもち、幼稚舎(小学校)からの生粋の慶應ボーイ。慶應ラグビー部の背番号7(フランカー)として、84年全国大学選手権で準優勝の栄誉に浴している。

 85年慶應義塾大学法学部を卒業、旭硝子(株)に入社。将来は自分で商売をやりたいという思いが強く、米国でMBA(経営学修士)を取得し旭硝子を退職。日本IBM(株)に転職しコンサルタントになる。営業に訪れた「ユニクロ」で、澤田貴司氏(前(株)ファミリーマート社長)からスカウトされた。創業者の柳井正氏に会って衝撃を受けた。理路整然と、アパレル業界に革命を起こすと話す柳井氏のカリスマ性に魅せられた。98年、家族の猛反対を押し切り、ファーストリテイリングに取締役として入社した。

 入社4年で社長に大抜擢されたものの、2005年7月に解任された。オーナーの柳井正氏は、株式の上場後初めてマイナス成長になった業績を、右肩上がりの本来の「ユニクロ」の軌道に戻すことを玉塚氏に期待したが、玉塚氏は安定成長を志向した。05年8月期の増収減益が柳井氏の逆鱗に触れた。柳井氏は玉塚氏を更迭し、自ら社長に復帰した。

 「泳げない者は沈め」。柳井氏の非情な経営哲学だ。玉塚氏は失意のうちにユニクロを去った。最初の社長業は失格だった。柳井氏が復帰したユニクロはヒートテックで再び急成長を遂げる。柳井氏はこと経営については“狂の人”だ。

企業経営支援会社で社長請負業への開眼

 05年、玉塚氏は元ファーストリテイリング副社長・澤田貴司氏とともに、企業経営支援会社(株)リヴァンプを設立し、共同代表に就いた。リヴァンプとは「立て直す」という意味。リヴァンプは、相手先の要請により期限付きの買収を行い、経営を譲り受ける。そして経営者のみならず社員も含めたチームを送り込み、再建に取り組む。目標を達成すれば成功報酬を得て、株式を返却する。経営請負業だ。

 最初の案件がハンバーガーの(株)ロッテリア。06年リヴァンプとロッテリアが経営委託契約を締結、玉塚氏はロッテリアの会長兼最高経営責任者(CEO)に就いた。10年、契約完了にともないロッテリアの会長を退任した。

ローソンにヘッドハンティングされる

 ロッテリアを再生させた「プロ経営者」として、玉塚氏はローソンの新浪剛史氏にヘッドハンティングされた。同じ慶應義塾大学体育会の先輩・後輩だ。新浪氏は高校時代、バスケットボール選手として活躍。3年のときに関東大会3位となり、センターとして最優秀選手に選ばれた。大学時代は怪我で選手を退いてからは、体育会本部の運営に携わった。

 ローソンでは、2人とも体格がいいので、お互いをゴリラと呼び合う間柄だ。玉塚氏は11年にローソンの副社長に就いた。14年に新浪氏の後任として社長に就任、16年に会長となった。

 一方、澤田氏は古巣の伊藤忠商事の招きで、16年から新ファミリーマートの経営を任された。2人の盟友は、コンビニのライバルのトップとして剣を交える。彼らを突き動かしていたのは、「ユニクロ」での挫折体験にあった。「ユニクロ」の創業者である柳井正氏の期待に応えることができなかったからだ。澤田氏と玉塚氏はコンビニに大輪の花を咲かせて、柳井正氏を脱帽させることができるだろうか。

 だが、玉塚氏は17年にローソン会長を退任。ローソンは親会社の三菱商事が経営に乗り出し、後ろ盾の新浪氏もローソンを去り、居場所がなくなった。お役御免である。

 次は、ゲームやスマホ、遊戯機器などのソフトの不具合検査を行うIT企業である(株)デジタルハーツホールディングスの社長に就いた。ファストリ、ローソン、デジタルハーツはそれぞれ東京証券取引所に上場している。上場会社3社の社長を歴任するのは珍しい。

 そして今度は上場していないものの、「お口の恋人」のキャッチフレーズで知られるロッテの持ち株会社であるロッテHD社長に転じたのである。

 澤田氏と玉塚氏が共同で企業経営支援会社のリヴァンプを設立したが、その再生第1号案件が業績不振のロッテリアで、玉塚氏は会長として再生に携わった。その縁で、ロッテHDの社長に白羽の矢が立った。

(つづく)
【森村 和男】

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