2024年04月16日( 火 )

【経営者事業魂の明暗(3)】梁山泊(博多)メンバーの現在地 トラストHD渡邉氏、代表辞任の背景(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

 福岡で成功を収めた梁山泊(博多)のメンバーたち。今も経営者として辣腕を振るう者、悠々自適の日々を送る者、そして企業トップを辞任せざるを得なかった者も。30年前に野望を語り合った兵(つわもの)たちの現在地とは?

青汁で3番手を確保したアサヒ緑健・古賀氏

青汁 イメージ 先輩であるキューサイのオーナー・長谷川氏を追いかけたのが、(株)アサヒ緑健の代表・古賀良太氏(1960年生まれ)である。青汁の通販一筋で業績を進展させた。梁山泊出身の3番手の成功者で、特異な存在として光っている。就職後、32歳になる93年1月に会社を設立。引き続き、97年にアサヒ緑健を設立した。スタート当時、無農薬栽培の大麦若葉を原料とする青汁「緑効青汁」が大ヒットしたことで快進撃が始まった。

 全国のテレビ媒体を積極的に活用し、注文はコールセンターによるインバウンドで行う。一躍、青汁通販企業として全国に名が轟くようになった。絶頂期は2003年前後で、このころに周辺の不動産を買い込んだ。加えて、久山カントリー倶楽部(ゴルフ場)を買収することになった。古賀氏は郷土への思いが強い(朝倉)。久山カントリー倶楽部の前オーナーが故郷の先輩であったことから頼まれ、会社を買い取った。

 近年は顧客の嗜好も変化し、青汁への関心が薄れる傾向にある。このため、最近の業績は頭打ちとなっている。関連会社でサプリメント「水と大地の黒酢」も取り扱っている。しかし、貯えた資産は半端ではない。いつ、いかなるときに事業を閉めても、一族が贅沢に生活できる資力は十分にあり、何の懸念もない。

意外な挫折を経験した渡邉氏

 あと10年もすれば、トラスト社代表の渡邉氏(1960年生まれ)は、梁山泊で2番手の成功者という勲章を得るだろうとみられていた。不動産業界に勤務した後、93年に事業を起こす。33歳の時である。2006年に福岡証券取引所Q-Board、12年9月には東京証券取引所マザーズにトラストパーク(株)で上場。トラスト社は13年7月に設立している。

 梁山泊の主流派の大半は反知性主義である。ところが、渡邉氏は経営理念にもこだわり、盛和塾(佐賀地区)のメンバーとして研鑽に励んだ。だから、面談や取材でも「渡邉さん、経営の勉強を積んでいる」という印象を受けた。また、川邊塾の中心的な担い手でもあった。(株)Kアライアンス・ジャパンの会長を務め、川邊塾の塾長でもある川邊康晴氏は「どうして渡邉君が辞任しなくてはならないのか、さっぱりわからない。彼は優秀な経営者だと思っていた」と首をひねる。

 梁山泊メンバーの大半は「我が身可愛く」というスタンスで、自分自身を優先する。ところが、渡邉氏は面倒見が良い。病院経営のドンになった人物が感謝する。

 「8年前に私も勝負をかけて病院経営に乗り出そうとしていたときに、無担保で2億5,000万円を貸してくれた。そのおかげで私は3病院を経営できるようになった。私の恩人だ。しかし、勝負に負けたならばおしまいである。ただ渡邉さんのことだから、近々ビジネスに復帰するであろう」。

 渡邉氏の代表辞任について結論をいえば、トラスト社の致命的な欠陥はメイン事業がなかったことだ。100億円規模の売上で80%を占める(80億円)中核事業を育成すべきであった。あまりにも脈絡のない弱小事業の寄せ集めが致命的となった。取締役の間で意見が対立し、収拾がつかなくなったのだろう。

(了)

(3)-(中)
(4)

関連記事