2024年04月16日( 火 )

【大企業の「解体新書」】東芝解体の前にセゾングループの解体が(中)

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 経営理論には流行がある。2021年の経営改革のキーワードは「会社分割」になりそうだ。(株)東芝の会社3分割が話題になったが、海外でもグローバル企業の会社分割がトレンドだ。バブル崩壊後はセゾングループの解体があった。会社分割に至る経営理論の変遷をたどってみよう。

「巨大流通集団」セゾングループは解体された

SEIBU イメージ 東芝に先行して、「巨大流通集団」セゾングループが解体した。多角経営で総売上額4兆円にのぼる一大企業グループはバブル崩壊で空中分解、バラバラに解体された。

 セゾングループの総帥・堤清二氏(1927年3月30日~2013年11月25日)はマルチ人間だった。「経営者」と「詩人・作家」という2つの世界を同時に生きてきた。昼は堤清二として経営にあたり、夜は辻井喬として詩・小説の創作にあてた。女優とのゴシップが週刊誌を賑わせたこともあった。

 堤清二氏は、西武グループの創業者で衆議院議長の故・堤康次郎氏の次男として生まれた。64年、康次郎氏の死去にともない、西武グループの流通部門を継承。70年に異母弟の義明氏が率いる西武鉄道(株)グループから独立して西武流通グループ(のちのセゾングループ)を立ち上げた。

 80年代から90年代初頭にかけて、「生活総合産業」を旗印に、(株)西武百貨店、(株)西友、(株)パルコを中核とした流通グループを、金融、ホテル、不動産開発など100社以上をもつ企業グループへと成長させた。しかし、金融機関からの借入金に頼った拡大路線がバブル崩壊で破綻。91年にセゾングループ代表を辞任。セゾングループは解体に向かった。

詩人の感性を経営に持ち込み、墓穴を掘った

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 80年代、堤清二氏は花形経営者だった。店舗を都会的で洗練された消費の発信地とするイメージ戦略を展開。糸井重里氏の「おいしい生活。」などのコピーは流行語にもなった。高度成長後の成熟した時代を先取りした感性は、詩人・辻井喬のそれであった。

 しかし、詩人の感性を経営に持ち込んだことが墓穴を掘った。セゾンの全盛時代にノンフィクション作家、立石泰則氏が著した『漂流する経営 堤清二とセゾングループ』(文藝春秋)にこんな逸話が書かれている。

 兵庫県尼崎市につくられた大型プロジェクト「つかしん」(塚口新町店)のコンセプトを決める会議のシーンだ。幹部が「新しいショッピングセンター」としたコンセプトを答申したところ、堤氏は「全然違う。俺が作りたいのは店なんかじゃない。街をつくるんだ。計画を白紙に戻せ」と怒りを爆発させた。

 堤氏は提出される企画プランに不満を示すが理由を言わない。なぜ問題があるのかまったく理解できない幹部社員に、「町には飲み屋や交番や銭湯がなきゃおかしいだろ」と堤氏は叱責する。ショッピングセンターをつくると思い込んでいた幹部社員は、「街づくり」という初めて聞く趣旨がわからず、堤氏もそうしたことを諭し教えることはしなかった。

 セゾングループの幹部社員たちは、詩人の感性から発せられる言葉を最後まで理解できなかったのだろう。トップがイメージを口にするだけで、具体的な指示をしなければ、組織が動くわけがない。バブル崩壊後、セゾングループがあっけなく解体したのは、要因として堤氏が経営者と詩人・小説家の二足のわらじを履いていたことが根本にあったのではないか。

(つづく)

【森村 和男】

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