2024年03月29日( 金 )

日立製作所、日立建機の株式半数を売却へ~建機、伊藤忠の資本受け入れの狙いは?(中)

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 日立製作所は上場子会社の建設機械大手、日立建機の保有株の約半分を伊藤忠商事と国内投資ファンドの日本産業パートナーズに売却する。日立のITを軸としたグループ再編が最終段階を迎えた。

日立グループの「御三家」も売却

上野 イメージ    日立には2009年時点で22社の上場子会社があった。だが、リーマン・ショック後の09年3月期に7,873億円の巨額最終赤字を計上。存続の岐路に立たされたことを契機に、競争力が低い事業を切り離し、収益が見込める分野を強化する抜本的な改革に乗り出した。12年にテレビの自社生産をやめるなど、次々と事業を整理した。

 加えて、グループの強みだった上場子会社22社との関係の見直しを進めてきた。コーポレートガバナンス(企業統治)の強化を求める市場からの圧力を背景に、中期経営計画が終了する22年3月期末までに上場子会社について、本体に取り込むか売却するかの方針を掲げた。

 直近では、20年4月に日立グループの「御三家」の一角だった日立化成(株)を昭和電工(株)(現・昭和電工マテリアルズ(株))に売却。一方、検査機器などを手がける(株)日立ハイテクは同年5月に完全子会社化により取り込んだ。

 21年4月、日立金属(株)を米投資ファンド、ベインキャピタルなどに売却すると発表した。自動車や航空機向けの日立金属が強みを持つ分野はITと相乗効果が薄いと判断し、売却先を探していた。日立金属売却の本当の狙いは後で触れる。同社のTOB(株式公開買い付け)の開始が、一部の国の独占禁止法の審議が完了しないことから遅れている。

 日立グループの日立金属と日立化成、日立電線(株)(日立金属が13年に吸収合併)は、日立「御三家」と呼ばれた。いずれも売却され、御三家から日立の名前が消える。

 なかでも日立金属は、日立グループの創業企業である。鮎川義介氏が1910年、戸畑鋳物(株)(現在の日立金属)を創設。これが日立グループの発祥。ここから日産自動車(株)や日立製作所など日産・日立グループへと発展した。

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 発祥企業である日立金属を売却する。トヨタ自動車(株)が、トヨタグループの源流である業祖・豊田佐吉が創設した(株)豊田自動織機を売却するようなものだ。「日立は、それほど厳しいのか」と改めて思い知らされることになった。

 建機と金属の売却が決定すれば、日立が10年にわたって取り組んできた上場子会社の見直しの総仕上げになる。

3兆円を投じてM&Aを実施

 日立はグループ再編にあたって、ITやデジタル分野を経営の柱と位置付け、相乗効果をもたらす分野を強化する一方、そうでない分野は大胆に切り離した。日立グループのなかでも中核事業を担った「御三家」と呼ばれた日立化成や日立金属をあっさり売却した。

 その一方で、猛烈な勢いで買収に突き進んだ。20年7月、スイス重電大手から送配電事業を7,500億円で買収、21年7月には1兆円余りで米国の新興IT企業グローバルロジックを買収するなど事業の選択と集中を進めた。日立は19~21年で約3兆円のM&Aを実施した。

 グローバルロジックの買収資金のうち8,000億円を借入金で調達しており、上場子会社の日立金属の売却で借金を返済する方針を示していた。ベイン連合による日立金属株の買収額は8,000億円を超える見通しで、日立は保有株すべてを3,820億円で売却すると想定していた。日立金属売却の本当の狙いは、グローバルロジックの買収資金を捻出するためだった。だが、TOB開始が遅れているのは誤算だ。

 日立は産業機器や鉄道、家電など日本を代表する製造業大手だが、近年は単純なモノ売りから脱し、モノとインターネットをつなぐデジタル企業への転換を進めている。一連の買収もその一環で、日立が成長戦略の中核とするIoT基盤「ルマーダ」の世界展開を加速させる。

(つづく)

【森村 和男】

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