2024年04月27日( 土 )

本当は食糧不足にならない日本 これから100年、持続可能な農業(前)

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(株)A-Netファーム十勝

 人々が暮らすうえでも、食糧の確保という「食の安全保障」においても、大きな役割を担う日本の農業。これからも農業を続けていくには、環境に負担をかけず持続可能な取り組みが欠かせない。約100年間の歴史があり、北海道で農産物の栽培と流通を手がける「森田農場」を運営する(株)A-Netファーム十勝専務取締役・森田里絵氏に、これから100年の展望を聞いた。

約100年前の明治時代 初代が北海道で就農

 北海道から全国に向けて、小豆など農産物を直販している「森田農場」。森田農場は、今からおよそ100年前の明治時代に、初代の森田小三郎氏が故郷の岐阜県からハワイに移住し、ハワイでの開拓で稼いだ資金を基にして、北海道十勝平野の清水町羽帯(はおび)地区の広大な畑を購入して就農したことが始まりだ。十勝平野の気候に合った農作物である小豆や金時豆などの豆類、ジャガイモ、小麦、ビートを作付けしてきた。日清戦争や日露戦争のときは食料が不足し、日本人の食生活に欠かせない豆類の値段が上がったため、バブルも経験したという。2代目の森田幸一氏は、これらの土地を相続して農業を続けたが、後に太平洋戦争で徴兵されシベリア出兵となった。3代目の森田慎治氏は畑作に加えて酪農を始め、これらの複合経営を行ってきたが、1980年代に牛乳の値段が低迷したため、畑作に一本化した。

(株)A-Netファーム代表取締役・森田哲也氏、同専務取締役・森田里絵氏
(株)A-Netファーム代表取締役・森田哲也氏、
同専務取締役・森田里絵氏

    2003年に、慎治氏が農業を引退することになったため、4代目の森田哲也氏が札幌から故郷に戻りUターン就農した。哲也氏が慎治氏から相続した畑は約30haだったが、近隣の農家が離農して手放した畑を受け継ぎ、畑の規模は約72ha(東京ドーム15個分)まで拡大した。豊かな黒土を活かした農産物の生産に加えて直販体制を築き、加工品を手がけることで経営規模が拡大したため、11年に哲也氏が(株)A-Netファームを設立して代表取締役に就任した。A-Netファーム十勝の売上高は約9,000万円(21年3月期)で、森田氏の家族と正社員2名、パート数名のスタッフで運営している。

これまで100年~土地を守り続けた農業

(株)A-Netファーム十勝のスタッフ
(株)A-Netファーム十勝のスタッフ

 森田農場が、これまで100年もの間、農業を続けることができたのは、まず持続可能な農業を目指して、「土」が作物を育てる力を保てるように土を大切にしてきたためだ。作物の養分になる堆肥として、十勝平野で盛んな酪農から生じる牛糞や砂糖の原料となる作物「ビート(てん菜)」の葉をすき込み、作物が育つ土の環境を整えてきた。土1gには1億個以上という多くの微生物が住んでいるといわれており、土のなかの微生物のバランスを整えると豊かな土になる。そのため、落ち葉などが腐ってできた腐食土を畑の土に混ぜ、微生物に必要なマグネシウムや亜鉛、マンガンなどを補うなど、土づくりの工夫をしてきた。

 加えて、森田農場の看板作物である小豆は、同じ場所に何年も植え続けると落葉病などの連作障害になりやすい。そのため、小豆を一度植えた畑には3年の間隔を空けて小豆を再び植える「4年輪作」を守ることで、病気を防いできた。ある年に小豆を植えた畑に2年目はジャガイモを植え、3年目は小麦、4年目はビートを植え、次の年に小豆を植える。小豆は、栽培する畑の4倍の広さの土地が必要になるため、広い土地がある北海道だからこそ栽培しやすい。

(つづく)

【石井 ゆかり】


<COMPANY INFORMATION>
代 表:森田 哲也
所在地:北海道上川郡清水町羽帯南2線106
設 立:2011年3月
資本金:100万円
売上高:(21/3)約9,000万円
TEL:0156-63-2789
URL:https://www.azukilife.com/

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