2024年04月26日( 金 )

【独裁者プーチン・グローバル化を”破壊”(1)】プーチンはソ連の亡霊か

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いい加減な世界・世間の評価

 専門家は誰しも「独裁者・プーチン」によるウクライナ侵攻を批判している。プーチン批判は結構だが、批判している輩のなかには約30年前に「共産主義、社会主義はこの地球上から霧散露消した。ソ連は終わった」と主張していた者がいるはずである。彼らは自身の先を見通す能力が、いかにお粗末だったかを反省すべきだ。

 1991年12月にソビエト連邦が解体を宣言。それにともないソ連を構成していた15カ国がそれぞれ独立、ロシア、ウクライナもこの15カ国のなかに含まれていた。ソ連解体により、世界中で「社会主義・共産主義に資本主義が勝利した。ロシアの復活はないだろう」という認識が広まったが、私は『資本主義×共産主義』の対決が世界中で蔓延して、その事実がすべての根幹をなしていると単純に決めてかかることに対し、疑問を抱いていた。

 「資本主義の権化」といっても良いアメリカには資本主義特有の弊害があった。それは「貧富の差」である。30年前と比較して現在は「貧富の差」が広がっている。さらに資本主義と表裏一体である個人の自由の権利、営利追求が地球環境を破滅寸前にまで追い込んでいる。30年前もこの資本主義の歪みを誰しも認識していたはずだ。「資本主義万歳!大勝利」と無邪気に喜べるはずではなかったはずだが――。

エネルギー資源で復活したロシア

 この国の底力を知らずに「ロシアの経済復活はない」と侮ってきたツケが回ってきた。確かに、かつてのロシア経済は破綻寸前だった。しかし、2000年を境に石油価格の高騰によってロシアの石油ガスの輸出収入が増加したことで、経済力が急速に回復した。近年、ヨーロッパでは天然ガスの多くをロシアに依存しており、エネルギー安保の面でロシアに頼っていた。その最たる例がドイツで、ロシアを蔑ろにしてきたツケが回ってきた。

 プーチンは1985年から90年まで、ソ連の秘密警察「KGB」の諜報員として旧東ドイツで活動していた。89年に「ベルリンの壁」崩壊を目の当たりにしたプーチンは、失意の中、母国であるソ連に帰国。この時、プーチンは「いつの日かこの屈辱を晴らしてみせる」と誓いを立てたものと思われる。

 プーチンの強烈な復讐心(ロシアの復権・ソ連の再現という大きな野望)を理解する者は誰一人いなかった。プーチンは冷酷なまでに復讐のための策を積み重ねてきた。

 今回のウクライナ侵攻を決断した最大の要因はロシア経済の現状だった。

2000年以降、エネルギー価格の高騰で、ロシア経済が上昇傾向をたどるようになったことで、自信を持ち始めたプーチンが復讐に向けた行動を開始する。

 ソ連から独立したジョージアはNATO、EU加盟に奔走するようになった。これはプーチンとしては許しがたい敵対行為で、ジョージア(2015年までの国名はグルジア、スターリンの出身地)をなだめすかしてきた。その結果、ジョージアは現時点においても加盟に至っていない。

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 2014年3月、ロシアはウクライナの領土だと国際的に認められていたクリミア半島を略奪した。黒海入口にあるクリミア半島は防衛拠点にあたり、ロシアにとっては喉から手が出る程、欲しい場所だった。この時も国際的に非難を浴びたが、プーチンは現状を分析しつくしており、実にしたたかであった。

 今回のウクライナ侵攻はプーチン個人のパーソナリティに起因する部分も大きいが、「歴史は繰り返す」という側面もある。ウクライナはロシアにとって防衛における「死活ゾーン」だからである。

(つづく)

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