2022年06月26日( 日 )
by データ・マックス

アサリ偽装の「その後」

売上は前年の半分以下

アサリ イメージ    2月上旬に熊本県がアサリの出荷停止を発表して3か月が過ぎた。年間20tに過ぎない熊本県産アサリが全国で2,000tも販売。熊本産アサリの90%以上が中国などの外国産だったという事実は、全国の消費者に少なからぬ衝撃を与えた。しかも、そんな偽装は今に始まったことではなく、過去20年にわたって続けられていたという。この事実が物語っているのは、国内生産者や輸入業者、国内小売販売者だけでなく、消費者にもその責任の一端があるということである。

 「リーズナブル」という言葉がある。消費者が一定の量を抵抗なく買える価格のことを指す。アサリのそれは100g当たり98円で、長年その価格で売られていた。100g98円という価格は400gパックなら400円弱。2~3人家族にとっての適量だ。もちろん、それは「国産」と表示されたアサリを指す。だが、実際には、その店頭価格で国産アサリの販売をするのは不可能だ。生産コストに合わせた価格を考えれば、国産アサリはその2倍程度の価格になる。400gなら約800円だ。結論からいえばその価格ではアサリは売れない。

 現在、スーパーの店頭で売られているアサリのほとんどが「中国産」と表示されている。100g当たりの価格は98円だが、売れていない。売れ残ったアサリには半額の値下げシールが貼ってある。それでも購入するお客はほとんどいない。多くのスーパーのアサリの売上は、前年の半分以下という落ち込みようだ。

 中国産が売れないなら、国産を売ればいいようなものだが、先述したように国産アサリの生産量は極めて少ない。数量が無ければ単価が上がるのは当然だ。しかも、生産量だけではなく、生産コストの問題もある。いうまでもなく、国産品はすべてにおいて、その生産コストが輸入品に比べて高い。結果として生産品のリーズナブルさが消える。1g当たり1円を大きく超える価格は消費者から見ればとてつもない高いハードルだ。

 小売業には「売れる値段が正しい」という原則がある。その正しさを実現するためには正しくない手段をとるしかなかったというのが今回のアサリ偽装問題だ。もちろん、これはアサリに限ったことではない。以前偽装が問題になったウナギや牛肉も同じだ。アメリカ産を和牛と偽って販売していた牛肉や、アルゼンチン産の馬肉と輸入豚肉をあいびきにした「国産牛豚ミンチ」も実に長い間、複数のスーパーの店頭に並んでいた。

もう1つの問題

 さまざまな食品偽装が繰り返し問題になるのは、もはや消費者が買える価格で国産品を販売するのは不可能だということを物語っている。消費者に残されたのは「国産品を買わない」か「高くても買う」かという二者択一だ。高価格の食品からは「思う品が思う価格で買える」というリーズナブルさが消える。つまり、消費者は買いたくても買えないということだ。小売から見ればモノが売れないということになる。

 売れないものを売場からなくすというのは、小売の原則中の原則だ。そうして売場から該当する商品は消える。そうなると生産者の生き残りも容易ではなくなる。つまり事業そのものが消えるということだ。

 同じように消費もなくなるかというとそうではない。消費者は時間が経てば、外国産の98円のアサリを受け入れる。しかし、そのころにはすでに国内の生産者の姿はない。現在のアパレル雑貨と同じ構図だ。

 しかし、そもそも国産品至上主義とは何だろう。かつて、メイドインジャパンは欧米では粗悪品の象徴だった。しかし、その価格が欧米の消費者の心をつかみ、やがてメイドインジャパンは高品質とイコールになった。しかし、高度成長期を迎えるころ、その価格がリーズナブルではなくなった。そこに登場したのが中国、韓国産の商品だ。そして今、衣食住のうち、我が国で消費されるのは、食を除くほとんどが中韓や東南アジアで生産されたものだ。

 あれほど、中国、韓国産を嫌った消費者は、今や何の抵抗もなくそれを受け入れている。それどころかアパレルや雑貨のほとんどは今や外国産だ。

 現在、食品メーカーの製品価格は値上げラッシュだ。終息しないコロナにウクライナ問題、さらに円安と、今後も値上げが懸念される。政府がいくら旗を振ってもそれをあざ笑うかのように動かなかった物価が、いとも簡単に動き始めた。物価は国内金融や政治では動かないということなのだろう。それを動かすのはグローバルエフェクトだ。

 食糧の自給率の向上も同じだ。国産品の消費を増やせば問題が解決するというわけではない。いくら国産品を愛用しようとも生産コストの問題は解決しない。つまり食糧戦略は軌道修正ができないところまできてしまっているということに他ならない。畜産品も水産品も農産品も同じ構図だ。

 すべて国産で我が国の職を賄えば、エンゲル係数が50%を超える。「食うために働く」といういわば終戦直後のライフスタイルだ。そんな暮らしに、豊かさを経験した消費者は、おそらく耐えられない。

 食品もエネルギーもおそらく同じ構図だ。食品偽装はそんな我が国の暮らしの背景を物語る。そう考えると、我が国の食品戦略は取り返しがつかないところまできてしまったということだ。エネルギーや輸出戦略も似たようなものかもしれない。

 「取りあえず」の後ろには取るものを取らないでという弥縫(びほう)が存在する。取りあえずの行き着く先は袋小路だ。そこから先は政治の世界になる。アサリ偽装が物語る我が国の先行きの改善は為政者の戦略にかかっているといえるだろう。

【神戸 彲】

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