2024年05月08日( 水 )

AOKI絶体絶命の危機 五輪汚職で創業者青木前会長逮捕の衝撃(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

 東京五輪・パラリンピック組織委員会元理事の資金受領事件で、紳士服大手の(株)AOKIホールディングス(神奈川県横浜市)の青木拡憲・前会長が東京地検特捜部に贈賄容疑で逮捕された、青木氏はスーツを売り歩く行商から身を起こし、グループ全体で1,500億円以上を売り上げる業界2位の大企業を築いた立志伝中の人物。大黒柱の逮捕で、AOKIは絶体絶命の危機に陥った。

贈収賄容疑で、五輪組織委・高橋元理事とAOKI側の3人を逮捕 

紳士服 イメージ    東京地検特捜部は8月17日、東京オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の元理事・高橋治之(はるゆき)容疑者(78)を受託収賄容疑で逮捕した。また、AOKIHDの創業者で前会長・青木拡憲(ひろのり、83)、前会長の弟で前副会長・青木宝久(たかひさ、76)、専務・上田雄久(かつひさ、40)の3容疑者を贈賄容疑で逮捕した。

 逮捕容疑は、高橋元理事は2017年1月~21年6月、青木前会長から、東京・五輪・パラ大会のスポンサー契約や公式ライセンス商品の契約について有利に取り計らうよう依頼を多数受けたというもの。そのうえで、17年10月~22年3月、青木前会長らの資産管理会社から高橋元理事が代表のコンサルタント会社コモンズに計5,100万円の賄賂を振り込ませたとしている。

 特捜部は、月100万円のコンサル料をすべて賄賂と認定した。贈賄罪は3年が公訴時効のため、青木前会長の逮捕容疑は19年9月以降提供した計2,800万円分とした。

 元理事は逮捕容疑とは別にAOKIHD側から2億3,000万円の送金を受け、うち約1億5,000万円を個人的に受領したことも判明しており特捜部は資金の流れの全容把握を務める。

 筆者は、NeTIB-Newsに「元電通・高橋氏が仕切った『五輪利権』へ捜査のメス」の表題で寄稿(8月3日~4日)しており、本稿ではAOKIの青木前会長について述べる。

家業の質屋が潰れ、行商から身を起こす

 青木拡憲氏は1938(昭和13)年9月23日、長野県長野市の南部の篠ノ井地区の米穀商・青木商店の長男として生れた。戦後、父親が質屋を開業、拡憲氏は長野県立長野商業高校を卒業した。

 拡憲氏は『日本経済新聞』夕刊のコラム「こころの玉手箱」(16年12月5日から5回連載)に寄稿した。それを基に人生行路をたどってみよう。〈〉内は引用分。書き出しをこう綴った。

 〈1950年代の後半、家業の質屋が失敗し、高校を卒業すると働かざるを得なくなった。そこで質屋が扱うなかで最もなじみがあったスーツの行商となり、友人らのつてを頼りに地元長野の役場などを毎日訪ねる日々が始まった。
 事務所に入り浸って仕事中の男性に声を掛けたり、昼休みに空いた場所で数十着のスーツを並べたり。価格は1着4,000~5,000円ほど。大卒初任給が月1万5,000円ほどだったから、高級品だったのは間違いない〉

 近くの村に背広を風呂敷に包んで売り歩く行商を続けた。

 〈25歳までに何とか250万円ためると、(65年)長野市の篠ノ井駅前にスーツを扱う「洋服の青木」1号店を開いた。40m2ほどの小さな売り場とはいえ、自分の店。本当にうれしかった。(中略)思い切って百貨店に隣接する長野駅前の一等地に進出することを決めた〉

ペガサスクラブでチェーンストア理論を学ぶ

 長野駅前はもうかる場所だから競争も激しい。

〈長くライバルに勝ち抜く戦略が必要と痛感し、経営コンサルタントとして名をはせた渥美俊一さんが立ち上げたペガサスクラブの門を叩いた。32歳の頃だ〉。  

 これが最大の転機となった。

 渥美俊一氏は全国のスーパーが加盟する日本チェーンストア協会の生みの親。彼は読売新聞記者時代の1962(昭和37)年に、チェーストアづくりの研究団体・ペガサスクラブを創設した。

 渥美学校の門下生には、日本の流通革命の先達であるダイエーの中内㓛氏、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏、イオンの岡田卓也氏ら、そうそうたる顔ぶれが並ぶ。青木氏やニトリホールディングスの似鳥昭雄氏は、渥美門下生の第2世代に当たる。

 箱根で月2回開かれる3泊4日のセミナーで、チェーンストア理論を学んだ。

 〈ここで学んだのは規模の追求こそが勝ち残る道ということ。仕入れコストを抑え、作業を効率化するにはやはり多店舗化が重要になる。業界2位以内に入らないと、負け組になってしまうとも感じた〉

 セミナーへ通った5年間、長野駅前店は弟の宝久氏(前副会長)に任せた。拡憲=宝久兄弟が手を携えて、紳士服業界のトップを目指して駆け上がっていくことになる。

 77年に東京へ進出。チェーン理論に基づき売り場面積の広い郊外型店舗の出店を展開し成長を遂げる。91年には郊外型の紳士服専門チェーン企業として初めて、東証一部に上場。バブル崩壊後は、事業領域を多角化し、ブライダル、複合カフェなど、幅広い事業を展開。青山商事(株)に次ぐ業界2位の地位を築き上げた。

 AOKIが今日あるのは、〈ペガサスクラブのおかげだ〉と青木氏は記している。

(つづく)

【森村 和男】

(中)

関連記事