2024年05月10日( 金 )

女性左官職人の誕生が社風を変えた それぞれの得意を発揮し、質の高い施工を(前)

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(有)原田左官工業所
代表取締役社長 原田 宗亮 氏

 東京都文京区に本社を置く(有)原田左官工業所。ここに在籍する左官職人の数は50名(外注契約含む)で、そのうち12名は女性職人となっており、全体の24%を占める。建設業界において人材不足が叫ばれて久しいなか、どのようにして人材が集まったのか。また女性にとって参画ハードルが高い建設業において、どのような取り組みを行っているのか。同社代表取締役社長・原田宗亮氏に話をうかがった。

新しい発想が固定観念を突き破る

(有)原田左官工業所 代表取締役社長 原田 宗亮 氏
(有)原田左官工業所
代表取締役社長 原田 宗亮 氏

    ──貴社に女性職人が誕生した経緯をお聞かせください。

 原田宗亮氏(以下、原田) とある女性社員が「現場に出てみたい」と発したことがきっかけです。その社員は当初、事務職として勤務しており、左官職人たちが現場から戻り、次の仕事準備や社内でのサンプル製作を行う様子を日常的に目にしていました。職人の仕事に対する興味が日ごとに増し、大工の娘であったこともあり、もともと現場志向が強かったことが申し出の理由でした。

 ──女性が入ることで変化はありましたか。

 原田 以前は「左官=平らに塗るもの」というほかありませんでした。これが基本であるということは今でも変わりませんが、その固定観念は非常に強かったです。また、使われる色においても、漆喰であれば白・黒・グレー・弁柄(赤)・和風の黄色というように、種類が豊富ではありませんでした。

 しかし、その女性は漆喰にアイシャドーを垂らして色付けをしたり、口紅を砕いてまぶしてみたり。新たな手法を編み出して自主的にサンプルを作成するなど、チャレンジを繰り返していました。まだ職人としては歴が浅く、平らに塗ることはできませんでしたが、固定観念のない彼女だからこそ生まれた製作物だったのです。

オフィス内にはサンプルが並ぶ
オフィス内にはサンプルが並ぶ

    これが定期的に訪れていた学生アルバイトの方々の目に留まり、彼らが設計事務所に持ち込んだ結果、実際の受注につながったケースもありました。ここから女性職人を採用・育成する指針が生まれました。

 ただ、女性左官職人はそれまでの職人とは違って「色や模様をつける仕事だけをやる人」という立ち位置になってしまっているところは正直ありました。その当時、70代の職人も現役で働いていた時代で、彼らは現場に女性が入るということに対して抵抗があり、雰囲気も少しピリッとしていました。

 ──現場の雰囲気が変わったのはいつごろからなのでしょうか。

 原田 少なくとも10年以上はかかりました。この現場の雰囲気を見て、「女性職人チーム」として会社のなかの別の事業部のような立ち位置にして、営業からお金の回収までをすべて自分たちで行うような構造にしていました。しかし仕事を進めていくなかで、女性たちだけでは完結できず、技術的にもやはり男性の力を借りざるを得ない状況が生まれるようになりました。

 一方で男性たちも、女性たちの取り組みを目にするなかで、施工の仕方や意図を理解し始めました。その結果、だんだんと男性と女性の垣根がなくなり、お互いに助け合うようになりました。「結局は同じ会社の職人同士だ」と納得するまでに10年以上、男女の職人が共に現場へ向かうのが当たり前になるまでに約20年の時間を要しました。

(つづく)

【杉町 彩紗】


<COMPANY INFORMATION>
代 表:原田 宗亮
所在地:東京都文京区千駄木4-21-1
設 立:1972年4月
資本金:4,800万円
売上高:(22/3)約10億円
URL:https://www.haradasakan.co.jp/


<プロフィール>
原田 宗亮
(はらだ・むねあき)
1974年東京都生まれ。2000年に(有)原田左官工業所に入社、07年に同社の代表取締役に就任した。営業スタッフ・職人側からプランを提案可能な「提案型左官」を掲げている。女性左官職人の育成や技能講習会など、左官業界の発展のための情報発信も積極的に行う。

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