2024年05月17日( 金 )

【ウクライナ・ボグダン氏】長期化する戦争下キーウの現状(後)

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ボグダン・パルホメンコ 氏

 2022年2月24日にロシアがウクライナへの全面侵攻を開始して、まもなく1年が経とうとしている。この1年、現地の情勢はメディアやジャーナリストのみならず一般市民のSNSなどによっても日々発信されてきた。そのなかに、日本語による現地からの情報発信で注目されるボグダン・パルホメンコ氏がいる。

 今回は、長期化する戦時下における生活と精神的な厳しさ、情報発信の難しさ、日本や国際社会に対する思いをレポートしてもらった。
(本レポートは2022年11月30日受領。日付も当時のもの)

日に日に強くなる諸外国との温度差

 時間が経てば経つほど、諸外国で暮らす人とウクライナで暮らす人との生活には大きな差が生まれています。ウクライナでは攻撃警報のサイレンが鳴れば、仕事も勉強も中断し、シェルターに逃げなくてはなりません。そして小まめに家族や友人・知人の安否確認が必要ですが、停電に晒される通信環境ではこれが容易ではありません。常に一定の緊張感とスピード感、そして危機感をもって生活する必要があります。かつての習慣は守られず、新しい環境に適応した生活が強いられます。

 今、日本中はサッカーW杯の話でもちきりですが、ウクライナではどうやって冬を乗り切るかが議論の焦点になっています。先日YouTubeの生配信をしている最中にフォロワーから、「ウクライナではW杯は話題になっていますか?」と質問がありましたが、正直ウクライナではほとんど誰も関心がありません。停電でテレビは観られず、ネットへの接続もほとんどできない状態で他国のサッカーを観る気持ちは起きません。さらにいわせてもらえば、カタールが今回W杯開催に費やした2,200億ドルもの資金があれば、ウクライナの戦争はとっくに終わらせることができたのではないでしょうか。しかし、世界は戦争を止めることよりも、自分の国を世界に知らしめるために途方もない金銭を使っています。ウクライナ人からすると、今の世界の現実は理解しがたいのが本音です。

ウクライナ軍に支援物資を届ける
ウクライナ軍に支援物資を届ける

    最近よく、日本のジャーナリストから、「各国からの支援疲れは出ていませんか?」という質問を受けますが、やはり日本にとってウクライナで起きている戦争は他人事なんだなと感じます。日本はロシアと隣国であり、北朝鮮や中国などとも隣同士。この戦争でウクライナが折れれば、次は日本が攻撃されるかもしれないという状況で「支援疲れ」という言葉が出るのは、とても残念に感じます。日本人は本当に攻撃を受けた際にアメリカが守ってくれると思っているのでしょうか。我々も1994年にブダペスト覚書でアメリカやイギリスと取引を行い核保有を放棄しました。しかし、今受けている欧米からの支援は武器や資金のみに限られています。ウクライナに軍隊を入れないアメリカが、日本を守るために自国の軍隊を犠牲にするとは思えません。

 もちろん日本はウクライナよりも強い資金力と軍事力をもっているかもしれません。しかし、本当に中国や北朝鮮、ロシアなどに対抗できるのか、大きな疑問を感じます。ウクライナを支援することは、世界秩序を守ることであり、現在全世界が最優先すべきことではないでしょうか。

折れない体力と精神力

 全面戦争が始まって多くのウクライナ人が多大な精神的ストレスを抱えています。先の見えないなかでの生活、失業による生活困窮、ロシアによる攻撃で住居をなくした人々。毎日テレビで放送されるニュースを見ては、心を痛めることが日常になっています。しかし、これよりも辛いことがあります。それは家族や友人・知人の死。戦場に行った夫やボーイフレンドが死んだというニュースには、誰もが恐怖を感じます。

 私自身も今年6月に愛犬のヨルカと祖父のウラジミールを天国に送りました。ヨルカは継続的なストレスで肝不全を発症し治療を続けていましたが、戒厳令下の夜中に発作を起こして病院にも連れて行けず他界しました。祖父は脳梗塞を発症、1カ月間意識不明のまま集中治療を行ったものの、永眠しました。両者とも以前は至って健康であり、まだまだ生きるだけの体力は十分あったと医者は話しますが、彼らは戦火のなかで生きることに疲れたのだと私は感じました。

 最愛の家族の死を体験すると、本当にこのまま自分は生きるべきなのかという疑問が生まれます。自分は何のために生きるのかと、自問自答を繰り返し、彼らの死後、3カ月間何もやる気力が起きませんでした。生きることは時折死ぬより辛いことなんだと再認識しました。

 技術の普及によって、戦争が起きている国で、一般人でもメディアに負けない情報発信ができるようになったことはたしかです。しかし、当事者である私がウクライナから情報を発信し続けることは、多くのリスクや多大な精神的ストレスがあることを皆さんにも知っていただきたいです。

 日本の皆さんと、メディアやSNSを通してつながることができて、私はとても大きな幸せを感じます。皆さんにウクライナの事実を知っていただくことで、多くの支援が届きました。その支援で私は1万人を超えるウクライナの人や動物を助けることができました。この場を借りて、もう一度日本の皆さんに感謝を伝えます。本当にありがとうございました。まだ戦争はしばらく続くと思いますが、ウクライナは必ずロシアに勝利し、新しい先進国のリーダーとして復興するものと信じています。

(了)


<プロフィール>
ボグダン・パルホメンコ

1986年旧ソ連・ウクライナ生まれ。90年に日本に移住し、神戸市・大阪市で中学校卒業まで過ごす。キーウの大学を卒業後、三菱商事現地法人勤務などを経て、キーウにて化粧品輸入販売会社SEPA LLCを設立、経営を行っている。

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