2024年05月20日( 月 )

九州中央、高千穂~高森間の鉄道建設計画の必要性(後)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ
法人情報へ

運輸評論家 堀内 重人

 かつて国鉄高千穂線と高森線を結ぶ九州横断鉄道が構想されたが、1977年2月の異常出水をともなう事故等により工事が凍結。その後、高千穂鉄道は2005年9月の台風で被災して廃線となった。熊本地震で被災した南阿蘇鉄道(旧高森線)は、本年7月15日から全線営業再開し、一部の列車はJR豊肥本線の肥後大津まで乗り入れている。今後、未開通の高森~高千穂間が開通するとすれば、熊本~宮崎間が直結して南九州地方の発展が期待できる。

出水事故と国鉄再建法の成立

 この出水事故が最大の要因となり、1978年に工事は中断された。そしてモータリゼーションの進展により、地方では日常生活の足は自家用車が主流となり、鉄道は自家用車を運転できない高校生の通学や高齢者の通院などが利用の中心となった。そこへ80年に国鉄再建法が成立したことで、高千穂~高森間の建設計画は全面的に中止となった。国鉄再建法の成立により、1日当たりの輸送密度が4,000人未満の路線は、建設に着手していた路線も工事が凍結されたのである。高千穂~高森間の工事の進捗率は3割であったが、当時の鉄建公団高千穂鉄道建設所の話では、「あと7年あれば全線開通できる状態」であったという。

 高森線や高千穂線は、国鉄の特定地方交通線に指定されたことから、高森線は86年に南阿蘇鉄道に、高千穂線は88年に高千穂鉄道という、第三セクター鉄道へ転換された。国鉄も87年4月1日から分割民営化されて、九州地域はJR九州が旅客事業を担うことになった。両方の鉄道を繋いで、熊本~宮崎間で直通の特急列車を運転する計画も、とくに浮上しなかったこともあり、工事が再開されていない。

工事中止後の状況

 異常な出水事故をめぐって鉄道公団と地元との補償交渉が開始され、事故から10年以上経った89年に補償協定が成立した。

 建設用地は、国鉄が分割民営化されたときに、全用地・工作物などが日本国有鉄道清算事業団に承継され、93年沿線自治体に無償譲渡された。完成していた一部のトンネルや高架橋は98年までに解体され、その後高千穂町内の用地の60%は旧地権者に払い下げられた。未成線となった建設用地は未着工の部分もあって、その大半が何処か分からなくなっているが、所々に用地の境界標や封鎖されたトンネル、橋脚の跡などが残っている。

 高千穂町内に建設された葛原トンネルは、現在は神楽酒造が「トンネル貯蔵庫」として利用している。周辺は「トンネルの駅」として整備され、無料で見学が可能である。またその近くの用地の一部が、「夢見路公園」として整備されている。

 異常出水により工事中断となった高森トンネルは、無償譲渡を受けた高森町が、親水公園として整備を行い、現在は掘削された2,055mのうちの550mが、「高森湧水トンネル公園」として有料で一般に開放されている。この全通工事完成の暁には、終点の高森駅がこのトンネルの入口付近へ移転する予定であった。

 高千穂鉄道が廃止される以前から、延岡~高千穂間では、宮崎交通の路線バスが運行されおり、高千穂鉄道の廃止後は、これらのバス路線を増発することで対応している。また都市間連絡バスの「あそ号」・「たかちほ号」が延岡~高千穂~五ヶ瀬町~高森~熊本空港~熊本間を結んでいる。

九州横断鉄道の必要性

高千穂駅 イメージ    南阿蘇鉄道が全線で営業を再開して、一部の列車は豊肥本線の肥後大津まで乗り入れが実施されるようになった。

 廃止された高千穂鉄道も、地元が高千穂あまてらす鉄道として、トロッコ風の「スーパーカート」を運行して実績をつくり、最終的には第一種鉄道事業者として、延岡までの復活を目指している。また2007年に宮崎県知事であった東国原英夫も、高千穂鉄道は高千穂へ観光客を誘致するうえで不可欠な存在と考え、個人的には復旧させたかったという。

 そうなれば高森~高千穂間は23kmしか離れておらず、かつ工事も3割程度進んでいたことから、鉄道建設運・輸施設整備支援機構(以下、JRTT)が建設を行うことが望ましい。また災害で被災して廃止になった高千穂鉄道も、日之影~高千穂間の開通が1972年と比較的新しく、高規格化が実施しやすい。戦前に開通した延岡~日之影間は、カーブの緩和や一部はトンネルでショートカットする工事もJRTTが行い、高千穂鉄道の全区間を高規格の鉄道として復活させてはどうだろうか。

 一方、南阿蘇鉄道も、現在の最高運転速度が65km/hと遅いが、こちらも改良を行い、最高速度を110km/h程度にまで引き上げることができれば、熊本~宮崎間を特急列車で結ぶことが可能となる。

 国鉄時代は、1日当たりの輸送密度が4,000人未満になる可能性が高い路線は建設が凍結されたが、現在は輸送密度が2,000人を切っても、第三セクター鉄道として存続させることが可能であるから、高森~高千穂間の建設再開と高千穂鉄道の復活も、制度的に十分可能である。また、トンネル掘削時に異常出水が発生した高森トンネルの工事についても、現在ではトンネル掘削技術も向上しているため、少々地盤が弱くても掘削は可能である。

 高森~高千穂間の鉄道が建設され、一度は廃線となった高千穂鉄道が延岡まで復活することの意義として、交通地図が大きく変わり、JR九州の活性化と交流人口の増加による地域活性化が期待される。

 まず、熊本~宮崎間が鉄道でつながれば、両都市の間は距離的に約206kmとなる。仮に特急列車が運転されれば、両都市は鉄道で2時間強で結ばれるようになり、交流人口は大幅に増加するものと予想される。それによって南九州地区の観光振興による経済発展や地域経済の活性化が期待されるだけでなく、自家用車依存も緩和される。また、豊肥本線の肥後大津から熊本空港へ向けたアクセス鉄道の計画もあり、肥後大津でシャトル列車と接続させることで、熊本空港から阿蘇地区や高千穂地区への観光客の誘致が可能になる。

 一方のJR九州にとっては、福岡都市圏や北九州都市圏ぐらいしか安定した鉄道の需要が期待できず鉄道事業は赤字であるが、高森~延岡間は第三セクター鉄道が運営した場合でも、熊本~宮崎間に特急列車が運転されれば、日豊本線の宮崎~延岡間や、豊肥本線の熊本~立野間の活性化に貢献することも期待される。

 一度は幻となってしまった九州横断鉄道だが、SGDsの推進が叫ばれる今こそ、構想の復活を真剣に考えるのにふさわしい時代になったといえるのではないだろうか。

(了)

(前)

関連キーワード

関連記事