2024年05月06日( 月 )

日米関係の文化的側面(中)

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福岡大学名誉教授 大嶋 仁 氏

 豊下楢彦氏の戦後の日米関係に関する論を整理しておこう。日本の戦後体制がマッカーサーの指導下でつくられたことは異論の余地がない。1947年に現行の「平和憲法」が施行され、50年に朝鮮戦争が勃発すると「警察予備隊」と名のつく現在の自衛隊の前身が創設され、それが整ったところで、51年のサンフランシスコ講和条約と安保条約の同時調印に至ったわけだが、そのすべての過程においてマッカーサーの強権が最大の影響力をもったのである。

 そのことを踏まえたうえで、豊下氏は2条約の調印に至るまでの日本側の動きを振り返る。吉田茂をはじめとする日本側は、まず講和条約を調印し、少し時期をずらして安保条約の調印をと申し出たのだが、朝鮮戦争で苦戦していたアメリカは、「そんな悠長なことを言っている場合ではない」と強硬姿勢で臨み、2条約の同時調印になったというのだ。当時を振り返って悔しい思いを吐露している西村熊雄(当時外務省条約局長)の言を引き、氏は日本政府の米国との折衝が失敗に終わったことを明示する。

 氏はまた、日本側が米軍の日本駐留を国連の意思に基づくものとしたかったのに、米側の意向で駐留は日本の要請に応えるものとなってしまったことにも触れている。従来の研究では、この問題がそのような結末になってしまったのは戦勝国アメリカの敗戦国日本への強圧的態度のせいであるとなっていたが、これについて氏は異論を唱える。これまで公開されていなかった皇室関係の資料を基にすると、日本側が強く出られなかった背景に、昭和天皇とアメリカとの独自外交があったことがわかるからである。

 昭和天皇は交渉相手であるマッカーサーおよびダレスに対して、天皇制の存続こそが日本の存続であるから、なんとしてでも共産勢力から日本を守ってほしいと懇願したというのである。となると、安保条約において米軍の日本駐留が日本の要請に基づくものとするアメリカ側の主張は、必ずしも一方的なものではなく、この懇願に基づいていることになる。日米関係は戦勝国と敗戦国の不平等な関係という図式では収まらないものが、ここに出てくる。なんとも不思議な両国の関係である。

皇居 イメージ    豊下氏はさらに言う。平和憲法によって軍備をもてなくなった以上、安全保障の面では米軍に依存することになるとしても、日本側は折から朝鮮戦争が始まっていたために、日本における米軍駐留はアメリカにとっても利益があると見越し、安保条約を両国の「協力」に基づくものとしたかった。しかし、ここでも昭和天皇の懇願のせいで、そうならなかったというのだ。つまり、日本の戦後体制の構築の決定的場面で外交の舞台に登場した天皇が、吉田茂以下の政府の外交と並行して別の外交を展開したために、アメリカとすれば天皇の意向を汲むことで、日本にサービスしたことになるのである。

 アメリカにすれば、天皇の意向のほうが日本国民にとっては政府の意向より重みがある、と判断したにちがいない。豊下氏が引用するマッカーサーは、何度もこのことを強調しており、アメリカ政府もそれを受けて条約案を作成したにちがいないのである。となると、安保条約は、必ずしもアメリカ側の一方的押し付けではなかったことになる。

 それにしても、新憲法がすでに制定され、天皇が「象徴天皇」となった後も、実際には天皇が独自に外交を展開していたとは驚きである。一体、これはどういうことか。

 これについての豊下氏の見解は、天皇は憲法をも超える存在だと自らを規定しており、いざとなれば「象徴」であることを逸脱しても天皇制を守ろうとしたのだという。氏がこの論理を肯定しているか、していないかははっきりしないが、重要なのは、天皇という存在の超歴史性という日本文化の根幹にある問題がここで明らかにされたことである。日本文化とは、天皇の文化なのか?

 ここからは私見になるが、日本史が天皇を中心に展開してきたことは異論がない。言い方を変えれば、日本史は日本人という民の歴史ではなく、天皇家とそれをめぐる諸勢力の歴史なのである。では、日本国民はどうして生きてきたのかといえば、大雑把にいえば、天皇制国家が統治のために構築した神話に包まれてきたということになる。この神話を疑うよりは、この神話に抱かれているほうがよほど気楽であるから、安眠を貪ってきたのだ。

 天皇は古代から現代まで神話的存在であり、かつまた歴史的存在でもある。神話と歴史は相反する概念だが、この日本ではそれが両立し、文化の核になっているのである。

 そのような文化は矛盾を生まないのか? 私の答えは、歴史の側に立てば矛盾はあるが、神話の側に立てば矛盾はないというものだ。日本人の大半は歴史に生きるよりは神話に生きているとすると、これを矛盾と感じなくて当然なのである。読者はこれについてどう思われるだろうか。

(つづく)


<プロフィール>
大嶋 仁
(おおしま・ひとし)
 1948年生まれ、神奈川県鎌倉市出身。日本の比較文学者、福岡大学名誉教授。75年東京大学文学部倫理学科卒。80年同大学院比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。静岡大学講師、バルセロナ、リマ、ブエノスアイレス、パリの教壇に立った後、95年福岡大学人文学部教授に就任、2016年に退職し名誉教授に。

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