2024年10月13日( 日 )

市民の皆さん! もう政治家達には任せられない 能も使命感も無い、金・ポストにのみ執着(2)

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安倍家 洋子氏葬儀への政治家のお悔やみ拒絶

 安倍晋三(元首相)氏の母上・洋子さんが4日、亡くなられた。故人は晋三氏の父・晋太郎氏の政治活動に献身的に尽くしてきた。父は岸信介氏(元首相)。晋三氏が亡くなって約1年7カ月。洋子さんの葬儀がどういう形式になるか注目を浴びていた。

 そして、政治家関係者はお悔やみに来るなという趣旨の声明が発されたという。関係者に対して、葬儀は家族葬で行うので、晋三氏の元秘書団を含め政治関係者の参列は無用であり、香典・花輪・果物類はすべて断るとのお触れを出したという。言い換えれば「今後、安倍家は政治関係者との付き合いを断絶する」と宣言したようなものである。

 晋三氏の上に長兄・寛信氏がいる。晋太郎氏は政治家になるよう何度も誘ったが同氏は頑強に拒んだ。そこで次男の晋三氏にお鉢が回ってきたのである。洋子さんの葬儀にあたって事実上の「政治家との絶縁」の表明をしたのには寛信氏の強い意向があった。長く秘書を務め、身内同然の関係者は、「寛信氏が政治にこうも強い不信感を抱いていたとは!」と驚いたという。

 これで安倍家と元安倍派の面々との関係は絶たれた。今後、元安倍派5人衆は全滅するであろうと囁かれている。

 寛信氏が政治の世界を嫌うようになったのは相当昔にまで遡るのではないかと指摘されている。それが福田赳夫・田中角栄らが争った1972年の自民党総裁選挙である。

金銭力で負けた福田赳夫氏

    1972年、佐藤栄作長期政権が終わりを迎えて自民党総裁選挙が行われた。当時の佐藤首相が福田氏を支持しており同陣営の優位が囁かれていた。しかし、下から這い上がってきた田中氏が培ってきた信念は「金(実弾)を使えば誰でもが転がる」というものであった。田中派陣営内では、「自民党総裁選挙は公職法に絡む選挙ではない」と公言してはばからない幹部すらいたという。「総裁選にはいくら金を使ってもよい」という宣言に他ならなかった。

 角栄陣営は「実弾」を駆使して、従来福田支持とみられていた人たちをひっくり返していった。とくに決定的であったのは中曽根派の票を味方に取り込んだことである。これが角栄氏の勝利を決定づけた。まだ筆者の記憶に鮮明に残っているのは福田氏の顔だ。「どうして選挙に負けたのであろうか?」というまるで腑に落ちない様子であった。ここでポイントとなるのは安倍家への影響のことである。

 晋太郎氏は福田派の幹部、もっと言うと派閥後継の最有力候補であった。寛信氏は「福田先生は角栄の資金力に負けた。俺がもう少ししっかりと政治資金工作を練りあげるべきであった」と晋太郎氏が悔やんでいたのを幾度となく目撃したのであろう。「こんな金だけで結束するような政治の世界は自分には不向き」と若い時から決断していたと言われる。

プリンスホテルで面食らった

政治資金パーティの収支額

 福田派は政治資金に無頓着であった。その影響を受けてか、晋太郎氏も資金集めには淡白であった。1980年当時になるか。いよいよ晋太郎氏が福田派を継承する人材と政界では評価を受けるようになった時期である。プリンスホテルで初めて政治資金パーティを行った。1,500枚のパーティー券を売り捌いた。収支を見て晋太郎氏はビックリ仰天したらしい。「こんなに儲かるのか?」と驚嘆の声を挙げたとか。この実例から見て、安倍派の資金調達の手法=政治パー券売りは約45年前には確立したとみられる。

安倍晋三派の結束の要因は
カネ・カネなり

 晋三氏は「あまり利権には首を突っ込まない。金には淡白であった」と囁かれていたのだが、政治資金が潤沢であれば首を突っ込む必要はない。安倍派政治資金パー券活用度合いが公表された。驚くことなかれ!安倍派参議議員たちには改選期に必要な選挙資金が渡されていたという事実が判明した。派閥が政治資金をすべて賄ってくれるのであれば誰でも派閥に忠誠心を尽くす。安倍派の結束力は「晋三氏の国家観」であると語られていたが、何ということはない。角栄氏時代と何ら変わらず「カネ・カネ」第一主義である。安倍派はピーク時には100名に達し、うち半分を参議議員で占めていたことで巨大な政治影響力を誇示したのである。

 晋三氏が暗殺されて以降の安倍派の成り行きは哀れという表現しかない。佐藤派を割って田中派を結成したような器量をもった者がいないのである。驚くべきことは、5人衆全員が耄碌したような森喜朗に裏金を献上していたという。「是非、私が安倍派を引き継げるよう根回してほしい」という目的の上納金である。はたして耄碌した爺さんにその実力があるのか!信じ込む甘さにはただただ、愚か者という言葉しか見つからない。政治家としては非常に哀れな知的レベルである。

 寛信氏には安倍派内の金銭をめぐる汚い情報が流れてきた。加えること、弟・晋三氏の葬儀の始末と安倍派の継承をめぐる暗闘の現実を目の当たりにした。「母親の葬儀にはこの汚らしい人種(政治屋)たちを参列させない」と決意したのである。
 

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