2024年04月30日( 火 )

イスラエル・パレスチナの分断 今後の中東の安定・平和のために(後)

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日本女子大学文学部教授
臼杵 陽 氏

 2023年10月7日、世界に衝撃を与えたハマースによるイスラエル襲撃。歴史的な過去の事件の節目となる年に、ユダヤ教の祝日を狙ってテロは決行された。今回の出来事は、ガザの歴史的に複雑な事情と、関わるさまざまな諸勢力の歴史、そして長年にわたって強いられたガザの過酷な現状を考慮しなくては、理解に迫ることはできない。

劣悪な環境が生むハマースへの支持

 私自身もハマースがガザを支配するようになる前に、ガザを何度か訪れたことがある。国連機関のみならず、国際赤十字や欧米のNGOなどが難民支援のための地道な活動を行ってきた。ただ、それでもなお、難民キャンプには下水道設備も十分でない場所もあり、たとえば、キャンプの道の真ん中に溝が掘られて汚水が流されているようなところもあった。

 ガザは地中海の東側にあり、地中海性気候のため、冬から春にかけて雨がよく降る。冬季は我々が想像する以上に冷え込むうえに、降雨のため泥水が流れて、極めて不潔となり、不衛生な状態がキャンプ一帯に広がることになる。一部の難民キャンプにある家屋はセメントでなどで固められたブロックが積み上げられてトタン屋根に壁がつくられて、風雨だけは何とかしのげる簡易なつくりであり、快適に居住できるとは決していえない状況であることを思い起こす必要がある。

 このような劣悪な環境のなかで育ったパレスチナ難民の子どもたちや若者たちは、絶望的状況から脱出するために、ハマースのような過激なイスラーム政治組織が勧誘すれば、むしろ進んで参加するのもごく当たり前のことなのである。家父長制が依然根強いパレスチナ難民社会では、長男以外の若者たちは「余計者」と位置づけられるため、自ら志願して戦闘員になる場合が多い。

 というのも、ハマースなどのイスラーム組織に関して日本のマスメディアは武装組織の側面しか紹介しないが、パレスチナの人々がハマースを積極的に支持しているのは、ハマースが相互扶助の精神の下、福利厚生的な「社会福祉」の活動も幅広く積極的に行っているからである。そんなガザのパレスチナ難民社会の実情を知らなければ今回の事件の根底にある事態の原因を理解することができない。

エジプトとムスリム同胞団

 前述のようにガザ地区は1948年から67年まではエジプトの支配下にあり、当然ながら、エジプトの政治運動の影響を強く受けることになった。当時のエジプトはナセル大統領の統治期にあたり、アラブ世界を統一して、その結束力でイスラエルというユダヤ人国家を地中海に叩き落し、パレスチナを解放するという考え方が主流を占めていた。

 その主流派に対し、左翼勢力として共産党、右翼勢力としてムスリム同胞団があった。ムスリム同胞団は宗教的政治指導者のハサン・アル・バンナーが1928年にスエズ運河沿いの港湾都市イスマーイリーヤで設立した。この右翼勢力は敬虔なムスリムの間に支持基盤をもち、その社会福祉政策でガザでも政治勢力として影響力をもった。PLO(パレスチナ解放機構)議長を長い間務め、パレスチナ自治区でもパレスチナを代表する政治家として著名なヤセル・アラファト(1929~2004年)も、最初はこの宗教的政治運動に深く関わっていた。アラファト自身はガザ出身の一家の出であり、エジプトのカイロ大学で高等教育を受けた。そのため、この宗教的な政治運動を通じてガザとも深い関係をもっていたのである。

 ただ、ムスリム同胞団はイスラーム的理念に基づく相互扶助の精神の下でイスラーム国家を樹立することを目的としていたが、アラブ社会主義を掲げるナセル政権下では弾圧の憂き目にあった。むしろガザが67年の第三次中東戦争後にイスラエルの占領下に入ってから、その勢力を伸ばすことになった。

 とりわけ、87年末にパレスチナ占領地全体で起こった民衆蜂起(インティファーダ)後にムスリム同胞団は勢力を伸ばし、ハマース(イスラーム抵抗運動)として知られるようになった。アフマド・ヤースィーン(1937~2004年。新聞では「ヤシン」と表記するのが一般的)が指導者になってから、ハマースはアラファトが率いるファタハ(パレスチナ解放運動)を凌駕する影響力をもち始めたのである。

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ハマースの台頭とイスラエルのジレンマ

 アリエル・シャロン首相の下でイスラエル軍が2005年にガザから撤退すると、ハマースはファタハを凌駕する影響力をもち始め、事実上、ガザを支配するようになる。イスラエルは車椅子に乗った宗教的政治指導者ヤースィーンの影響力を無視することができなくなり、彼を空爆によって殺害するのである。続く指導者アブドルアズィーズ・アル・ランティースィー(1947~2004年)も同じようにイスラエルによって殺害された。

 しかし、ハマースの影響力は、その指導者がそのようなイスラーム的な意味での「殉教者(シャヒード)」になると、むしろよりいっそう強くなった。イスラエル側は、カタールに亡命中のハマースの現在の指導者イスマーイール・ハンニーヤを殺害しようとしているが、失敗に終わっている。カタールはその中立的な立場を利用してイスラエルとハマースの間の仲介を試みているが、残念ながら失敗に終わっている。

 ハマースの武装部門は「カッサーム団」(新聞では「カッサム」と表記)と呼ばれ、ハマースがイスラエルに対して発射するロケット弾も「カッサーム・ロケット」と名付けられているが、その名前はイスラエル建国前にシオニストと戦ったイッズディーン・アル・カッサーム(1982~1935年)から取られたものである。シリア出身でイスラーム研究の最高峰アズハル大学出身のカッサームはパレスチナをユダヤ人の手から守るためにジハード(聖戦)を行った。ハマースも歴史の教訓から学びつつ、カッサームに倣ってイスラエルに対する抵抗運動を展開しているのである。

 イスラエルがガザを占領しても、ハマースによる抵抗は終わらないのが現状である。イスラエルの安全保障にとってはハマースの存在自体が障害となり続けるだろう。イスラエルとしては徹底的にハマースを潰すしか方法がないが、そのような過酷な弾圧を続けると、ハマースに参加するパレスチナの若者たちが増えるという根本的な矛盾を抱え込むことになってしまうのである。

(了)


<プロフィール>
臼杵 陽
(うすき・あきら)
臼杵陽1956年生まれ。80年東京外国語大学アラビア語学科卒業、88年東京大学大学院国際関係論博士課程単位取得退学。専門は国際関係論・中東地域研究。外務省在ヨルダン日本大使館専門調査員、佐賀大学助教授、エルサレム・ヘブライ大学トルーマン平和研究所客員研究員、国立民族学博物館教授を経て、2005年より日本女子大学文学部史学科教授。京都大学博士(地域研究)。著書に『世界史の中のパレスチナ問題』(講談社、2013年)、『「ユダヤ」の世界史:一神教の誕生から民族国家の建設まで』(作品社、20年)など。

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