2024年05月02日( 木 )

日本の食料安全保障とフードテックの可能性(前)

記事を保存する

保存した記事はマイページからいつでも閲覧いただけます。

印刷
お問い合わせ

東京大学大学院農学生命科学研究科
教授 鈴木 宣弘 氏

 命や環境を顧みないグローバル企業の目先の自己利益追求が世界の食料・農業危機につながったが、その解決策として提示されているフードテックが、環境への配慮を隠れ蓑に、さらに命や環境を蝕んで、次の企業利益追求に邁進していないか。これで日本と世界の農と食と市民の命は守れるのかを検証する。

世界の食料争奪戦の激化

東京大学大学院農学生命科学研究科 教授 鈴木 宣弘 氏
東京大学大学院農学生命科学研究科
教授 鈴木 宣弘 氏

    今、世界の食料情勢は危機的状況にあり、筆者は「クワトロ・ショック」と呼んでいる。

 コロナ禍で物流途絶が現実味を帯び、中国の「爆買い」が勢いを増している。中国が飼料穀物をはじめ多くの農畜産物を買い集め、日本などが買い付けに行っても残っていない。中国が高値で大量に買う力を強め、日本の商社などが主導権を握っていた時代は終わりつつある。

 中国のトウモロコシの輸入量は2016年(246万4,000t)に比べて、22年は1,800万tとケタ違いだ。大豆はもともと輸入が多いが、今や年間1億t輸入している。日本も大豆の消費量の94%を輸入しているが、年間300万tで中国の端数にもならない。「買い負け」というより、最初から勝負になっていない。

 最近、大手商社の方のセミナーを聞いて驚いたが、中国は今米国との関係悪化による紛争に備えて備蓄を増やすとして、中国の人口14億人が1年半食べられるだけの穀物を買い占めているという。だから値段が下がらない。一方、日本の穀物備蓄能力は1.5~2カ月だ。この点でもまったく相手にならない。さらに、コンテナ船が大型化するなか、日本の港は小さいため荷を下ろせず、まず中国に運びそこで小分けして日本にもってくるような情けない状態だ。

 世界的に食料需要が増すなかで、「異常気象」は「通常気象」のようになり、干ばつや洪水が頻発して農産物の不作が続いている。そして、これほどの需給の逼迫状況下で紛争などが起きたら大変なことになるが、そのリスクが高まっている。

 実際にロシアとウクライナの戦争が勃発し、小麦をはじめとする穀物、原油、化学肥料の価格が高騰した。その収束のメドが立たないなか、さらに、パレスチナとイスラエルとの紛争も勃発し、泥沼化しそうな気配である。

 ロシアとウクライナは世界の小麦輸出の3割を占める。トウモロコシの輸出シェアも大きい。ウクライナからの輸出に依存していたアフリカ諸国を中心に深刻な事態になった。日本の穀物輸入先はウクライナでなく米国、カナダ、オーストラリアなどだから影響がないかのような見方もあるが、それは違う。ウクライナから多くを輸入していた中国などが輸入先を米国などに切り替えたから、食料争奪戦が激化した。また、制裁を受けたロシアとベラルーシは、日本を敵国とみなして戦略的に輸出しないとの方針だ。

 世界の穀倉であるウクライナは、ロシアに耕地を破壊され、運搬ルートも封鎖されて物理的に輸出再開のメドが立たない。23年7月には、ロシアはウクライナの主要積出港のオデーサなどへの攻撃を強化し、事態はさらに悪くなっている。

 こうした状況下で一番心配なのは、自主的に輸出規制する国の増加だ。インドのように世界1、2位のコメや小麦の生産・輸出国が「外に売っている場合ではない」と自国民の食料確保のために防衛的に輸出規制をする動きだ。そのような国が増えて今や30カ国に広がった。インドは23年7月にコメの大部分を禁輸した。インドは世界のコメ輸出の4割を占める。このため、穀物の国際価格は下がる見込みが立たない。

 この状況下で、飼料穀物が入手しにくくなり、飼料価格は2倍近くに上昇して、日本でも酪農・畜産農家が悲鳴を上げている。もう1つが化学肥料だ。日本はこの原料(リン、カリウム、尿素など)をほぼ100%輸入に依存している。

  まず、調達先として最も大きい中国が国内向け確保のためとして輸出を抑制し、カリウム鉱石の輸入依存先であるロシアとベラルーシも「敵国」日本に輸出してくれなくなったので、化学肥料の値段は20年に比べて1.7倍になった。私たちは今後、化学肥料を使った慣行農業がいつまで続けられるかということまで視野に入れなければならなくなった。

 それでも日本政府は、この期におよんで「もっと貿易自由化を進め、調達先を増やせばよい」「日本の農家がどんなに頑張っても米国産に比べたらコストが高いのだから輸入が基本だ」という認識から抜けきれない。まさにその貿易が止まり、コスト高で生産する農家が倒れてしまえば、台湾有事が起きてシーレーンを封鎖されたら国内で食べる物はなくなるのだ。

 短期的には輸入農産物より高コストでも、飢餓を招きかねない不測の事態で命を守るコストを考慮すれば、国内産のコストのほうがはるかに低いのは当然だ。いざというときに国民の命を守るために、急激なコスト上昇にもかかわらず、農産物の販売価格が上がらずに赤字に苦しんでいる国内農家のコストを負担して支えることこそが安全保障ではないだろうか。

(つづく)


<プロフィール>
鈴木 宣弘
(すずき・のぶひろ)
東京大学大学院農学生命科学研究科教授、専門は農業経済学。1958年生まれ。東大農学部卒業後、農林水産省に入省。2006年から現職。三重県志摩市の半農半漁の家の1人息子として生まれ、田植え、稲刈り、海苔摘み、アコヤ貝の掃除、うなぎのシラス獲りなどを手伝い育つ。安全な食料を生産し、流通し、消費する人たちが支え合い、子や孫の健康で豊かな未来を守ることを目指している。近著に『このままでは飢える!』(筑波書房ブックレット)、ほか『世界で最初に飢えるのは日本──食の安全保障をどう守るか』(講談社+α新書)、『農業消滅──農政の失敗がまねく国家存亡の危機』(平凡社新書)、『食の戦争──米国の罠に落ちる日本』(文春新書)など著書多数。

(中)

関連記事