佐々木前県議辞職関連~民主党時代の大物・助信元県議を回顧する
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けち臭いことばかりをやって県議を辞職した田川市選出の佐々木允氏(ささき・まこと)を野放しにしてきた立憲民主党福岡県連の責任は大きい。福岡県連の体質のおかしさはほかにもある。来る参院選における福岡県区の候補として野田国義氏に3回目の公認を与えたことだ。恐らく今回の不祥事で野田氏の議席は国民民主党に奪われるであろう。
ところで、立憲といえば、その前身にあたる民主党時代に、佐々木氏よりも100倍大物であった助信良平氏がいた。本記事ではこの御仁について回顧してみよう。腕力と政治力を兼ね備えていた助信良平氏
“金抜き取り”の天才
遠賀郡から県議に選出された助信良平氏のことを覚えているのは、県政によほど精通している人だろう。同氏はすでに故人となっている。故人とは25年前、パラマウントプロジェクトのときに知り合った。当時の久山町議からの紹介だった。助信氏はこのプロジェクトの投資資金を募って歩いた。
結果、投資家たちに「もうけさせたのだから対価を寄こせ」と迫り、「3,000万円を懐に入れた」という関係者からの証言がある。「金抜き取りの名人」といわれる所以であろう。
国会議員公認料をネコババ
2009年の総選挙は民主党の圧勝であった。選挙後の話である。福岡選挙区の2、4、5区でのケースを紹介しよう。ある人物が、「助信書記長(民主党県連書記長)から党の公認を取ってやるから“汗かき代”をよこせ」と迫ったらしい。事実、1人は値下げ交渉をしながら汗かき代を払った。この話は当事者から耳にしたものだ。
悪辣(あくらつ)というか滑稽というか。ある区での話だ。助信氏は民主党本部に行って「誰それは頑張っている。支援のための活動費を出してくれ」と詰め寄って500万円相当の選挙資金を預かった。立候補していた本人は後で気づいたという。「本部から預かった資金を個人で使ったことを後から知った」と漏らしてくれた。
金にどうして執着するのか?わかり切ったことだ。中洲での飲み代に使ったり、女たちに貢いだりしていたのだ。晩年は自宅にあまり帰らず、中央区春吉周辺で生活をしていたようだ。民主党福岡県連幹事長を辞任させられ、県議を辞めて以降は生きがいを失い、天に召されてしまった。
先制パンチ
助信氏は喧嘩が強かった。中洲で飲むと2回に1回は殴り合いの喧嘩になっていたという。パラマウントプロジェクト関係者が助信氏と飲みに行くと、助信氏は誰彼となく口論になったという。同じ民主党仲間、自民党県議と相手に分け隔てはない。口喧嘩から暴力行為までなんでもござれ。関係者が助信氏の喧嘩のテクニックを解説してくれたものだ。「先手でパンチを巧妙に打ち込んで、相手の闘争心を挫けさせるのが巧妙だ。当時の自民党県議団のリーダーたちは、助信氏に一目も二目もおいていたという。
吉田前福岡市長を誕生させたのは助信氏の功労
06年11月の福岡市長選挙で西日本新聞の記者だった吉田宏氏が当選した。その最大の功労者は助信氏であった。選挙前半、民主党の市会議員たちも「勝てるはずがない」と他人事のようであったという。ところが中盤戦から潮目が変わり、勝ち目がでてきた。それから俄然、市議団も必死に選挙活動に邁進しだしたのである。
流れを勝ち戦へと変えたのは助信氏の政治力によるものだ。決して腕力があるから怖がられたのではなく、福岡市長選で吉田氏を勝利させる程の圧倒的な政治力があったからだ。助信氏は一般常識に照らせば「ワル」だったかもしれないが、佐々木前県議会議員の100倍の政治力を持った実力者でもあった。
▼助信良平氏関連の過去記事
地獄からの生還(13)~助信良平幹事長を地獄に落とすな!!(前)
地獄からの生還(14)~助信良平幹事長を地獄に落とすな(後)
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