福岡大学名誉教授 大嶋仁
ヨーロッパとは単なるEUではない。音楽、美術、哲学、科学、キリスト教、さらには啓蒙思想まで、多様な要素から成る「文明」としてのヨーロッパが、本来の姿である。しかし、そのヨーロッパはいま、アメリカ依存と自己喪失により、自立性と知性を失いつつある。ロシアとの断絶や、日本を含めた他文明との関係も複雑化するなか、真の復興には古典的精神と哲学への回帰が不可欠だ。ヨーロッパの未来を考えることは、同時に世界の未来を問うことでもある。
(1)現状
ヨーロッパとはEU(ヨーロッパ連合)のことだ、と思う人は多い。そのEUが、アメリカから「見捨て」られようとしている。では、ヨーロッパは終わりなのか?
そんなことはない。EUは政治的=経済的統合体であって、ヨーロッパは文明体だ。アメリカがEUを見捨てても、古代からの文明が失われることはない。EUをヨーロッパと混同してはならない。
残念ながら、当のヨーロッパ人がそのことをわかっていない。軍事力と経済力を誇るアメリカの前に、彼らは自信を失ってしまった。
己れを顧みることをしなくなったからであろう。あれほどに誇っていた知性を、どこかで見失ってしまったのだ。今からでも遅くはない、己れの真髄を再発掘したらどうか。
だが、どうやらその気力すらヨーロッパには見当たらない。非ヨーロッパ人である私たちが、その真価を見つけ出さねばならないのかもしれない。
死にかけたヨーロッパであるが、復活の可能性はある。トランプ政権になってからのアメリカが、アメリカ主導のNATOにしがみつくEUにいら立っているからだ。彼はヨーロッパに「自立」を訴えている。
アメリカにすれば、もう「面倒は見きれない」のだろうが、これすなわち「冷戦」と呼ばれるアメリカとソ連の対立構造への決別宣言である。ヨーロッパはこれをチャンスと見なくてはならない。
近代史の主役であったヨーロッパがそこまで自信を失うとは、一昔前まで考えられなかったことだ。一体、どうしてこんなことになったのか。
人間、目先のことに惑わされてはいけない。本当の自分とはなんなのか、立ち止まって反省する必要がある。
最初にも言ったが、ヨーロッパをEUと見誤ってはならない。NATOとヨーロッパは切り離して考えなくてはならない。
EUの出発点はヨーロッパ経済共同体。第二次世界大戦でめちゃくちゃになったヨーロッパを、経済的に立て直そうというプランだった。主唱者であったドゴールは、「ヨーロッパ文明の再興」という目論見ももっていたようだ。しかし賢明な彼は、同じヨーロッパでも北と南では違いがありすぎるし、島国と大陸では文化的隔たりがあることを知っていた。だから、文明共同体を構築することについては慎重だった。
ドゴールの目論見は、アメリカに負けない強いヨーロッパの再興だった。そのプランから出発して、現在のEUに至る道筋ができた。しかしその裏に、アメリカ主導の軍事同盟であるNATOがあった。ヨーロッパの軍事同盟なのにアメリカ主導となれば、これが戦後ヨーロッパのがんになったとして不思議はない。
第二次世界大戦では連合国がドイツを中心とする枢軸国に勝った。とはいえ、本当に勝ったのはイギリスやフランスではなく、アメリカとソ連だった。そのようなヨーロッパが、「ソ連の脅威から己れを守るにはアメリカに頼るほかない」と思ったのは納得できないことではない。
しかも、NATOはヨーロッパにとって大いに利点があった。アメリカの軍事力を背景に経済復興に成功し、いまだかつてないほど長い平和を楽しんだ。しかし、それが高じて、ついにアメリカの「子分」になってしまった。これでは、ドゴールの精神は踏みにじられることになる。本来ならもっと接近できたはずのロシアとの間にも、深い溝ができてしまった。
もう一度いうが、ヨーロッパは自信喪失に陥っている。栄光あるその文明を、いつしかアメリカの軍事力と経済力を基準にして測るようになってしまった。そこまでアメリカに屈従する必要があったのか。
人のことはいえない。ヨーロッパの現状は、そのまま日本にも当てはまる。日本も敗戦によって自信喪失になり、それが戦後80年も続いている。最近の日本のメディアはやたらに日本の美点を強調し、「日本ほどいい国はない」と喧伝したがっているが、これは自信喪失の裏返しにほかならない。
ヨーロッパに話を戻せば、トランプ政権がNATOから身を引き、ヨーロッパに自立を促しているのは、ヨーロッパにとって自分を取り戻せるチャンスだろう。なのに、それを生かせない。病は深刻なのだ。
どうすれば、病から癒えることができるのか。日本についてもいえることだが、己れの道筋を失ってしまった文化は、その大もとに立ち返る必要がある。日本人なら漢文と和歌、ヨーロッパ人ならギリシャ哲学とラテン古典に返る必要があるのだ。
ところが、ヨーロッパの学校教育(そして日本の学校教育)は、そんなことには背を向けている。科学技術の発展に目がくらみ、「富国強兵」の妄想から抜け出せずにいるのだ。ああ、富国強兵、なんという、おぞましい夢か。
(つづく)