中国経済の失速と、トランプ政権の思わぬ誤算~米中対立下で求められる日本外交の選択肢~

『現代ビジネス』
編集次長兼中国問題コラムニスト
近藤大介 氏

 長引くゼロコロナ政策の打撃と、経済回復を後回しにした習近平政権の政策選択により、中国経済は深刻な停滞から抜け出せずにいる。そこに追い打ちとなったのがトランプ政権の対中追加関税だが、この戦術は米国側にも誤算を生じさせている。経済、安全保障、外交が複雑に絡み合う新冷戦の最前線が、今まさに東アジアに形成されつつある。本稿では、まず現在の中国経済がいかに悪化しているかを記し、次に米中貿易戦争の実態を考察、最後に日本外交について私見を述べる(本稿執筆5月21日時点での情勢に基づく)。

中国経済の長期停滞

 第一に中国経済についてだが、本稿を執筆している5月21日現在、主要経済統計は下記の通りである。

 これは天気にたとえれば、現在の日本の梅雨時が一年中続いているようなものだ。2020~22年まで続いた悪名高かった「ゼロコロナ政策」(少しでも陽性が発見されれば町全体をロックダウンする政策)によって、14億人の全国民が疲弊してしまったのである。

 さらに23年3月に3期目の習近平政権(任期5年)が発足した際、すぐに経済回復優先策に走らず、「総体国家安全観」(自己の政権の安全を始め、社会の安全を最優先させる政策)を前面に打ち出した。1年後の24年3月後半から、経済優先に軌道修正を図ったが、時すでに遅し。さらに今年2月からは、後述する「トランプ関税」の津波が押し寄せ、「雪上加霜」(泣きっ面に蜂)の状況と化してしまったのだ。

中国主要経済統計

中国不動産関連主要統計

中国の若者の絶望

 なかでも、多くの若者が就業できずにいることは大きな問題となっている。最近、中国で流行している言葉を、3つ挙げてみよう。

●歴史的垃圾時間(リーシーダラージーシージエン)……若者たちが「自分の人生って一体何なの?」と自問自答し、「歴史(人生)のゴミ(垃圾)時間」と自虐的に語っている言葉だ。

 中国の学制は9月入学、7月卒業だが、23年夏の大学・大学院の卒業者数は1,158万人、24年は1,179万人、そして今夏は1,222万人である。九州全体の人口とほぼ同等の大学生・大学院生が、毎年社会に出ていることになる。さらに中卒者、高卒者も加わるから、実際には九州全体の人口よりもはるかに多い。

 国家統計局は、4月の若年層(16歳~24歳)の失業率は15.8%と発表した。だが、先日東京でお会いした中国の高名な経済学者は、「まともに就職できている若者が15.8%ではないか」と苦笑していた。

●上岸(シャンアン)……今世紀初め、中国が燦々(さんさん)たる経済成長を遂げていたころ、「下海(シアハイ)」という言葉が流行した。それまでエリート層の象徴だった国家公務員が、続々と職を捨て、民営企業や外資系企業に転職したり、自ら起業していた。この現象を「下海」(海に飛び込む)と呼んだのだ。

 いまや、その真逆である。「とにかく安定した公務員になりたい」―これが若者たちの最大の夢だ。そこで、晴れて公務員になることを「上岸」(岸に上がる)と俗語で呼んでいる。

 24年12月1日に実施された「国考」(グオカオ=国家公務員試験)には、わずか4万人弱の募集枠に対し、過去最多の325万8,274人が受験した。たとえば、北京の「中華職業教育社連絡部一級主任課員及び主任以下」というありふれた職種のたった1名の募集に応募したのは1万5,678人だった。

●假装上班(ジアジュアンシャンバン)……いくら失業中でも、若者にもプライドはある。というわけで、失業中の若者たちを顧客にした奇妙なビジネスが流行している。それは、「ニセオフィス」での撮影だ。

 テレビや映画のスタジオさながらに、机やパソコン、書類などが雑然と並んだ「ニセオフィス」。そこには「ニセ上司」「ニセ同僚」らもいて、仕事中の風景や、会議中の様子などを撮影してくれる。若者たちは、そうした映像や写真を親や知人・友人に送り、「自分はきちんと仕事している」と見栄を張るのだ。

米中関税戦争の激化と反転の兆し

『現代ビジネス』 編集次長兼中国問題コラムニスト 近藤大介 氏
『現代ビジネス』
編集次長兼中国問題コラムニスト
近藤大介 氏

    このような状況下で、太平洋の向こう側から降ってきたのが、「トランプ関税」だった。米トランプ政権は、発足してわずか2週間後の2月4日に、中国からの全輸入品に10%の追加関税をかけて、貿易戦争の「宣戦布告」。中国もエネルギーへの追加関税で報復した。1カ月後の3月4日、アメリカは追加関税を20%に引き上げた。中国は「本丸」ともいえるアメリカ産の農産物への追加関税で対抗した。

 4月2日、トランプ大統領は約60カ国・地域を対象とした相互関税を発表したが、9日に「90日間停止」。抵抗を見せる中国に対してだけ、84%の相互関税を課した。中国も同じ84%で対抗した。4月10日、トランプ政権は中国への追加関税を145%に引き上げ、12日に中国も125%に引き上げた。こうして米中は、前例のない貿易戦争に突入した。

 だが、それから約1カ月後の5月10日、11日、スコット・ベッセント財務長官率いるアメリカ代表団と、何立峰副首相率いる中国代表団が、スイスのジュネーブで協議。これまで互いに課していた追加関税を115%引き下げた。これによってアメリカから中国への追加関税は145%から30%に、中国によるアメリカへの一律の追加関税は125%から10%になった。両国は今後、引き続き協議を進めていくとした。

 両国が発表した共同声明を見ると、それまで中国が主張していた内容とほぼ変わらない。ということは、アメリカ側が大きく妥協したことになる。

 そもそも、1期目のトランプ政権のときの米中貿易戦争(18年3月~20年1月)では、ほとんどワシントンで米中交渉を行っていた。一般に外交交渉というのは、「相対的に必要な側が必要でない側に出向く」のが原則であり、それは現在進行中の日米貿易交渉を見ても明らかだ。加えて、ベッセント財務長官は現在、約60カ国・地域と交渉中であり、「世界一多忙な大臣」と揶揄(やゆ)されているのだ。

 それが今回の交渉場所は、ワシントンではなくジュネーブとなった。ここからは推測だが、アメリカ側から交渉をもちかけ、中国側は「それなら北京にきてほしい」と要求。さすがに北京はバツが悪いということで、WTO(世界貿易機関)の本部があるジュネーブとしたのではないか。

 ともあれ、トランプ政権には大きな「誤算」があったことはたしかだ。それは整理すると、次の4点である。

誤算1 始まったのはアメリカの「自壊」

 中国語では、「敵を1,000人殺せば、自分も800人損する」(殺敵一千、自損八百)という言い方がある。相手に刀を振り上げれば、必ず返り血を浴びるということだ。

 実際、「トランプ関税」が始まるや、アメリカ経済は周知のように「自壊」を始めた。株・通貨・債券がトリプル安となり、インフレ懸念が高まり、全米50州のすべてでデモが起こった。民主党支持層が多い港湾地域ばかりか、共和党支持層が多い中西部でも、農民や労働者らが反対に回った。さらに、これまで中国に頼ってきた戦略的物資のレアアースも不足が顕著になった。

 そもそも両大国の「我慢比べ」は、強権国家の中国の方が国民の不満を押さえつけられるので、短期的には有利である。

誤算2 中国の激しい抵抗

 前述の1期目のトランプ政権のときの米中貿易戦争は、18年の「前半戦」と19年の「後半戦」に分けられるが、いずれも中国側が大きく妥協して終結した。相撲にたとえるなら、「横綱対大関」であり、何度もガチンコの取り組みを繰り返せば、横綱が勝つに決まっているのだ。それはトランプ大統領にとって、成功体験となった。

 そこで今回、中国は戦術を変えた。「多国間の自由貿易やダブルウインの経済関係を続けよう」と各国に呼びかけ、「中国+国際社会vsアメリカ」の構図にもっていこうとしたのだ。この戦術は必ずしも、中国が思い描いていたようには広がらなかったが、それでもトランプ政権1期目の米中貿易戦争よりは、国際社会を味方につけることに成功した。

誤算3 中国で加速する「脱アメリカ」の動き

 18年にトランプ政権が、中国への半導体輸出に制限をかけたとき、それまでアメリカに頼ってきた中国は、一時的にパニックに陥った。ところがその後、国家を挙げて半導体の開発に必死になった。その結果、最先端とまではいかないまでも、スマートフォンに搭載できるレベルの半導体を開発できるまでになった。今回も、ボーイング社からの民間航空機の納入を拒否して、自国産に切り替えるなどの動きが出ている。

 大豆やトウモロコシ、肉類などの農産品はさらに顕著で、南米産などに切り替えようとしている。5月13日には北京に中南米33カ国の首脳・閣僚らを集めて、「中国・中南米カリブ海諸国共同体(CELAC)フォーラム閣僚級会合」を開催。習近平主席はブラジルのルーラ大統領らを前に、「中国ラテンアメリカ運命共同体」を唱えた。

 逆にアメリカは、これまで中国に頼ってきた日用雑貨や衣類など、急には代替品が利かず、早くも品薄になってきた。

誤算4 トランプ関税で習政権の求心力が強化

 今回の「トランプ関税」は、習近平政権の弱体化を図るという目的が、トランプ政権内の対中強硬派の面々―J・D・ヴァンス副大統領やマイク・ルビオ国務長官、エルブリッジ・コルビー国防次官らにはあった。

 ところが、昨年まではたしかに、中国経済の悪化により習近平政権は国民の間で「悪者」だった。それが「トランプ関税」によって、「悪のトランプ政権と戦う正義の味方」に変わってしまったのだ。それは、習近平主席が「関聖帝君」(中国人が崇める関羽の尊称)と呼ばれ始めたことからも明らかだ。逆にトランプ大統領には、「関聖帝君」をもじって「関税帝君」というニックネームが、すっかり定着した。

 換言すれば、習近平政権は自国の経済悪化を、「トランプ関税」のせいに巧みに押しつけているのだ。

日本の最後の砦 自動車関連関税

 ともあれ、「トランプ関税」で苦しめられているのは、日本も同様である。石破政権を取材すると、「最後はアメリカの要求を多く呑まねばならなくなるため、交渉を引き延ばして、最終的な決着を(7月20日に予定される)参院選の後にしたい」という意向があるようだ。

 日本とすれば、現在25%の新規関税がかけられている自動車や自動車部品についてアメリカから譲歩が得られなければ、「敗北」である。なぜなら自動車産業は、日本の産業界にとって「最後の砦」だからだ。

 少なからぬ日本企業は、これまで「選択と集中」を行ってきた。端的にいえば、経済が悪化して政治リスクも大きい中国から身を引いて、同盟国のアメリカに集中するということだ。

 だが「トランプ関税」時代においては、「選択と分散」が大事になってくるだろう。「1つの籠(かご)に卵をまとめて入れない」ということだ。その意味では、中国ビジネスが再度脚光を浴びることがあるかもしれない。もちろん、中国経済自身のV字回復が前提だが・・・。


<プロフィール>
近藤大介
(こんどう・だいすけ)
1965年生まれ、埼玉県出身。浦和高校、東京大学卒。国際情報学修士。講談社入社後、中国や朝鮮半島などの東アジア取材をライフワークとする。北京大学留学、講談社北京現地代表などを経て、『現代ビジネス』編集次長兼中国問題コラムニスト。連載中の毎週1万字の中国レポート「北京のランダム・ウォーカー」は790回を数え、日本で最も読まれる中国コラムの1つ。2008年より明治大学国際日本学部講師(東アジア国際関係論)を兼任。著書は『尖閣有事』(中央公論新社)、『進撃の「ガチ中華」』など36冊に上る。19年『ファーウェイと米中5G戦争』で岡倉天心記念賞最優秀賞を受賞、NHKスペシャルの原作にもなる。

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