国際未来科学研究所
代表 浜田和幸
中国国内で強まる歴史カードの活用
最近、垂秀夫前駐中国大使の発言が注目を集めています。石破茂首相も次期総裁の座を狙う高市早苗衆議院議員も日本の経済や安全保障にとって中国の占める比率の大きさに鑑み、対中外交の現場で長年、奮闘してきた垂氏の発言には一目置いているようです。
垂氏曰く「習近平国家主席は盧溝橋事件記念日の7月7日、ブラジルでのBRICSサミットに参加せず、山西省を訪問し、日中戦争時の『百団大戦』の記念地にて献花し、国民に団結を呼びかけました。抗日戦争勝利を共産党の正当性の拠り所にするという意思表示と思われます」。
さらに、「今夏、中国では対日戦争に関する映画が3本、公開されます。旧日本軍の731部隊を扱った『731』。南京大虐殺の証拠写真をテーマにした『南京写真館』。そして、日中戦争当時、東シナ海に面した東極島の沖合で日本軍の輸送船がアメリカの潜水艦に撃沈された際、乗っていた多数のイギリス人捕虜を同島の中国人漁民が救出したエピソードを扱った『東極島』で、反日映画のオンパレードです」。
そうした中国国内の動きを紹介しながら、垂氏は国家基本問題研究所理事長の櫻井よしこ氏らと連携し、「対中警戒論」に力を入れています。日本ではトランプ政権からの圧力もあり、中国を最大の脅威と見なす論調が幅を広げていることは間違いありません。
しかも、8月31日と9月1日、中国が主導してきた「上海協力機構サミット」が天津で開催され、中国、ロシア、中央アジア4カ国、インド、パキスタン、イラン、ベラルーシの10カ国の首脳が集結します。そして、サミット終了後、大半の参加者は9月3日に北京の天安門広場で開催される大規模な軍事パレードに招待され、参加する模様です。
ロシアのプーチン大統領はすでに天津に乗り込み、習近平国家主席からも手厚い歓迎を受けています。アメリカのトランプ大統領や韓国の李在明大統領も招待されたようですが、参加は差し控えている模様。北朝鮮の金正恩総書記も招待を受け、天安門のひな壇には習近平国家主席の両脇をプーチン大統領と金正恩総書記が固めるという前代未聞の光景が演出される予定です。
見方によっては、抗日戦勝利80周年を記念する9月3日の軍事パレードを軸に、中国政府は着々と「日本包囲網」を構築しているようにも受け止められます。日本からは鳩山由紀夫元総理をはじめ10名ほどの日中友好諸団体の代表が出席する意向を表明しており、どのような処遇や発言があるのか気になるところです。
国内の警戒と政界の対中政策の不在
とはいえ、中国による「対日戦争勝利80周年」ということであり、外務省は訪中する日本人に警戒を呼び掛けています。また、日本国内では保守系や右翼団体による反中デモが想定されるため、警視庁や公安も中国大使館や各地の領事館など中国関連施設への警備を強化するため、地方の警察からも臨時の警備要員を東京に呼び寄せている模様です。
残念ながら、こと対中政策に関していえば、石破首相も高市議員も確たる政策ビジョンを有していません。時々の国内の反中、親中勢力のバランスを見ながら、発言内容を調整しているだけです。9月3日の軍事パレードについても、明確に問題提起をするような政治家はいません。若手のリーダーとして期待を集めている小林鷹之衆議院議員もアメリカ寄りの「対中脅威論」を振りかざすばかりで、独自の対中政策を明らかにしていません。
結果的に、首相官邸にせよ外務省、防衛省、国家安全保障局にせよ、中国政府が今回の軍事パレードにかける国家戦略上の狙いを十分に把握できていないので、「静観するしかない」といった状況です。外務省は欧州やアジア諸国に北京での軍事パレードへの参加を自粛するように要請は行っていますが、「いうだけ番長」状態です。
要は、「中国脅威論」を振りかざすアメリカの意向を忖度し、防衛予算を倍増し、アメリカ製の軍事物資を買い入れるという主体性の欠如した対中政策に甘んじているわけです。
たとえば、日中間の関係改善の足かせの1つになっている「遺棄化学兵器の処理」問題にしても、日本政府は先延ばしを続けるばかりです。そのため、中国政府からは「戦争責任の放棄」と批判を受け、対中経済支援増額の口実を与えたままに過ぎません。
一事が万事。福島原発事故による海洋汚染を理由に東京や東北地方の海産物の輸入禁止も解除されないままです。日中双方の専門家が共同で海洋汚染調査を実施し、「問題なし。安全だ」とお墨付きを得ていながら、輸入再開を拒む中国政府との交渉ができないままの日本。中国は軍事力を誇示するだけではなく、そうした日本政府の長期戦略の欠如や水面下でのディールのなさを巧妙に突いてきていると言わざるを得ません。
情報ルート欠如と「日米鉄鋼同盟」構想
日本政府は国民向けにアメリカ政府が押し付けている「中国脅威論」の是非について客観的な分析を提示する動きを見せていません。垂前駐中国大使のいうように、「日本政府は中国内部に情報ルートをもっていない」ため、中国政府の真意を読み解けないわけです。実は、横井裕元駐中国大使も同様な見方を明らかにしています。
石破首相は関税交渉担当の赤沢経済再生大臣をたびたびワシントンに派遣。表向きは関税率の引き下げが目的とされていましたが、水面下の狙いは対中政策のすり合わせでした。USスチールの買収に成功した日本製鉄の技術力をフル活用し、中国がつくれない製品の比率を増やすことを提案。日本製鉄は過去6年間で国内向けに2兆円の投資を重ねてきました。
これは中国が狙う海外の重要市場を中国から守ることを意図したものです。いわば、「日米鉄鋼同盟」に他なりません。日本企業の対米投資額を増やすことで、トランプ大統領の歓心を得ようとする石破首相の思惑が見え隠れするばかりです。
(つづく)
浜田和幸(はまだ・かずゆき)
国際未来科学研究所主宰。国際政治経済学者。東京外国語大学中国科卒。米ジョージ・ワシントン大学政治学博士。新日本製鐵、米戦略国際問題研究所、米議会調査局などを経て現職。2010年7月、参議院議員選挙・鳥取選挙区で初当選をはたした。11年6月自民党を離党、無所属で総務大臣政務官に就任し震災復興に尽力。外務大臣政務官、東日本大震災復興対策本部員も務めた。著作に『イーロン・マスク 次の標的』(祥伝社)、『封印されたノストラダムス』(ビジネス社)など。