9日、参政党より衆議院福岡2区の候補予定者として、木下敏之元佐賀市長が立候補することを表明した。今夏の参院選で「日本人ファースト」を掲げて躍進した同党から、元官僚で改革派市長として知られた木下氏が立候補するに至った思想の変遷はどこにあるのか。
参政党・神谷氏への接近
木下氏の参政党からの立候補について、8日、同党が国会内で行う定例記者会見前に知人数人からメールや電話があった。木下氏自身が各方面に宣伝しているようだった。
ある人からは「2区はまた荒れますね 鬼木さんさらにやばし(原文ママ)」とも返信があった。選挙が盛り上がることは歓迎だが、気になったのは、木下氏はいつごろから参政党と接点があったのかという点だった。
筆者は参政党が2020年に結党され、福岡支部が発足した直後から知人の紹介で勉強会やセミナーに参加してきた。当時は緊急事態宣言が発令され、外出制限の要請など社会の激変期だった。参加者もコロナワクチンの薬害や国の感染対策に対して疑問をもち、食の健康などに関心の強い人たちの集まりとの印象が強かった。
参政党代表の神谷宗幣氏は元大阪府吹田市議で、若手保守系地方議員のグループ「龍馬プロジェクト」を主宰していた。福岡でも九州ブロックの研修会が行われたことがあるが、私も17年2月の研修会に参加したことがある。地方議員以外も参加できるオープンな場で、杉田水脈氏(元衆議院議員)も参加していた。龍馬プロジェクトも参政党も、保守派でありつつ、対米自立・グローバリズムの問題を指摘しており、その活動に注目していた。
少なくともこの時期(17年から24年)に木下氏の姿を見かけたことはなかった。そこで龍馬プロジェクトから参政党に至る時期から現在まで、どの時点での接点だろうかと調べてみると、確認できたのは今年8月7日の福岡での参政党のタウンミーティングであった。神谷氏のSNSにも投稿があった。
木下氏も神谷氏の投稿に「私のご紹介ありがとうございました。感謝いたします」とコメントしていた。本格的な接触はそこからのようで、5日、佐賀市で開かれた参政党の国政報告会には木下氏がゲストとして出演していた。
私と木下氏の関わりは10年以上前にさかのぼる。ふくおか緑の党の勉強会に、木下氏が講師として招かれたのが最初だったと記憶している。当時は、参政党の掲げる保守的思想を前面に出していなかったと記憶する。江田憲司氏や元文部官僚の寺脇研氏らとの共著『脱藩官僚、霞ヶ関に宣戦布告!』(朝日新聞出版)にも執筆しており、改革派元官僚という認識であった。
参政党への迎合では?
人の考えや思想は時代の移り変わりとともに変化していくとは思いながらも、腑に落ちない点が残った。そもそも木下氏は福岡市長を目指していたはずではなかったか。定期的に開催されている交流会で、木下氏はたびたび講師として講話を行っていた。講話において自著の『データが示す福岡市の不都合な真実』で言及した人口問題などを問題提起していた。10年の福岡市長選に立候補した経緯もあり、来年12月に任期満了を迎える次期福岡市長選に出るものとみられていた。
当然、今回の立候補にあたり「なぜ衆議院なのか」「なぜ参政党からなのか」という疑問が、記者ならずとも湧く。
9日の福岡県政記者クラブでの立候補表明の会見において、ある民放記者から「いつごろ最終的に出馬を決めたのか」との問いが投げかけられた。
木下氏は「自分で参政党の門を叩いたのはちょうど一カ月前です」と述べ、「女性の貧血と生理痛をゼロにするという研究をしており、その件で参政党の今村さん(同党九州ブロック長)とお会いした際になかなか候補者が決まっていないと聞き、そうすると(党の)勢いが落ちるよなと思った」「神谷さんと初めてお会いしたのは8月7日で、神谷さんの歴史観を聴いて、そこに集まっているのが自分より若い女性で、安全地帯で政策だけ言っていたらダメなんじゃないかと思った」と動機を語っていた。
木下氏の話を聞くと、どこまで参政党の党是や思想を理解しての入党・立候補なのかと感じた。これまで木下氏の講演で、参政党が掲げる政治的主張に類する話を聞いたことがなかった。同党への迎合と感じた人は、筆者だけではない。
地元民放局報道幹部のKから「木下さん、節操がないですね。自分が自分がという意識が強すぎるのではないでしょうか。県都の市長になったものの、若くして退任したので、成仏できていないなあ…と思っています」とメッセージが送られてきた。
後編では、具体的に木下氏がこれまで主張した政策などを基に考察したい。
【近藤将勝】