熱くなれ、教育変革(前編)~教育でまちは動かせるか~(後)

 子どもの年収を上げる教育法は何だろうか。多くの人は偏差値の高い大学に行くことを考えるかもしれないが、どうもそればかりではないようだ。経済学の研究では、「偏差値の高い高校とか大学に行くということが、必ずしもその後の年収を高める因果効果があるとはいえない」という結果の研究が多い。実はそれよりも、もっと若い段階でさまざまな経験を、思考を働かせることをしている子が、より効果的に社会での評価を得ているのではないかと。図らずともそんな子は、結果的に勉強というステージでも高い点数を叩き出している。なぜなら彼らは、知らず知らずのうちに学び方を会得しているからだ。

進路は多様でいい

 教育業界では常識らしいが、現在の大学の定員は、団塊ジュニアを過剰に浪人させないため、一時的に定数を水増しして入学させた慣習が、そのまま残ってしまったものだという。本当は、「その波が過ぎたら戻しましょうね」という約束だったにもかかわらず、水増ししたまま現在に至っている。つまり、専門教育を受けるなり、職人や技術者としてキャリアをスタートしたほうがよかったかもしれない人が、大学生になってしまっているのだ(参考文献:『学校がウソくさい』_藤原和博)。

「学校がウソくさい」 藤原和博
「学校がウソくさい」 藤原和博

    進路は多様でいい。たとえば、今人気の工業高校(高卒の求人倍率も高くなっているし、賃金も上がってきている)を卒業して就職し、3年働いた後に大学に入るなど。一番いけないのは、何がやりたいかわからないから、とりあえず大学に行くという選択。大学に行く目的がなければ、行くべきではないかもしれない。自分にはこれが足りない、もっとこれを勉強したい、キャリアアップのために資格を取りたい、といった目的ができてから大学へ行っても遅くはない。一度社会に出て感じた問題意識を携えて学校に入ると、学びに対するモチベーションは高く、その後の勉強の吸収度はまったく違ったものになるだろう。18歳のときに名門校の椅子に座れなければ、後の人生終わり…のような短絡性ではなく、複線化していく教育の在り方も模索する必要がある。

 よく日本は学歴社会だと言われるが、世界はもっと学歴社会だ。アメリカは大学名で判断されることはないものの、どの学位をもっているかで年収が大きく変わってくる。中国では学歴社会が強すぎる影響で、政府によって営利目的の予備校が禁止されてしまった。これは、「良い大学に入らないと、良い会社に入れない」という考えがあまりにも過熱化し、病んでしまう学生が急増してしまったからだ。これに比べたら、日本の学歴志向は中程度のもの。これを追いかけて、さらなる学歴社会を目指そうとしている日本には、逆張りに向かう手もある。

 実は日本は、実力社会。結果を出す人にはかなり優しくできている。「日本版グランゼコール」と「日本版実力主義」の両輪でもいいじゃないか。それぞれは役割が違う。それぞれ支える場所は補完関係にあり、棲み分け可能だろう。

高校の授業料無償化

授業料無償化が子どもに悪影響を与えてはいけない 筆者イメージ
授業料無償化が子どもに
悪影響を与えてはいけない
筆者イメージ

    26年度から本格化する高校の授業料無償化。これで国公立・私立を問わず、世帯年収に関わらず、授業料実質無償化に向かうが、この政策が安かろう悪かろうになってしまわないかという不安が懸念されている。

 高校の授業料無償化の目的の1つは、子どもを持つ親の教育費負担を減らすこと。しかし、本当にこれをすることで、親の教育費負担が減るのだろうか(高校の学校教育費は、授業料以外にも、「入学金」「学校納付金」「図書・学用品・実習材料費など」「修学旅行積立費」「通学関係費」「補助学習費」などさまざまある。「授業料」だけが子どもの学習費すべてではないことも忘れてはならない)。

 比較的所得の高い世帯に対して授業料の減免が行われるということは、ひょっとするとそういう世帯は、教育費の無償化で浮いたお金を、塾代やほかの習いごとに回す可能性もある。結果、家計の負担が減らないということが起こるのではないか。仮にそのような世帯が、より多くの塾への投資などに使った場合、その他の世帯にまでその影響が波及すると、今以上に教育費を増やさなくては…というプレッシャーに晒される可能性もある。なぜなら、人は隣の人のステータスが気になり、隣の子が塾に行かせているんだったらうちの子も、向こうの子が私立に行かせているならうちの子も…といった潜在的な焦り、過剰な対抗意識をもってしまうものだからだ。

 他方で、無償化による生徒の能力を高める効果は、あまり期待できないのではないかといった懐疑的な意見も多い。子育て世代を取り込みたいという、選挙目的になっていないかといった指摘も。ある政党が、現役世代の手取りを増やすといって票を獲得し、そこに票田があることが露呈された。教育無償化は、子どものいる世帯を取り込みたいという選挙目的のための“馬ニンジン”になることは避けなければならない。海外では「教育の無償化」をしたことで、子どもの能力を下げてしまったという研究がある。税金を使った結果、“教育の無償化は失敗でした”では済まされない。「子どもに悪影響を与えてしまいました」なんてことは、絶対にあってはならない。

<課題①>
 教育投資は親への再分配という面もあるが、本来は子ども自身への投資が最重要。教育無償化にすることで、子どもにどういう影響を与えるのか(学力、将来の学歴、賃金、幸せ…)を考えないといけないが、その視点が抜けてはいないか。

<課題②>
 公立学校に対して、質が低いと感じている。教育無償化になると親はそのお金をどのように使うかといったら、多分ほとんどを塾への費用に充てるのではないか。そうすると、家計の負担は結果的に減らないのではないか。より偏差値競争が激化するだけなのではないか。

参入難しい「学校業界」

新規参入が難しい「学校業界」 unsplash
新規参入が難しい「学校業界」 unsplash

    「一条校」という言葉がある。「学校教育法第1条」に定められている学校の総称で、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、高等専門学校などが該当。公立・私立を問わず、国の教育基準に基づく教育を行う機関のことだ。一条校は、国の手厚い保護があるので、たとえ経営がうまくいっていなくても簡単には潰れない。

 大学では比較的新規参入は行われていく傾向にあるが、高校はいくつかの都道府県では、条例で新規の学校設置を認めない自治体もある。教育の現場では新規参入を絞りながら、同時に撤退するときの道筋がちゃんと示されていない。つまり、教育の世界では新陳代謝が行われず、競争原理が働いていないということだ。

 行政が既存の企業や産業を守るために規制をつくって新規参入を止め、一条校のような既存の学校の既得権を守るなんてことは、やってはいけない。今の教育現場を変えるには、新しい学校をつくるのではなく、今ある学校を復活させるか再生するかしか方法がないような状況だ。少子化で子どもの数が減ってくるので、公立学校でも必然的に定員割れしてくる。学校の数が余ってくれば、再編する必要も出てくるだろう。その再編の際に、学校の質を高めていくという作戦を滑り込ませていくしかない。子どもの数が減っている自治体では、小学校・中学校も早くまとめて統合したほうが良いところも多い。質の良い環境、先生を集約させることで、そこに人が集まってくる。そうすれば、もう一度街を盛り返す起点にできるかもしれない。

なぜ勉強するのか?

なぜ勉強するのか? PAKUTASO
なぜ勉強するのか? PAKUTASO

    学力に必要なのは、何より基礎知識だろう。基礎知識がないと視点が低いままになって、目の前に何か障害物があっても、向こうまで見通せない。知識を積み上げて(学力を上げて)視野を広くすることは、人生における選択の幅を広くする。だから、まだどっちの方向に自分の人生を振るか、どんな仕事をするか決めていないのなら、まずは学力を上げておくしかない。それが、どんな職業に就き、どんなキャリアを積み上げていくかの決定を保留にする最低限の条件になる。価値ある「何か」を探すために、10代のこの時期は、がむしゃらに勉強に向かっておいて損はないだろう。

 実は学校というのは、児童生徒を“わかったつもり”にさせるところまでの教育方針らしい。決して「わかる」まで学校や先生が責任を負う場所ではないのだ、と藤原和博氏はいう。教室で一度説明されただけで、一定の知識が身に付くと思ったら大間違い。それができれば天才だろう。普通は予習してきたり、塾ですでにやったことであったり、復習して練習問題を解いたりして、ようやく「わかる」状態になる。多くの人は、学校とは「知識を得るために通う場所」「わかるようになるために通っている場所」と考えているはずだ。そして学校の先生は、児童生徒が「わかる」ための仕事をしているのだと。

 残念ながら、それは違うようだ。学校は言わば「学び方」を学ぶ場所であって、それを身に付け、後は自分で自主練をしていくところ。それが学力を上げる手法であり、学力が上がらない子は、その自主練が足りないということになる。

学び方を学ぶ

 「なぜなぜ期」といわれる3~6歳のころに「知ることは楽しい」と実感できると、自分から意欲的に学ぶようになると言われている。自然体験、生活体験、お手伝いなどの体験が多いほうが、自己肯定感や道徳観・正義感が高くなり、大人になってからの人間関係能力、職業意識、意欲なども高いという調査結果もある。また、自分の疑問を親が受け止めてくれたという経験は、自己肯定感を高めるきっかけにもなるようだ。

 4~6歳の子ども達を対象にした研究では、音楽の教育と、記憶力や言葉を聞き取る力に関係があるとされているものがあるようだ。親が好きであれば、音楽家にさせたいわけではなくても、部屋に音楽を流しておいてもよいだろう。読み聞かせが記憶の訓練に。「同じ本を繰り返し読む」ことが、語彙力を増やすことにもつながる。そこに何が書かれているか、その意味を深く考えるようになるのだ。家庭でできる学びの自主練は多い。学校でしかできない学びもあるだろう。でも、学校でもできない学びもあることを知り、“学校がどういう場所なのか”、学校でやるべきことは何なのか、我々保護者は改めて再確認しなければならない。

学び方を学ぶ 筆者イメージ画
学び方を学ぶ 筆者イメージ画

    学ぶ手段は、これまで以上に自由で多様になった。学校に通うだけではなく、オンライン学習や生成AIを使った自己学習、研究コミュニティへの早期参加など、選択肢は多様に広がった。それでも1日は24時間しかない。そのなかで学ぶ時間をどうやってつくるかは、親の手腕だと思う。

 子どもが勉強したいと思っても、親がテレビを見ていたりして落ち着かないということはあるだろう。勉強時間は、家族の協力でつくらなければならない。また、“勉強しなさい”は禁句だ。子どもは天性の天邪鬼。親がやりなさいと言ったことはやらないし、やらなくてもいいと思っていたことはやろうとする。親が無理に子どもを塾や習いことに送り出すより、「なぜ学ぶのか」「どんな分野に興味があるのか」を一緒に捉え、価値ある「何か」を一緒に探してあげること。それが“学び方を学ぶ”ときに何よりの拠り所になる。

(つづく)


松岡 秀樹 氏<プロフィール>
松岡秀樹
(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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