日本発ディープテックで世界に挑む バイオAIが切り拓くがん早期発見の最前線
Craif(株)
代表取締役(CEO) 小野瀨隆一 氏
Craif(クライフ)(株)が提供する 「マイシグナル(miSignal)」 は、マイクロRNAをAI解析することによってがんリスクを検出する。その革新性は極めて高い発見率にある。これまで早期発見が難しいとされてきたすい臓がんの早期(ステージI/IIA)の検出感度は、従来の腫瘍マーカー(CA19-9)が37.5%に対して、マイクロRNA検査では92.9%だ(※)。「日本からもう一度、世界に貢献するディープテックを生み出したい」という思いで同社を創業した小野瀨隆一氏に、アメリカのスタートアップ事業まで含めた話を聞いた。
(聞き手:(株)データ・マックス 代表取締役社長 緒方克美)
※eClinicalMedicine 2024: 78: 102936.
日本発ディープテック
マイクロRNAでがん早期発見
代表取締役(CEO) 小野瀨隆一 氏
──Craifを立ち上げるに至った経緯について聞かせてください。
小野瀨隆一氏(以下、小野瀨) もともと私は、科学的な発見や革新的な技術によるディープテックで人類の課題を解決したいという思いをもっていました。2000~05年にかけてアメリカに住んでいたころは、まさに「メイドインジャパン」の全盛期で、日本が技術の国として世界からリスペクトされているのを子どもながらに感じ、非常に誇らしかったのです。しかし、社会に出てみると、現代の技術革新は米中間の競争が中心で、日本は蚊帳の外に置かれている。「日本から革新を起こす」という感覚が日本社会からまるで失われていることに、悲しさを感じていました。
日本はやはりエネルギー資源の乏しい国ですから、もう一度ディープテックで世界のイノベーションに貢献すべきだという強い思いを抱きながら、私が起業の準備を始めていた矢先、祖母がステージ4の大腸がんと診断され、1カ月も経たずに亡くなってしまいました。さらにその3カ月後には、祖父がステージ2の肺がんの診断を受けました。これが立て続けに起きたことで、私にとって「がん」という課題が、急に「自分ごと」になりました。
何とかできないかと動き出したところ、初期投資家となった「ANRI」というベンチャーキャピタルに出会いました。私ががんに関連する別の事業アイデアを持ち込んだところ、「がんを扱いたいなら、こういう技術をもっている先生がいる。一緒に創業してみてはどうか」と紹介されたのが、当時名古屋大学で助教を務めていた安井隆雄氏です。安井氏と出会って1カ月後、Craifを立ち上げました。18年のことです。
安井氏と出会った当初、マイシグナルにかかわる学術的な初期データの論文が掲載されたという段階でした。具体的には、5種類のがん患者と健康な人、合計18検体の尿を測定した結果、「どうやらマイクロRNAの種類に違いがありそうだ」ということがわかっていたに過ぎません。この初期的な研究データから製品「マイシグナル」を世に出すまで、4年にわたる研究開発(R&D)を要しました。
R&Dの最初のステップは、尿中のマイクロRNAを解析し、がんを早期発見できるAIアルゴリズムを構築できるかどうかを検証することでした。ここに取り組んだところ、非常に精度の高いアルゴリズムが完成しました。そこからようやく商業化のフェーズに入り、検査を行うための厚生労働省が定めるラボの許認可を取得し、チームを組織して、現在の事業に至りました。
日本で実績、アメリカで勝つ
日米を使い分ける事業戦略
──アメリカへの進出はいつから考えていましたか。
小野瀨 私がアメリカに移住し、本格的に進出したのは25年ですが、創業した時から世界で勝つことを掲げていたので、アメリカ進出の準備は常に続けていました。本当は20年4月には、ジョンソン・エンド・ジョンソンのインキュベーション施設「JLABS」に採択され、サンディエゴに移るはずでした。しかし、コロナ禍で海外企業の入居が禁止となり、計画は頓挫しました。
──アメリカ進出前にまず日本でバイオAIスタートアップとして事業を構築するにあたって難しさはありましたか。日本の投資家は保守的でリスクマネーを調達しにくいといった声も聞かれます。あるいは日本から始めたことにメリットはありましたか。
小野瀨 これはヘルスケアに限らずですが、日本とアメリカでは資金規模がまったく違います。GDPベースで見ても日本のベンチャー投資額はアメリカの50分の1程度なので、動くお金の規模が根本的に異なるというのが一番大きな違いだと感じていました。
しかし、先に日本で事業展開を始めたことにはメリットもありました。一般的に日本は保守的だといわれますが、医療的検査の市場投入に関しては実はアメリカが世界で最も保守的な国なのです。アメリカは訴訟大国なので、FDA(アメリカ食品医薬品局)の承認や、それに相当する非常に高いレベルのエビデンスがなければ、医師も革新的な検査を提供しづらい状況にあります。
その点、日本では独自の規制の枠組みに基づき、革新的な検査を迅速に市場投入できます。我々が日本で先に事業を立ち上げ、売上とエビデンス構築を両輪で回せていることは、アメリカの投資家からも高く評価されています。これは戦略的に大きな価値があったと考えています。
──日本で臨床や市販を進めながら実績をつくり、それを基にアメリカで資金調達や事業展開を目指す、という日米の使い分けは、今後の日本発ヘルスケアスタートアップにとっても有効な戦略になり得るのでしょうか?
小野瀨 日本発の企業がそうした戦略を取るのは、非常に自然なことだと思います。日本の大学発の技術であれば、まずは日本人のサンプルで研究しているわけですから、日本で事業を始めるのが自然な流れです。それが結果的に、迅速な市場投入というメリットにもつながります。我々のような研究開発型の企業にとって、日本からスタートするモデルは今後も十分あり得ると思います。
──日本とアメリカの2つの拠点をもつうえで、日米での機能分担はどのようになっているのでしょうか?
小野瀨 私は自分を「攻めのタイプの人間」だと認識しており、強みは高い推進力と突破力にあります。ですから、役員のなかで誰がアメリカに行くかという議論では、私一択でした。アメリカ進出や新規事業の立ち上げといった、馬力が必要な領域を私が担当します。その他、採用や社内カルチャーの浸透、そして資金調達も私の重要な役割です。
一方で、当社の最高技術責任者(CTO)と最高執行責任者(COO)は戦略・戦術の策定からオペレーションへの落とし込みに非常に長けています。彼らがR&Dを含めた日本事業の舵取りを担ってくれています。また、R&Dについては、これまでは日本が中心でしたが、今後はアメリカ市場向けのR&D機能も現地に設置します。私と一緒にR&Dのエースクラスのメンバーが1人来ており、彼がアメリカでの開発をリードしています。
エコシステムと熾烈な競争
最前線で見える技術の現在地
──実際にアメリカでの事業を実行に移してみてどうでしたか。
小野瀨 アメリカで事業を始めて第一に感じることは、事業を取り巻くエコシステムの成熟です。人材は豊富ですし、そうした人材が常に流動している点は日本とまったく違います。また、スタートアップ自体が一大産業なので、企業のフェーズに応じたサービスが充実しており、再発明が不要な環境が整っている。起業しやすい環境であることは改めて実感しました。
同時に、それだけ多くのスタートアップと資本が投入されるということは、競争の激しさを意味します。競合は無数にいますし、日常的に会社が潰れたり、買収されたり、IPOしたりしている。この競争の激しさは、日本とはまったく違う次元だと感じています。
しかし何よりも、アメリカで事業を行えば、最先端の技術が実装されている場所に身を置くことができます。日本ではまだまったく話題になっていない最先端の情報や、ニュースで見聞きしただけでは実感の湧かないものが、ここではリアルタイムにどう動いているかがよくわかります。日本に情報が届くころには、アメリカで一通り成功した後の話になっていることが多く、プロダクトによっては数年のギャップが存在する。この最前線の空気を常に感じられることは非常に大きいですね。
──Craifの事業領域においても、グローバルでの競合は存在するのでしょうか。また、そのなかで勝ち筋をどう見ますか。
小野瀨 我々とまったく同じ技術をもつ会社はありませんが、「がんの早期発見」という観点では無数に競合が存在します。アメリカの主要なトレンドは、血液でDNAを見るというアプローチですが、早期発見の精度に課題を抱えているうえに、コストも我々の倍以上と非常に高い。我々の技術には明確な優位性があると考えており、その確信をもってアメリカに進出しています。
正直なところ、競合の数はあまり気にしていません。我々がやるべきことをやり切ることが重要です。ただし、たとえば採用市場での競争は熾烈です。我々が競合から人材を引き抜こうとすると、向こうは給料を大幅に上乗せするようなことを平気でやってきます。そういったダイナミズムは、日本にはないものだと感じますね。
格差が生むダイナミズム
日米の決定的違い
──日米のスタートアップエコシステムの違いは、根本的にどこから生まれるのでしょうか。
小野瀨 個人の能力差というよりは、やはり「エコシステム」という言葉に収束します。投下される資本がケタ違いに大きく、そこに才能が集まる構造になっています。日本では今でも大企業に就職することがエリートコースと見なされていますが、アメリカでは起業が選択肢の1つであり、起業を見据えて大企業に入社する人も多い。産業としての位置付けがまったく違うのです。
その結果、人材が集まり、多くの企業が生まれ、投資が行われる。そこから得られる学びやシナジーが質的に加速していきます。たとえば、アメリカの投資家は我々に会う時点で、すでに20〜30社のがん早期発見の会社を検討済みだったりするので、事業解像度が非常に高い。いきなり話の核心に入れます。しかし日本の投資家の場合、まず「がんの早期発見とはどんな市場なのか」というところから理解を始めなければなりません。規模の違いが、こうした質の差を生んでいます。
──アメリカの労働文化は非常に熾烈で、労働時間も日本より長いといわれます。とくにスタートアップ界隈ではそれが顕著です。日本がそうなりきれない原因は何だと思いますか?
小野瀨 アメリカの原動力は、すべて「実力主義」にあると思っています。すべてのアメリカ人が猛烈に働いているわけではまったくありません。能力もモチベーションもトップクラスの人たちが、それに見合うインセンティブ(株式報酬など)のために死ぬほど働いている、というのが正確な表現でしょう。一方で、そうでない人たちも大勢いる。その差は大きな格差を生みます。光と影が非常に強い社会です。
対して日本は、頑張っても頑張らなくても給料に大きな差がつかず、株式報酬も少ない。「差がつかない」社会構造になっています。それが良い方向に働くこともあるかもしれませんが、テクノロジーのブレークスルーは、才能とモチベーションに溢れた人々が集中して取り組むことで生まれるものですから、日本ではそれが起きづらい。
日本で最近進められた「働き方改革」は、アメリカのオンとオフが激しい文化の「緩いところだけ」を切り取って当てはめた結果、生産性を下げるという一番ダメなかたちになってしまったと感じています。やるべき時はやらなければいけないのに、その機会を国が奪ってしまった。資本主義を徹底的にやり切っているアメリカと、良くも悪も差がつかない日本。この根本的な構造の違いが、イノベーションのダイナミズムに直結しているのだと思います。
唯一の競争相手は中国
資本効率で迫る次の覇者
──アメリカのスタートアップ界隈では、中国系の企業やスタートアップはどのように捉えられているのでしょうか?
小野瀨 アメリカ人は、中国を明確に脅威として捉えていますね。これはどんなセッションでも、誰と話していても必ず出る話題です。彼らの感覚としては、中国が「唯一の競争相手」なのだと思います。他の国の名前はほとんど出てきません。
バイオの領域は、これまでアメリカが圧倒的にリードしてきた分野のはずですが、今や中国がものすごい勢いで追い上げています。投資家と話をすると、「中国に勝てるのか?」という質問がテンプレート化しているほどです。中国企業は、はるかに高い資本効率で同じことをやり、市場を奪っていく。そうした事例が何度も起きているようです。
しかも、彼らは本当によく働きます。週6日労働がデフォルトですし、私も世界中の起業家が集まるイベントに参加した際、中国の起業家たちだけは異常でした。四六時中電話がかかってきて、死にそうになりながら仕事をしているのが印象的でしたね。アメリカ人は、中国を明確に危険な競争相手として認識しています。その他の国が話題になることはほとんどありません。
バリューチェーン再構築 AIは追い風
──Craifの今後の展開について、具体的な計画を聞かせてください。
小野瀨 まず日本では、数年以内に黒字化を計画しています。キャッシュを創出できる体制へと進化させると同時に、事業領域を広げていきたいと考えています。マイシグナルでリスクが高いと評価された方を医療機関にスムーズにつなぐ仕組みを強化するなど、予防から医療まで、バリューチェーン全体の改革を進めます。そうして、日本が「世界最先端のヘルスケアモデル」を実践している状況をつくり出し、それを世界に展開していくのが基本的な戦略です。
一方、アメリカに関しては、まずはすい臓がんの診断検査から市場に参入します。メディケアの保険償還に組み入れられ、大きな売上を確立することが目下の目標です。
──近年のAIの急速な普及は、事業ビジョンに変化をもたらしましたか?
小野瀨 ビジョンそのものは変わりませんが、「やりたいことが、より実現できるようになった」という感覚が非常に強いですね。たとえば、AIがあれば「世界最高峰の医師に、誰もが相談できる状態」をつくることが可能になります。これは、我々が目指す予防と早期発見の実現にとって、非常に大きな追い風です。
社内的にも、AI活用は最重要課題です。「世界一のオペレーション」を目標に掲げ、ラボの完全自動化はもちろん、社内のほとんどの業務をAIと連携させた自社システムで自動化することを目指しています。
競争という観点では、ピュアなソフトウェア企業はAIによって一瞬で淘汰される危機に瀕していると思いますが、我々の強みはバイオロジーという「リアル」や、病院など「ハード」の部分とつながっていることです。このつながりが、AI時代における強力な参入障壁になると考えています。ですから、AIの登場は我々にとってポジティブな要素しかなく、ソフトウェアだけをやっていたら肝を冷やしていたでしょうね。
【文・構成:寺村朋輝】
「体内を流れる手紙」を読む
マイクロRNAでがんを早期に捉える
「マイシグナル」の技術的な基盤は、マイクロRNA(miRNA)をAI解析することによってがんを早期発見することにある。マイクロRNAとは、体内で細胞間の情報伝達を担う微小なカプセル「細胞外小胞(エクソソーム)」の内部に含まれる遺伝情報物質で、このマイクロRNAを含むエクソソームを尿から回収することによって簡易的にがんの検査を行うことができる。
1983年の発見当初、エクソソームは細胞内の不要物を排出するための「ゴミ箱」のような存在だと考えられていた。しかし、2007年にその内部にマイクロRNAが内包されていることが発見されると、その役割の認識は一変した。マイクロRNAは短い一本鎖RNAだが、他の遺伝子のスイッチをオン・オフにする機能をもち、細胞の分化や増殖といった生命現象の根幹にかかわることがわかった。この発見は24年のノーベル生理学・医学賞の受賞対象となった。
このマイクロRNAを含んで体内を流れるエクソソームは、いわば「体内を流れる手紙」のようなものとして重要な働きをしている。がん細胞もこの仕組みを巧みに利用し、周囲の環境を自身に有利な状態へと変化させたり、転移を準備したりするために、特有のエクソソームを大量に放出している。正常細胞とがん細胞とでは、放出されるマイクロRNAの発現パターン(プロファイル)がまったく異なる。従って、尿や血液などの体液中に存在するエクソソームを捕捉し、そのなかに含まれるがん細胞由来のマイクロRNAプロファイルを解析すれば、体内にがんが存在するかどうかを非常に高い感度で検出できる。これが本技術の基本コンセプトだ。
ナノワイヤ技術で壁を突破
尿中エクソソームの捕捉技術
マイクロRNAによるがんの早期発見を実用化するには、尿などの体液から微量のエクソソームを捕捉する技術の確立が不可欠だ。この課題を解決したのが、酸化亜鉛(ZnO)を用いた独自の「ナノワイヤ」技術で、東京科学大学の安井隆雄教授が名古屋大学に在籍していたころ、九州大学(大野城・筑紫キャンパス)の柳田剛氏(現・東京大学教授)との共同研究で発表したものだ。
ナノワイヤ技術の特長は、効率の良い捕捉性能と、比較的簡便な製造プロセスにある。基板上に結晶成長の起点となる「シード層」を形成し、この基板を摂氏95度の特殊な水溶液に浸すことで、無数のトゲ状の酸化亜鉛結晶(ナノワイヤ)が自己組織的に成長する。この製造方法の技術的な確立がビジネス化を実現する工学的ブレークスルーとなった。
AIでプロファイル解析
従来マーカーを超える検出力
ヒトの体内には約2,000種類のマイクロRNAが存在し、その発現プロファイル(種類ごとの構成比)は細胞の種類や状態によって大きく異なる。とくに、がんの種類によって放出されるマイクロRNAプロファイルは特異的だ。
「マイシグナル」は、検出されたマイクロRNAプロファイルを、AIを用いて既知のがん種ごとのデータベースと照合することで、単に「がんリスクの有無」だけでなく、「どの臓器のがんリスクが高いか」をがん種ごとに特定できる。現在、リスク判定が可能ながんは、すい臓がん、胃がん、大腸がん、食道がん、膀胱がん、肺がん、腎臓がん、前立腺がん、乳がん、卵巣がんの10種類だ。
そしてその発見率は、たとえば、これまで早期発見が難しいとされてきたすい臓がんの早期(ステージI/IIA)の検出感度なら、従来の腫瘍マーカー (CA19-9)が37.5%に対して、マイクロRNA検査では92.9%と、圧倒的に優れた検出精度を誇る。

<PROFILE>
小野瀨隆一(おのせ・りゅういち)
1991年生まれ。東京都出身。幼少期をインドネシアとアメリカで過ごし、早稲田大学国際教養学部在籍時にカナダのマギル大学に交換留学。卒業後は三菱商事に新卒入社、4年間アメリカからシェールガスを日本に輸入するLNG船事業に従事。2016年5月にはサイドビジネスで民泊会社を創業、全国で事業を展開。その後、「人類の進歩に寄与する事業を興し続ける」事を人生のテーマに定め18年4月に三菱商事を退職、同年5月Icaria Inc.創業。がんとの戦争に終止符を打つことをミッションに、生体分子の網羅的解析でがん医療の改革を目指す。21年Forbes Asiaよりアジアを代表する「30歳未満」に選出。









