私たちの生活は、人生の相当な時間を「仕事」というアクティビティに費やしているが、この社会では「労働」という行いを、何かつまらないもの、嫌なものとして感じる現象が長らく続いているように見える。…日曜日の夕方にテレビから流れてくる「サザエさん」が終わるころ、何やら沸々と憂鬱な気持ちが湧いてくる人たちがいるというのだ。仕事が苦行ともとれるような不幸な感情が人々を苦しめる。このような状況は、なぜ起こってしまったのだろうか。
労働寿命のほうが長い
一方、かつての若者たちはどうだろう。昨今の、私たちの働き方を取り巻く状況は、有象無象に目まぐるしい。とりわけ年を取ってからも働き続ける必要があるため、「労働寿命」という観点で取り組まなくてはならない。会社の寿命が短くなった今の時代、「全国津々浦々へ枕木を敷いて線路を伸長し、国民の足となるべく大輸送インフラを整える…」のような、国の活力を揺さぶるような長期のプロジェクトは少ない。事業のライフサイクルが短くなり、働く者の労働寿命のほうが長いという逆転現象が起きている。だから我々は仕事を見つけ出し、自分のポジショニングを戦略的に考えなければならない。
日本は、少子高齢化による深刻な人手不足と、デジタル化の進展によるホワイトカラーの急激な減少、同時に人余りが起こる社会に突入すると言われている。人手不足はローカル産業で生じ、人余りはグローバル産業で起こってくる。グローバル企業のホワイトカラー、具体的にはデスクワーカーの仕事の多くは、すでに生成AIに代替され始めている。生成AIの恐るべきところは、従来のIT化のようにオフィスの効率化、コストサイドの変革を超えて、顧客に提供する付加価値サイドにおいても破壊的イノベーションを起こす可能性が高いこと。この破壊的変化に対応すると、「漫然とホワイトカラー」は淘汰されていき、新卒一括採用でホワイトカラーを目指す学生の採用も減っていくことになる。そこに残る仕事は、本当の意味でのマネジメントに限られてくるのだ。現状、いわゆる中間管理職が担っている管理業務ではなく経営的な仕事、これまでは数多くあったホワイトカラーの“部下がやるような仕事”は、生成AIに急速に置き換わっていくからだ。
明治初期、政治的には封建国家から中央集権近代国家へ、経済的には農業経済から工業化へ、社会的には兵農分離の士族身分制から家父長型家族社会へと大転換した。そして今我々は、次の大転換期のなかにいる。問いのある仕事、正解がある仕事において、圧倒的な知識量、論理力、スピードをもって昼夜働くそれらの力に、人間は勝てない。残るのは自ら経営上の問いを立て、彼らの能力を駆使して答えの選択肢を創造し、決断する仕事。つまり“ボスがやるような仕事”だけである。言わば「中間“経営”職」ということになるが、そこで必要になる人員数は、現状の中間管理職よりも、随分少なくなるのは間違いないだろう(参考文献:『ホワイトカラー消滅』_冨山和彦)。
ブルシット・ジョブ
無理なく働くことが、社会的にも重要だとされつつある。それでも何かと騒がれる「生産性を上げよう!」という掛け声。政府はデフレ対策や給料アップの呼び声のもと、たび重なる「人への投資」を実施してきた。「自己啓発」→「リカレント教育」→「学び直し」→「リスキリング」と呼び名を変え、「もっと頑張れ」と私たちを鼓舞する。生産性アップには、分母となる労働時間を減らす(手抜き)のが一番効果的なのに、いまだに分子の「成果」を増やすほうに目を向けてしまう。実はこの生産性にまつわる面白い働き方、「手を抜けば抜くほど、生産性が上がる」ものだという考え方」が注目を浴びている。丁寧に良い仕事をすればするほど労働生産性は下がり、手を抜くと上がるのだと。
“顧客要望に向き合う真摯な仕事の進め方”が、企業やメーカーには染みついている。たとえば企画部門はフル回転で新商品を開発し、それを販促するために宣伝部門は日夜広告を考え、さらに営業は新たな商品を紹介しに足しげく業者をめぐる。こんな「“真剣”で“濃厚”なサービスの輪」ができてしまっているのに、年間売上は伸びない。その結果、欧州と比べて売上利益率も投下資本利益率も、著しく低い数字になっている日本の現実。つまり日本人が今までやってきた“顧客と真面目に向き合う”働き方は、「ブルシット・ジョブ(この仕事がなくなっても誰も困らないだろうと思われるもの。たとえば「無駄な会議」「無駄な書類」「誰が読むのかわからないような議事録」など)」の塊だと言われてきている。今社会のなかでは、「ブルシット・ジョブ」が膨大に増えてしまっている。
ベーカリーでは、買ったパン1つひとつを柔らかなビニールで個別に包み、それをさらに大きな袋に入れ、最後に手提げに全部を詰めて渡されたりする。ここまでのサービス、本当に必要だろうか?(少し乱暴な言い方だが、過剰包装が過ぎる。誰かの労働時間がその分奪われる)。私たちは今まで「真面目に良いサービスを」というお題目に騙され、ブルシット・ジョブの渦にもがく生活を送ってはいないだろうか。それはすなわち「やっている感」を目いっぱい示すだけの行為に成り下がっている節もある。フランスのパン屋さんは、簡易包装。バゲットはそのまま紙袋へ。もしくは直接つかむ中央あたりだけ紙を巻いて、そのまま直に握りつかんで持ち帰るような文化だ。
フランスの暮らし unsplash
私たちはなぜ、こんなにも「やっている感」を醸し出しているのだろうか?その答えは、「それが評価につながる」「何かあったときに言い訳になる」からだろうか。なれ合いのために、ブルシット・ジョブを繰り返している!?…丁寧過ぎるほどの仕事ぶりに労働時間がいたずらに延び、生産性が下がり、私生活を犠牲にしなければならなかったとしたら、それはあまりにも不幸な結末ではないだろうか。
幸せの解像度
パリでは、生活を楽しみ、人生を豊かに生きようとする人々の姿がある。国よりも、産業社会よりも、自分自身の人生との関わりを大事にするフランス流の生活信条。日常生活のなかにちょっとした喜びを発見し、コミュニケーションを楽しむ。彼らは会話を大事にし、そこで共有する時間を大事にしている。日常の些細な事象のなかにこそ、幸せの本質はあると理解しているようだ。
幸福度ランキングで世界一(2018年)のフィンランドでは、つい数年前までは日曜は完全なる休息日。お店はまったくやっていなかった。土曜も早めに閉まってしまう。最近は規制緩和で日曜もやっているお店は多くなり、ライフスタイルも少しずつ変わっている。それでも、週末は家でのんびり過ごすか、森や湖、コテージなど、遠方に出かけるという人はまだまだ多い。フィンランド人の平均睡眠時間は長く、大人も7時間半以上。これだけ睡眠時間が取れるのも、定時で帰ってゆったりした時間をもてているからだろう。平日、夕方4時や5時に家に帰る彼らは、「仕事は好きだし、責任感をもって仕事をきちんとしたいが、就業時間内で終わらせて、その他の時間も大切にしたい」という。休みを十分取っているフィンランド人たちは、心身ともにリフレッシュした後、驚くほどの集中力でバリバリ仕事をこなしていく。そんなフィンランドの1人あたりのGDPは約5万ドル(2019年、IMF)で世界16位。日本は約4万ドル(24位)だ(参考文献:『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』_堀内都喜子)。
日本人は、どこを目指しているのだろうか?まわりへ目を配ることもできず、引きずられるように急ぎ足で、一体どこに向かっているのだろう。どこがゴールなのか…。ゴールを迎えたとしても、そこからまた新たなゴールを目指すだけ、その繰り返しなのだから。ゆっくりでいい、時に休めばいい。今まさにこの瞬間を生きることに浸り、幸せを噛みしめ、今の暮らしのなかに生きること。目の前の幸せの解像度を上げていこうとする人も増えてきた。
静かなる撤退
苦行にならないよう、自らにブレーキをかける働き方も見えてきた。かつて退職金制度は、従業員の老後の生活の安定を図るとともに、後払い賃金の性格を有し、長期雇用を促進して従業員を自社につなぎとめておく役割があった。経済が右肩上がりで成長していた時代には、従業員にとっても企業にとってもそのメリットは大きかったが、国とともに高齢化する日本企業において、長期雇用を推奨する退職金制度はもはや時代にそぐわないものとなってきている。今後も各企業において、退職金制度の縮減・廃止は長期的な流れとして進んでいくだろう。そんな背景もあってか、「静かな退職」が、当たり前の働き方になるよう小さなブームがきているようだ。
「静かな退職」とは、22年にアメリカのキャリアコーチが発信し始めた「Quiet Quitting」の和訳。会社を辞めるつもりはないものの、出世を目指してがむしゃらに働きはせず、最低限やるべき業務をやるだけの状態。「本質をしっかり保っていて、誰も彼を否定できない」「部下には必要最小限の指導、ともするとそっけない」「リストラになりにくく、なおかつ転職でも有利だと思っている」などの人格をもっている。
かつて「エコノミックアニマル」「24時間戦えますか」などと揶揄された日本のビジネス界。今、過去の日本企業とは相容れない類の社員が会社に一定数存在することが当たり前になり、そのなかに「静かな退職」が定着しつつあるようだ。
<静かな退職という働き方(参考文献:『静かな退職という働き方』_海老原嗣生>
〇言われた仕事はやるが、会社への過剰な奉仕はしたくない
〇社内の面倒くさい付き合いは可能な限り断る
〇上司や顧客の不合理な要望は受け入れない
〇残業は最小限にとどめ、有給休暇もしっかりとる
「Quiet Quitting」──日本語での正確な解釈は、「平穏への解放」「静かなる撤退」ということだろう。というのも、「Quiet Quitting」は実際に仕事を辞めるわけではないからだ。職場で給料を得るために求められる最低限の仕事はこなすが、それ以上は頑張らないという状態を指す。加えて、新しい取り組みやプロジェクトへは参加せず、出世にも興味を示さない。当然、業務終了後は仕事のことは一切考えない。
若者のなかには、仕事に情熱を注ぐことで、もともと偏っていた食生活がさらに偏ったり、睡眠の質あるいは量が低下するなどして、徐々に身体の不調を感じるようになる人もいる。あるいは体調の悪化を感じることはなくても、「何のためにこんなに頑張っているんだ」と考える人は少なくない。「静かな退職」がどのような効能をはたしてくれるかは、人それぞれ違うだろう。それでも、自分の幸せに目を向け始めた人が、そのなかには一定数存在し始めているようだ。
(つづく)
<プロフィール>
松岡秀樹(まつおか・ひでき)
インテリアデザイナー/ディレクター
1978年、山口県生まれ。大学の建築学科を卒業後、店舗設計・商品開発・ブランディングを通して商業デザインを学ぶ。大手内装設計施工会社で全国の商業施設の店舗デザインを手がけ、現在は住空間デザインを中心に福岡市で活動中。メインテーマは「教育」「デザイン」「ビジネス」。21年12月には丹青社が主催する「次世代アイデアコンテスト2021」で最優秀賞を受賞した。

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